東京物語 ~ポストクレジットシーン1~
美幸さんがうちに来るそうだ。
物おじしないというか、すごい行動力だ。
『仲良きことは美しき哉』
小さなイマジナリー武者小路実篤先生が、ちょこんとリモコンの横に座って微笑んでいる。
丸眼鏡のフレームがきらりと光る。
『……おや、君の心に少し、邪な風が吹いているようだね。
ん?そんなことはない?まぁいいではないか。
映画を純粋に楽しむ彼女の横で、よこしまな期待をしてはいけないよ。
まずは人間として、仲良くおなりなさい。ほら、着いたようだよ。』
玄関の呼び鈴がなる。
「おはようございます。」
元気な声が聞こえる。美幸さんだな。いや、よそ幸さんかな?
「はーい。」
祖母が玄関に出る。少し遅れて、私も部屋を出て玄関へと向かった。
ガラガラと引き戸を開けると、そこにはキャップを後ろ前に被り、オーバーサイズのパーカーにカーゴパンツ姿の美幸さんが立っていた。
ストリート系のラフな格好だが、その表情は少し緊張しているように見える。
「まぁ、いらっしゃい。どうぞお上がりになって。」
「はい、ありがとうございます。あ、自己紹介がまだでした。私、寺塚くんと同じクラスで映画研究会に所属している、美幸良子と申します。寺塚くんにはいつもお世話になっています!」
美幸さんは被っていた帽子をパッと取ると、祖母に向けて深くお辞儀をした。
「まぁまぁ。ご丁寧に。幸雄の祖母でございます。」
祖母もお辞儀を返す。
……が、ここで妙なコンビネーションが生まれた。
美幸さんが「そろそろいいかな」と頭を上げると、祖母はまだ頭を下げたまま。
それに焦った美幸さんが慌ててまた頭を下げる。
すると今度は祖母が頭を上げて――。
完全にタイミングを失って、二人でペコペコと頭を下げ合っている。
これ、放っておくと無限に続くやつだ。そろそろ助け船を出した方がいいだろう。
「まぁまぁ、二人とも。玄関先ではなんだから、美幸さん、上がってよ。」
「あ、うん。……そうだね。そうだ、自転車はどこに置けばいい?」
「庭に入れちゃってよ。庭の中ならどこでもいいよ。」
「わかった。じゃあ、ちょっと自転車移動してくるね。待ってて!」
「おじゃまします。あ、なんか煮物のいい匂い。あたし好きなんだよね、この匂い。」
美幸さんが笑いながら言う。
「そうなの?食べてく?」
「さすがに遠慮しておきます。」
「そお?遠慮しなくていいのに。ここだよ。入って。」
私は襖をあけ、美幸さんを居間に案内する。
「ここがてらくんの部屋?広いね。ソファーもある。」
「いや、ここ居間だから。」
「……ですよね~。失礼しました。」
「DVD貸して。セットしちゃうから。」
美幸さんがメッセンジャーバッグの中からDVDを取り出して渡してくれた。
「最初から再生で良いのかな。それとも寝ちゃった所から再生する?」
「熱海の旅館のあたりから再生で大丈夫だよ。こうみえても、記憶力は良い方なんだ。」
祖母がお盆に急須とお茶椀、大鉢を載せて、居間に入ってきた。
「何もないけどゆっくりして行ってね。幸雄、台所にポットとコーラがあるから持ってきて頂戴。」
「わかった。」
ポットとコーラを持って居間に戻ると、祖母と美幸さんが楽しそうにおしゃべりしている。
美幸さんの社交性の高さ、すごいね。もう打ち解けてるよ。
大鉢の中身は、ああ、サトイモとヤツガシラの煮っころがしだ。遠慮しておきますと言っていた割には、パクパク食べてるな……。
「じゃあ再生するね。」
祖母が居間から出て行ったあと、私はリモコンを操作する。
「再生ボタンをポチッとな。……あれ?場面を飛ばすのはどうやるんだっけ?」
「てらくん、リモコンかして?」
美幸さんにリモコンを渡す。
「キャプチャー再生って機能があってね。……ほら、見たい場面に一発で飛ばす機能があるんだよ。」
「へー、知らなかったよ。そんな機能があるんだね。」
「てらくん、DVD使わないでしょ。」
「うん、ほとんど使ったことない。映画見ないし。」
「うーん。あ、ここだここだ、ここで決定ボタンっと。」
画面に熱海の旅館のシーンが再生される。
テレビの画面から、美しいモノクロの世界が広がっていく。
武者小路実篤先生も画面に見入っている。
かすかなファンの音と役者のセリフ、そして咀嚼する音が聞こえる。
咀嚼する音?
音の方を見ると。……美幸さんが大鉢を抱えてイモを口に放り込んでいる。
場面が終盤に差し掛かると、紀子さんの独白のシーンになる。
ずるいって言うけど、時がたてば忘れてしまうのが人間なんだし、それを戦死した旦那さんのお父さんに告白し、自分だけ免罪符得ようとする行為が一番ずるいよね。私はそう思うんだよね。
そして映画は終わる。
武者小路実篤先生は静かに言う。
『……実に寂しいね、君。東京という街は、人間から大切なものを奪ってしまうのだろうか。親を敬い、互いを思いやる。人間として最も美しく、最も自然な情愛が薄れてしまうのかな……。』
先生は丸眼鏡を指で押し上げ、どこか遠くを見やる。
『これは時代の変化、いや、戦後日本がやがて忘れ行く道徳観念への警鐘だよ。国家が教え込む義務や形式としての道徳じゃない。人間が本来持っているはずの、純粋な真心が摩耗していくことへの、小津監督の悲痛な叫びが聞こえるようではないか……。紀子さんを見てごらん。血の繋がらない彼女だけが美しき魂を保っている。僕たちは彼女のようでありたいものだね。』
そう言って、武者小路先生は姿を消した。
機械から取り出したDVDを美幸さんに渡し、彼女の顔を見る。
綺麗な眉毛の端が、若干上がり気味になってるな。怒ってるのかな?
「どうしたの?」
「……うん。胸がむかむかする。お芋。食べ過ぎたかも。」
そっちか……。
「胃薬いる?」
「大丈夫。感想文はだいじょばないけど。」
だいじょばない?……大丈夫ではない、という意味かな。
突っ込むのはやめておこう。
「てらくん、てらくん。感想文の書き方がわかんない。」
「うーん、なんて説明しようかな。」
つづく
作中に登場する文豪の先生方、映画監督は、最大のリスペクトを込めて、本作オリジナルのフィクションキャラクターとして登場させていただいております。実在の人物の思想や名誉を毀損する意図は一切ございません。一読者としての愛を込めたパロディとして、温かい目でお楽しみいただけますと幸いです。




