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都合のいい長女は今日でおしまい  作者: 朝月アサ


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12/15

12 帰還



「一度戻るか。詳細な調査はまた後日にしよう」


 シグヴェルトはそう言うと、床に落ちていた鞄を手に取った。


「ま、待ってください。外の様子を一応、確認しなければ――」


 レオノーラは両手の中にいるティアを落とさないよう気をつけながら、窓の外へ目を向けた。


 火山は静まり、魔力の流れも正常に戻っている。けれど、ここからでは街の様子は見えない。

 噴石が麓まで飛んでいっているかもしれないし、火山エネルギーが麓で溢れているかもしれない。


「麓の観測所から、すぐに報告書が上がってくる」

「……そう、ですね」


 レオノーラは言葉に詰まった。

 自分の目で見たいなんて、わがままなのかもしれない。責任者であるシグヴェルトが問題ないと言うのなら、従うべきなのだろう。


 シグヴェルトはしばらくレオノーラを見つめ、やがて小さく息を吐いた。


「少しだけだ」


 黒杖が床を叩く。足元に小さな転移陣が広がり、景色が揺らぐ。


 次の瞬間、急激に冷えた空気が頬を撫でた。


「……え?」


 気がつくと、山腹に設けられた見晴らし台に立っていた。


 観測所よりも標高の低い位置にあり、麓の街を一望できる。

 一瞬めまいがして足元がふらつく。シグヴェルトの手がすぐにレオノーラの腕を支えた。


 ――レオノーラは、街を見た。


 美しい街だった。


 地熱を利用した農園の硝子屋根も、湯気を立ち上らせる温泉施設も、火山の斜面に広がる畑も、資料で見た姿のままそこにある。


 突然の地震に驚いた住民たちは、建物の外へ避難していた。


 家族同士で抱き合う者。地面に座り込み、火山を見上げている者。空を指さして興奮する子どもたち。


 巨大な竜が火口から現れ、空へ光を吐き出す光景を、彼らも見ていたのかもしれない。


 何が起きたのかわからず、呆然としている者も多い。


 それでも、崩れた建物は見えない。火災も起きていない。


 街は、そこにあった。


「……無事ですね」

「ああ。大きな損害はない。細かなところはまた報告書で上がってくるだろう」


 シグヴェルトの手が、頭の上に置かれる。


「お前が守った」

「…………」


 胸の奥に、熱いものが込み上げた。

 レオノーラの両手の中で、ティアが小さく身じろぎした。


「きゅう」


 レオノーラは小竜を胸元へ抱き寄せた。


「今回の報告書は、お前がまとめるように」

「わたくしが、ですか?」

「ああ、任せる。提出前に私が確認する」


 レオノーラはもう一度、麓の街を見る。


「……はい。承知しました」

「では、帰るぞ」


 シグヴェルトが黒杖を掲げ、二人の足元を大きな転移陣が覆った。


 光が視界を満たし、火山の乾いた空気が消える。


 次に目を開いたとき、レオノーラは王国魔術院の総監執務室に立っていた。


 出発前に整理した書棚。書類の積まれた机。床に描かれた転移陣。


 どれも、見慣れた光景だ。

 けれど、自分だけがひどく遠いところから帰ってきたような気がした。


「きゅう」


 腕の中から聞こえた声が、現実だったのだと改めて思い知らされる。


 シグヴェルトがティアを見下ろした。


「竜まで連れて帰ってきたな」

「置いてくるわけにはいかないでしょう。でも、どうしましょうか」

「飼えばいい」


 いとも簡単に言ってくれる。


「……どうしましょう。この子、何を食べるんでしょうか」

「さあな。色々試してみればいい。魔力だけでも充分かもしれんがな」


 小さな竜――ティアはレオノーラの手の間から出てくると、シグヴェルトの持つ鞄に鼻先を寄せ、すんすんと匂いを嗅いだ。


 ――そこには、レオノーラの作った軽食の残りが入っている。


