第76話 顔の無い天使①
一面の白き世界。
空間が突如として膨れ上がり、割れて出来た亀裂から、それは零れ落ちた。
白濁とした液体を纏ったそれは、遥かなる下界へと産み落とされていく。
それは天の流した涙か、それとも滴り落ちる血液か・・・
「砂漠への侵入禁止?」
ライラが声を荒げた。
それに対してバアルは冷静に答える。
「実は私も詳しいことは分からない。ただ今朝方、王都から連絡があったんだ。」
「不浄王が接近してるわけじゃないんだろ?」
隣にいたディケンズが尋ねる。
「ああ。少なくともこの辺りには来ていない。それどころか、王都からの連絡ではギルニア全土に禁止令が出ているらしい。」
「一体どういうことなんだ・・・」
「分からん。一応、詳しい情報を王都に問い合わせているが、どのみち暫くは入れないだろう。」
ライラは溜め息をついて、ディケンズに言う。
「どうするよ?」
「肩慣らしをしたかったが、しょうがねぇだろうな。」
「一応、北になら行けるぞ。」バアルが提案する。
「北?」
「砂漠じゃなく、ベールズからソフラトールまでの間はどちらの領土でもないからな。」
ソフラトールとはハーラル王国の北東にあるマディオン共和国の街である。
「なるほど。」
「たまには砂漠じゃない狩りも良いんじゃないか?」
バアルの提案に2人は顔を見合わせる。
「どうする?」
「依頼を選び直しだな。」
そうして2人はギルドへと戻っていく。
王都ニグ。
城内の一室に軍団長ヘイリッドと魔物研究所長のモドンがいた。そして、その前にはブロウとルルがいる。
「砂漠へ入るなって御触れが出たと思ったら、急に呼び出されて、一体何なんだよ?」
ブロウが抗議するように言った。
「それが、我々にも正直分からんのだ。」
「あぁ?」
「此度、砂漠への侵入禁止と貴公らを呼び出したのは我々の決定ではない。」
「じゃあ、誰が?」
「私だ。」
背後からの声にブロウとルルが振り向くと、そこには土地神ルーゼスが立っていた。
「ルーゼス様!?」
ブロウは礼節を払うも、すぐに問い掛けた。
「何が起きてるんです?」
「ギルニアの地に天使が産み落とされた。」
「てんし?」
聞き馴染みの無い名に、ブロウはルルを見たが、ルルも顔を横に振るだけだった。
「天使とは世界を破壊する為に産まれてくる者たちのことだ。」
「世界を破壊・・・」
「左様。ただ例外的に産まれたものだ。恐らく本来ほどの力は無いだろう。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。世界を破壊ってことは、こないだ魔王みたいなもんだろ。何で俺たちなんです?ルーゼス様は戦わないんですか?」
「本来であればそうするべきだがな。相手が天使となれば、そうもいかんのだ。」
「え?」
「天使という種は、神殺しの力を宿している。故に私が戦えば、恐らく負けるであろう。」
「神殺し・・・」
そこにいる全員が驚く。
「それはルーゼス様がこの砂漠で戦ってもですか?」
ヘイリッドが口を挟んだ。
「無論だ。奴らは神の力を無効化する。」
「なんと・・・」
モドンも目を見開いて驚いていた。
「なら、尚更俺たちは無理なんじゃ・・・」
「いや、神に対する力であるだけだ。お前たちであれば勝機はある。」
「だとしても、騎士団の出番じゃないのか?」
ブロウは振り返り、ヘイリッドを見ながら言った。
「確かにそれであれば我々がすべきでは?」
「いや、お前たち人間では天使の速さに対応するのは難しいだろう。」
「じゃ、じゃあ・・・」言いながらブロウが振り返る。視線の先にはルルがいた。
「ルルシカよ。風魔法を使うラビリタスあるお前であれば奴の速さに対応出来るだろう。」
皆がルルを見る。
「やってくれるか?」
「やるしかないんでしょ。」
「大丈夫か?」
ブロウの言葉にルルは首を振った。
「分からない。でも私しかいないなら、私がやるだけ。」
ルーゼスはルルを見て、満足そうに頷く。
「では任せる。」
