東京物語 ~東京は、広うて、寂しいところな。~
視聴一作目は東京物語に決まった。
土曜日の朝8時50分ごろ、視聴覚準備室扉を開くと部員の皆が集まっていた。とはいっても、私を含めて3名なのだが。
「おはようございます。」
「おはようございます。てらくん。今日はよろしくね。」
制服を綺麗に着ている富田先輩が朝日の当たる窓を背景に、静かに微笑む。
この人のギャップは何だろう。すごいな。しかも、今日は後光がさしているように見える。
「おっはよー。」
コーヒーをカップに注ぎながら美幸さんが答えてくれる。そのコーヒーを彼女が唇でフーフー吹いた後、おもむろに私に差し出してくる。
「ほい。あっついよ。気を付けてね。」
静かに一口。あれ?そんなに熱くないぞ。しかし甘いな。なぜ美幸さんはフーフーしたんだろう?聞かないけど。
視聴覚室側の扉が開き、大関先生が顔を出す。
「おはようございます。」
「お、寺塚きたか。よし。準備ができたぞ、視聴覚室に入ってくれ。コーヒーはこぼさないようにな。」
私と美幸さんは、富田先輩にスクリーンの前側正面に案内され、富田先輩と大関先生は後方に陣取った。
気のせいかな、二人の目がらんらんと輝いているような気がする。
薄暗い室内だから、そう見えるんだな。きっと。
大関先生もニコニコと笑っているようだ。
大関先生と話をしている富田先輩が、握りこぶしをして、胸の前で上下に振り始めた。興奮するとあの動作になるのかな?
「よーし、再生するぞー。単調な物語だから覚悟しろよー。」
えー、始まる前にそれを言うんですか。
視聴覚室の照明が完全に落ち、スクリーンに青白い光が走る。その静かな暗闇のなか、前の席の背もたれの上に小さなイマジナリー司馬遼太郎先生が現れた。
イマジナリー司馬遼太郎線は眼鏡を光らせ、笑顔で言う。
『ほう、小津安二郎か。まことに退屈で、まことに美しい時間の始まりだね。』
「え、先生、この映画、退屈なんですか?」
小さなイマジナリー太宰治先生も現れた。
この前よりも心持きちんとした身なりだな。酒瓶も持っていない。しらふなのかな?
『単調な人生ほど、死にたくなるものはないよ。さあ、一緒にこの白黒の世界へ溺れよう』
「これから2時間くらい、この色の無い、白黒のなかに飛び込むんですよ。でも、おぼれたくないです。」
映画が始まる。昔の山陽、尾道とかなのかな。たぶん。
今と比べると穏やかなんだろうな。
蒸気機関車はあのような感じで走るんだね。知らなかったよ。
話が進むにつれ、違和感が私を襲う。
登場人物たちは、みんな非常に穏やかで、しかしどこか本音を隠したような、独特な丁寧語で話している。なんだろう、この違和感は。
司馬遼太郎先生が、静かに語りだす。
『いいところに気が付いたね。これはね、一見優しいけれど、実は家族の冷たさが隠されている会話なんだよ。笑顔の裏には悪意が隠れているんだよ。』
ちょっと先生、物騒なこと言わないでくださいよ。
太宰治先生も口を開いた。
『怖い、やっぱり東京の人間は怖いねぇ。あんな満面の笑みを浮かべながら、実の親を邪魔者扱いしている。 人間の心の深淵が深すぎて、僕の繊細な精神まで汚染されそうだよ』
「あ、今日は心中しないんですね。」
後ろの方でごにょごにょ聞こえる。なんか宇宙語が混じった会話が聞こえてきている気がするが、無視しよう。まずは銀幕に集中だ。
物語が中盤まで進むと、戦死した次男の奥さんの紀子さんが出てくる。
あ、この女優さん、見たことあるぞ。名前知らないけど。
しかし、昔の白黒映画ってこんなに綺麗に撮れるもんなんだな。
血縁のない紀子さんだけど、義理の両親を心からもてなしている。
司馬遼太郎先生が口を開き、深くうなづく。
『歴史を見てもね、血縁の絆より、志や純粋な情愛で結ばれた関係の方が美しいことがあるんだよ。』
太宰治先生も薄く笑いながら口を開く。
『東京にも彼女のような女性がいるもんだね。彼女の煎れてくれるお茶を飲むためなら、もう少し生きてもいいかもねぇ。』
両先生方、そういうもんなんですね……。
美幸さんを見ると、少し退屈そうだ。そうだよね、この物語、すごく淡々と展開が進む。
YouTubeの映像のように会話を楽しむ要素が少ないし、アクションなんかまったくないし。
でも、私はその人間愛というのだろうか、自分の貧弱な語彙力ではまだ上手く名前をつけられない、人間の愛や冷酷さといった本質のようなものなのか、白黒の画面に繰り広げられるドラマに釘付けになってしまった。
そしてクライマックス。家族の別れと印象的なセリフ。
「東京は、広うて、寂しいところな。」
小津安二郎監督は、高度経済成長で顕著に進む、大家族から核家族への偏移と、その寂しさをこの映画の中で表したかったのだろうか…。それとも、親孝行をサボる子供が増えていることを嘆いていたのか。
『うっ……! 親孝行をサボる、か…。その言葉は、津島の家の門を二度とくぐれなくなった僕の胸に、信じられないほどの激痛を伴って突き刺さるよ。』
太宰先生が本気で自分の胸を押さえて悶絶し、静かに消えて行った。
「先生、自業自得です。」
『まことに、その通りだよ。』
司馬遼太郎先生が静かに眼鏡の奥の目を細めた。
『国が豊かになり、時代が前に進むとき、人間は必ず何かを置き去りにしていく。小津監督は、その失われゆく日本の美しい家族の原風景を、銀幕に焼き付けたかったのだろうね。』
『悩むのをやめ、俯瞰することを覚えた今の君なら、きっとその寂しさを言葉にできるはずだよ。』
そう言い残し、ニッコリ笑って消えていく。
つづく
作中に登場する文豪の先生方、映画監督は、最大のリスペクトを込めて、本作オリジナルのフィクションキャラクターとして登場させていただいております。実在の人物の思想や名誉を毀損する意図は一切ございません。一読者としての愛を込めたパロディとして、温かい目でお楽しみいただけますと幸いです。




