まあだだよ ~夏目漱石先生と内田百閒先生~
家の玄関の扉を開くと、カレーの匂いがする。
お昼ご飯はカレーのようだ。
「ただいまー。」
父が居間から顔をだす。
「おかえり。部活だったの?」
「そう。映画観てきた、面白かったよ。」
父はニッコリ笑って、
「そうか、僕は映画をみないからなぁ。今度、おすすめの映画を教えてよ。」
「いいよ。そうだ、今日見た映画は面白かったよ。まあだだよっていう映画なんだけどね、内田百閒の随筆、まあだかいをベースに作られた映画で師弟の絆を描いた作品なんだよそれでね…。」
「わかったから。もうすぐお昼だ。手を洗って制服を着替えてきなさい。」
「…わかった…。」
早口でまくしたてていたようだ。気をつけないと…。
うちのカレーは、トマトのみじん切りを煮込んで、最後にヨーグルト大匙一杯、インスタントコーヒーを小さじ二杯入れる。
中学生のころ、林間学校でカレーを作っている時に同級生から話を聞いてみたのだが、水で作るのが普通みたいだね。あと、ヨーグルトやインスタントコーヒーを入れる家もないみたい。
林間学校で食べたカレーはおいしかった。青空の下で食べたからかな?
昼食後、祖父から声がかかった。
「幸雄、午後から空いてるかい?農協に肥料が届いているから取りに行きたいんだ。」
祖父が肥料の積み込み要員をお願いしてきた。
「いいよ。手伝うよ。そうだ、今晩、書斎を使わせて。」
「いつでも勝手に使っていいよ。じゃあ行こうか。」
夕食後、祖父の書斎のボストンチェアに座る。
机の上のデスクライトのスイッチを入れると、柔らかな光が辺りを照らす。
今日は久しぶりにペリカンを使う。インクが固まると大変だからね。
レポート用紙を机に広げると、机の右上に2脚のボストンチェアとサイドテーブル、スタンドライトが現れる。スタンドライトのスイッチが入ったのか、ほのかな明かりを放つ。
サイドテーブルには灰皿と、アルコールランプでコーヒーを淹れる、サイフォンだっけ?それと木箱の上にハンドルみたいのが付いた何かが置かれている。
暗がりから、小さなイマジナリー夏目漱石先生と内田百閒先生が出てきた。
夏目漱石先生は浴衣を着てリラックスしているようだが、内田百閒先生は着物に袴を着用している。
夏目漱石先生は椅子に座り、木箱の中に何か豆粒のようなものをいれ、ハンドルらしきものを廻し始める。
ゴリゴリと、何かを削る音がする。
「夏目先生、それは何ですか?」
『そうか、今の若い人にはわからないか。これは珈琲挽と言ってね、珈琲豆を挽く機械だよ。』
「そうなんですね、写真で見たような気がしますが、何をするものか知りませんでした。」
『私は珈琲が好きでね。よく自分で淹れたものだ。』
夏目漱石先生はコーヒーをカップに注ぎ、内田百閒先生に手渡す。
『先生、恐縮です。』
『気にすることはないよ。』
二人はコーヒーを飲み、タバコに火をつける。マッチだな、久しぶりに見た。
紫煙が先生方の周りを漂う。
私は少し気になって内田百閒先生に問いかける。
「内田先生は日本酒ではないのですか?」
『な!ばかもの、先生の前でなんてこと言うんだ、君。』
『なんだ、内田はお酒の方がよかったか?』
内田百閒先生が縮こまる。
『いえ、その…。…はい…。』
『ははは、そうか。私は下戸だから気が利かなくてすまなかったね。だが内田、私の前でそんなに畏まる必要はない。外へ出たらどうせ大酒を飲むんだろう?』
『い、いえ!そのようなことは……。あ、いや、たまに、ほんの少し嗜む程度でございます、はい……。』
完全に縮こまる百閒先生。まるで先生に怒られた小学生だ。
『まあ、私の珈琲も悪くないだろう。冷めないうちに飲みなさい。……ところで内田、お前、また方々で借金をしているそうだな。小宮から聞いたぞ。』
内田百閒先生がコーヒーを吹きそうになる。
『げほっ……! い、いえ、あれは、その……一時的な、のっぴきならない事情がございまして…。』