去ろうとしたルーゼスは脚を止め、付け加えた。
「神の力が効かぬ故、今回は神の力から遠い者を同行させよう。何かの役に立つやもしれん。」
翌日。
準備を整えたルルとブロウが王都の入口に立つ。その隣には2つの人影があった。
「普段見る格好と違うから違和感があるな。」
ブロウの視線の先で、モウズに乗ったエドゥリアが大きく伸びをした。その横にはローゼルがいる。
いつもの白衣と給仕服ではなく、冒険家のような動きやすい服装を纏っていた。
ブロウの隣でルルが呟く。
「錬金術・・・」
「ああ、モドンの爺さん曰く、魔法とは違う原理だから、神の力とは遠いんだとよ。」
「それにしても、天使?ですか・・・」
エドゥリアは首を傾げながら、ローゼルを見た。
ローゼルも知らないと首を振りながらも一言付け加えた。
「昔見た古い文献に、神に仕える何かがそのような名を冠していたと記憶しております。」
「つっても、神に仕えてるんなら、神殺しの力なんてねぇだろ。」
「はい。私の記憶違いかもしれません。」
「まぁ兎に角、一筋縄ではいかないでしょうから、気を付けましょう。」
エドゥリアの言葉にルルが頷く。
「んじゃあ、行くとするか。」
ブロウの言葉で一行は王都を出た。
数時間後。
「こちらであってるんですか?」
エドゥリアの質問にブロウは苦笑いを浮かべながら答えた。
「実は俺も分かってないんだ。」
「え?」
「いやなぁ、ルーゼス様は砂漠の中央に向かってただ進めって言っててな。どこにいるとかは聞いてないんだ。」
「そうなんですか。」
「そもそも、その天使と言う魔物も、世界を破壊するのが目的ならば、ひとつの場所に留まっている理由は無いかと。」
ローゼルが隣で呟いた。
「確かにそうね。何か目印のようなものがあるのかしら?」
「分かんねぇな。とりあえずもう少し進んでみよう。」
「ですね。」
「いや、その必要は無い。」
声と共につむじ風が発生し、4人の前にルーゼスが姿を現した。
「ルーゼス様!」
「もうこの辺りでいいだろう。」
「この辺り?」
「そうだ。ここへ呼び出す。戦えるように準備をしておけ。」
全員がモウズから降り、戦闘に備える。
「呼び出すと言うのは一体どういうことなんでしょうか?」
エドゥリアがルーゼスに尋ねた。
「お前たちを砂漠へと進ませたのは、出来るだけ街から離す為だ。」
そう言うとルーゼスは目の前に手を出した。
「奴の居場所など関係無い。奴の目的は世界の破壊と神々の殲滅。ならば・・・」
ルーゼスの手の上で輝く光が現れる。
「神の力がある場所に、奴の方からやって来る。」
言い切るより早く、前方に大きな球体が現れた。
その表面は水のような質感で、白い液体に紫の液体を垂らしたような模様をしていた。
「な、何だよ。あれ・・・」
突然球体が破裂し、中から何かが現れる。そしてそれは、ゆっくりと立ち上がった。
身長は2m50cmほどの人型。だが人間よりも細身で手足が長く、蒼白い肌をしている。
手には、先端に金属の装飾のある棒状の武器を持っており、ドレスの様な鎧を纏っている。背中には、翼があったであろう位置に小さな突起が見えた。
頭部からは胸元まである金髪の長い髪が生えており、側頭部からは枯れ木のような角が伸びている。
そしてその顔には、目も鼻も口も無く、真ん中に渦巻き状の穴が開いていた。
「あれは・・・」
「・・・不浄王。」
驚く皆にルーゼスは答える。
「そうだ。ケイオスヘッドは同種ではないが、近しい存在である。」
「何だと?そんな奴に勝てるのか?」
「やるしかない。」ルルは冷静に呟いた。
後ろでエドゥリアがローゼルに近づき、小さく言った。
「最悪の場合、貴方を犠牲に2人を逃がします。」
「御意に。」
「では・・・健闘を祈る。」
そう言うとルーゼスは風と共に消えた。
標的を見失った天使であったが、戦闘態勢の4人を見て、標的を変える。
「来るぞ!」
天使は空を仰ぎ、甲高い咆哮を上げる。
それは警告音にも、歌声のようにも聞こえた。