「――シグヴェルト様、そちらをティアに食べさせてみてもいいでしょうか」

「駄目だ。これは私のものだ」

「大人げないことを言わないでください」


 ティアが同意するようにレオノーラの袖へ爪を立てて頷いた。


「きゅっ」

「……二人がかりとは卑怯だぞ」


 シグヴェルトは仕方ないとばかりにレオノーラに鞄を返した。とても、惜しそうに。


◆◆◆


 執務室でティアにパイや焼き菓子を食べさせた後、レオノーラは離宮の部屋へ戻された。


 すぐに魔術院で報告書へ取りかかるつもりだったのだが、シグヴェルトに休むよう命じられたのだ。


 軽い食事を取り、湯を使ったあと、寝台へ横になる。


 ティアは枕の横へ丸くなり、まるで以前からそこを寝床にしていたかのように目を閉じていた。


(……可愛い)


 その姿を眺めているうちに、レオノーラも泥のような眠りへ落ちた。

 次に目を覚ましたとき、窓の外は夕暮れに染まっていた。


 身体の重さは残っているものの、頭は随分とすっきりしている。レオノーラは机へ向かい、ティレアン火山で起こったことを順に書き始めた。


 到着時の火山活動。地脈の異常。噴火直前まで増大した熱と魔力。溢れそうな分を一つの形へまとめ、空の果てへ放出したこと。


 最後に、火山竜が消滅したあと、精霊に近い小型の存在が残ったことを書き加える。


 その当人は、机の上で羽根ペンの動きを追いかけていた。


「ティア、邪魔をしてはいけません」

「きゅう」


 返事だけはいい。だが落ち着く気配はない。


 レオノーラが次の紙へ手を伸ばした途端、ティアがインク壺のそばを横切ろうとして――インク壺に足を突っ込んだ。


「ティア!」


 ティアはそのまま報告書の上を歩き、紙の余白に小さな足跡が三つ並んだ。


「…………」


 ティアは自分の残した跡を不思議そうに見下ろしている。


 ――書き直しである。


 レオノーラが新しい紙を取り出そうとしたとき、扉が開いた。


 入ってきたシグヴェルトは、机の上の報告書と、小さな足跡を一目見た。

 そして、笑った。


「元気がいいな」

「元気すぎるほどです。こちらはすぐに書き直します」

「いや、そのままでいい。発生した個体の痕跡として添付しよう。貴重な資料だ」


 シグヴェルトはティアの尾を指先で軽くつまみ、足裏を確認する。


 ティアはぶら下がるほど持ち上げられる前に尾を振り、小さく抗議した。


「きゅっ」


 そのままぷいっと顔を逸らし、レオノーラの髪の中に隠れた。


「……どうして私には懐かない」

「扱いが粗雑なのでは?」

「解せぬ」

「シグヴェルト様も、襟首をつまんで持ち上げられたら気持ちがわかるかもしれません」


 レオノーラの髪の間から、ティアが同意するように顔を出した。


「きゅう」

「また二人がかりか」


 シグヴェルトは不満そうに呟き、机の上へ視線を移した。


 書きかけの報告書。その横には、使い慣れた羽根ペンが置かれている。


「渡したペンはどうした」

「……あれは、もったいなくて」

「火山では使っただろう」


 ――それは、魔術の杖代わりとしてだ。


「あれは使わないと、内部でインクが詰まる。適度に使ってやってくれ。杖以外としても」

「……承知しました」


 次の報告書から使おう。そう決めたレオノーラを見て、シグヴェルトは満足そうに頷いた。


 それから机の端へ、一通の封書を置く。白い封筒には、王家の紋章が刻まれていた。


 ――すっと、胸の奥が冷える。


「お前宛てに手紙だ。読まずに捨ててもいい」


 そう告げると、足跡のついた報告書を手に取り、部屋を出ていった。


 残されたレオノーラは、封書を見つめた。

 ティアが封筒へ近づき、角の匂いを嗅ぐ。


 レオノーラは小竜をそっと遠ざけ、封を切った。取り出した便箋には、見慣れた筆跡が並んでいる。




『親愛なるレオノーラへ。

 僕たちの間には、少し誤解があったようだ』



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