夏目漱石先生はため息をつきながら、煙草の灰を灰皿に落とす。
『お前ののっぴきならない事情はいつもだろう。お酒を飲む金はあるのに、家賃を払う金はないというのは、どういう理屈だ。』
「内田先生、家賃を滞納しているんですか?」
『君は黙っていなさい! ……先生、お言葉ですが、お酒は私の命の泉でありまして、家賃とは人生における優先順位が違うのでございます。』
『屁理屈を言うな。いくら私が下戸だからといって、その言い分が通らないことくらいは分かる。……これを持っていきなさい。』
夏目漱石先生は、懐から数枚の紙幣を差し出す。
『おぉ、先生! 恐悦至極に存じます!』
『勘違いするな、あげるのではない。貸すのだからな。今度こそ、ちゃんと返しなさいよ。』
『もちろんでございます! 天が地になっても、必ずや!』
「内田先生、それ、返さないつもりでしょう?」
『さっきから君は馬鹿な事ばかり言って!この百閒、受けた恩は必ず返す!』
夏目漱石先生はコーヒーをゆっくりと飲みながら言う。
『ほう、内田。今度ばかりは本気か?』
内田百閒先生は夏目漱石先生の方を向き、姿勢を正して答える。
『もちろんでございます、先生! 私の辞書に不義理という文字はございません!』
「でも内田先生、さっき天が地になっても返すって言ってましたよね。」
私はすかさずその矛盾を突いた。
「それって……。天地がひっくり返らない限り返さない、って意味では……?」
――沈黙。
内田百閒先生の動きが、止まった。
そして、内田百閒先生は慌てだした。
『な、何を言うか! それは言葉のあやだ! 君は私の清廉潔白な人格を疑うのかね!』
夏目漱石先生は、ふっと煙草の煙をくゆらせ、静かに笑う。
『まあいい。内田がそこまで言うのだから、信じてやろう。……ただし内田、もし返さなかったら、次の木曜会は羊羹持参で来てもらうからな。もちろん、家族にバレないように細心の注意を払って、最高級の煉羊羹を、だ。』
『よ、羊羹でございますか……。そ、それは……お金を返すよりも難易度が高い任務でございます……。』
『しかし先生、このサイフォンで淹れた珈琲というのは、本当に格別でございますね。器具の中で湯が踊る様子は、まるで小さな科学実験のようで、見ているだけで心が躍ります。』
『そうだろう。イギリスにいた頃を思い出してね。あちらの連中は実用性ばかり重んじるが、こういう器具の仕掛けには、どこか奇妙な風情がある。……お前たちの創作も同じだよ。ただ筋が通っているだけではつまらん。どこかにこういう遊びの仕掛けがなくてはな。』
「なるほど……。内田先生の文章がどこか奇妙でユーモラスなのも、その遊びがあるからなんですね。」
『うむ!まさにその通りだ。私の書くものは、言わばこのサイフォンの泡のようなもの。実用的な役には立たねども、人生をほんの少し面白くする。』
内田百閒先生は 、我が意を得たりと胸を張り、タバコを深く吸い込む。
『……先生、この珈琲をお代わりしてもよろしいでしょうか?』
『お前は本当に調子がいいな。だが、そうやって私の珈琲を美味そうに飲むのはお前くらいのものだ。よし、もう一杯淹れてやろう。』
『そういえば奇妙な話があってね。私がロンドンにいたころ、10年ほど前に切り裂きジャックという事件があってだな、容疑者が複数に絞られたらしいのだが……。』
『ほうほう、それでどうなったのでありますか?』
先生方が会話に華を咲かせている。
そろそろレビューを考えなければ。
遊びの仕掛けか。
映画のレビューに遊びの仕掛けを入れ込む。難しくないか?
どうしようか……。
つづく
作中に登場する文豪の先生方、映画監督は、最大のリスペクトを込めて、本作オリジナルのフィクションキャラクターとして登場させていただいております。実在の人物の思想や名誉を毀損する意図は一切ございません。一読者としての愛を込めたパロディとして、温かい目でお楽しみいただけますと幸いです。




