10 火山を御する
「火山は人の手でどうにかできるものではありません!!」
思わず叫ぶ。無茶ぶりにしても限度がある。
「お前ならできる」
シグヴェルトはまっすぐな眼差しで言い切った。
「力の流れが見える。流れを動かすことができる。封印具を解いた時と同じだ。そう――書類整理とでも思えばいい」
「あなたは何を言っているのですか!?」
書類と火山が同じ重要度なわけがない。書類は失敗しても即死はしないが、火山は違う。
「お前が無理なら私が封印する。だが、地熱に依存している麓の街は衰退するだろうな。そして、数年後には再び同じ問題が起こる」
「…………」
「レオノーラ、お前ならどうする?」
――レオノーラは考えてみた。
できるかどうかは、いまは問題ではない。
どうすれば、噴火直前の膨大な火山エネルギーを処理できるか。
火口を無理やり押さえつけて力の出口を封じれば、別の場所から噴き出す恐れがある。
つまり、安全な形で外に逃がす必要がある。
――でも、どこへ?
海?――遠すぎる。一帯の地図は頭に入っているが、溶岩を海まで誘導するとしても、かなりの距離がある。その道中にあるものは全滅すると思っていい。
その時、シグヴェルトが軽く杖を振った。
刹那、レオノーラの手の甲の眷属紋が変化する。
翼を広げた竜を、黒い輪が取り囲むような紋章――その黒環が開き、竜が赤く染まる。
それと同時に、いままでよりもくっきりと魔力の流れが見えた。火山内部をめぐる膨大なエネルギーが、鮮明に。
地下深くから次々と熱と魔力が湧き上がり、狭い火口へ殺到している。
もはや一刻の猶予もない。
――どこか。どこかにないのか。これだけのエネルギーを受け止められる場所――
その時、胸元で、何かが熱を帯びた。
それは、胸ポケットに差していたペン――シグヴェルトから贈られた、黒い軸に銀の装飾が施されたペンだった。
手に取ると、軸に刻まれた術式が淡く光り、銀色のペン先に赤い魔力が灯る。
「それを使え。お前の魔力を通しやすくする」
「これはペンでは?」
「杖としても使える。私も時々使っていた」
手にしたペンからはシグヴェルトの魔力が伝わってきた。眷属紋と呼応し、レオノーラの力が外へ流れるための道を作っている。
レオノーラはペンを握ったまま、顔を上げた。
――空。
空の果てには、虚空があるという。
雲も風も届かない、星々のある場所。
――そこに向けて、エネルギーを放出すれば――……
「――空へ、飛ばします。真上に」
レオノーラが口にした荒唐無稽な言葉に、シグヴェルトの口元に笑みが浮かんだ。
彼は無理だとは言わない。むしろ目が輝いている。
レオノーラはペン先を火山へ向けた。
火山内部の流れ――力強く、生命力にあふれ、暴れる線。その一つへペン先を触れさせるように意識し、流れを整える。
本当なら届くはずもない距離。
触れることのできない場所。
それでも、確かに手応えがあった。
ペンを動かすたび、空中へ赤い光の軌跡が描かれる。
(――これが、魔術師――)
荒れ狂う激流をなだめるように。
時に強引に、時に丁寧に。
ただ、数が膨大すぎる。
何度もほどけ、別の方向へ飛び出そうとする。そのたび、シグヴェルトの魔術が壁となって立ちはだかり、逸れた流れを内側へ押し戻した。
「レオノーラ、お前は何が好きだ?」
――こんな状態で世間話か。
答える余裕なんてないレオノーラとは正反対に、シグヴェルトは笑っていた。
「私は竜が好きだ。大きく、力強く、火を吐く」
――だから何だというのだ。
文句を叫びたくなったが、ふと閃く。
この膨大なエネルギー、制御がしづらいのは形がないからではないか。
溢れる水を受け止めるには、器が必要だ。
――器。
火山ほどの力を抱え、空へ駆けあがるもの。
咆哮を上げ、火を吐くもの。
――竜。
思い浮かんだのは、幼い弟が愛読している絵本。火山に住む竜を、王子が倒しにいく英雄譚。
「……竜」
レオノーラは、ペン先で空中に竜の形を描く。弟にせがまれて竜の絵を描いた時のように。
まず頭部。長い首、胴体、翼、長い尾。
火山内部で渦巻いていた無数の魔力が、一つの巨大な竜の形へ組み上がっていく。
形を思い描いた途端、それまで何度もほどけていた流れが、嘘のようにまとまり始めた。
炎は鱗に、地熱は骨格に。噴き上がる蒸気が翼を形作り、火口へ集まった力が竜の喉へ収束する。
火山灰も、黒曜石も、溶岩も、ガスも。火山のすべての要素を使って、一匹の竜を作り出す。
――そして、火口から巨大な竜の頭が姿を現す。
赤く輝く巨大な竜――生きた竜ではない。火山の熱と物質を、魔術で一つの姿へまとめた火山竜だ。
「――ああ、素晴らしいな」
シグヴェルトが黒杖を構えたまま、感嘆の声を上げる。
竜はゆっくりと火口から身体を引き抜き、翼を広げ、空を赤く染め。
その口を、空に向けて開いた。
竜が首を上げる。雲を越え、その先にある暗い天へ向けて。
――その時、小さな恐怖が生まれた。
本当に、これでいいのか。何か間違ってはいないか。失敗すれば、何もかもを壊してしまうのではないか。
レオノーラの迷いに呼応するかのように、竜の輪郭が崩れ、火花が山裾に降り始める。
刹那、シグヴェルトがレオノーラの手の甲に触れた。
「私を信じろ。お前ならできる」
――ああ。本当に、この人は。
いつだって、とんでもないことを当然のように言って、当然のように実現する。
世界最強の魔術師が、自分を信じてくれている。
レオノーラはペンを握り直し、竜を見据えた。
「――空へ」
竜が翼を広げる。火山帯全体を震わせる咆哮が響く。
それと共に、竜の口から赤白い光の柱が放たれる。
――空へ。
光は雲を貫き、青空を突き抜けた。
火山内部に溜まっていた熱と魔力が、光の奔流となって次々と放出される。
地面の震えが、少しずつ弱くなる。
黒い噴煙が、弱まっていく。
火口へ集中していた魔力が減り、山裾を巡る地脈が本来の穏やかな流れへ戻っていく。
最後のエネルギーを吐き出すと、巨大な竜は空を仰いだまま、炎の粒となって崩れ始める。
赤い光が、雪のように火山の上へ降り、地面に触れる前に消え――
レオノーラの手に握られたペンからも光が消え、筆記具へと戻った時。
ティレアン火山は静まった。




