2. 恋しくて(4)
走るユキの腕がグイと掴まれた。ヘレムやサラナが追いかけてくる声がしていたものの、掴んだのはアルスだった。
「一人で泣くなよ。俺が側にいるから」
そう言うとアルスがユキを抱きしめた。
ユキの顔は既に涙でぐしゃぐしゃだった。ぽろぽろと零れ落ちる涙を止める事ができない。アルスが優しくユキの頭を撫でた。
「ニホンを思い出したのか?」
ユキがアルスの腕の中でプルプルと首を振った。
「家族が恋しいんじゃないのか?」
またプルプルと首を振る。
「じゃあ、俺の言い方がきつくて泣いたのか?」
「そんなんじゃないよ」
ユキが赤い目でアルスを見上げた。
「なら何で泣いてるんだ? お前が悲しんでいるのに、それに気づかないフリをしろとでもいうのかよ。そんなのは御免だ」
「私……いっぱいっぱい過ぎるの。自分の事だけしか考えられない。アルスに酷いことしてる」
涙がポロポロと落ちる。
「今気づいたのかよ? お前は出会った時からずーっといっぱいいっぱいじゃないか。そんなに重いなら俺も持ってやるから、一人で溜め込むな」
「アルスなんて。私よりもうんと重い物抱えてるじゃない。そんな人に持ってなんて言えないよ」
「それなら安心しろ。仕事なんて全部ググンにさせるから。ヒシグもいるから、俺なんて何もしなくてもいいんだぞ。本当は!」
ユキはプッと吹き出した。笑って泣いて、また笑って、顔の筋がどうにかなってしまいそうだ。
「あのね。やっぱり日本は恋しいよ。みんなに会いたい」
ユキの言葉にアルスの心がヒヤリとした。ユキが一人で苦しむことには耐えられない。でもユキの本音に触れるのは怖かったのだ。
「例えばだけどさ、神様がいたとして、『この扉を開けば日本ですよ』って教えてくれるとするじゃない? でも私はその扉は開けないと思うの。どんなに恋しくたって、その扉は開けない。開けちゃったらアルスはいないんだもの。そっちの方が耐えられないよ」
アルスが腕に力を込めた。
絶対に離さない
ユキが自分の事しか考えていないと言ったけれど、本当に身勝手なのは自分の方だとアルスはわかっていた。
ニホンを恋しがってもいい。家族に会いたいと思ってもいい。
でも本当にニホンに帰れる扉なんかが存在したら、ユキがどんなに止めようとも、自分はそれを叩き壊してしまうだろうと思った。
愛する者の幸せを真っ先に考えてやれない、自分勝手な人間だ。
「ねえ。アルス。ぐるしいー」
ユキがアルスの背をボンボン叩いた。
「悪い。悪い」
慌ててユキから腕を離した。ユキが頬をプウと膨らましている。意地悪をされたと思ったらしい。いつの間にか涙は止まったようだ。
「ダーシンは面白い奴だぞ。明日時間があれば話してみるといい」
「そうする。それにきちんと謝らなくちゃね」
ユキが微笑んだ。
翌朝ユキは急いで船の片づけをしている泉の畔に向かった。選手たちが小舟を馬車に詰め込んでいる。紫の小舟が見えると、側にダーシンの姿があった。
「ダーシン。昨日は、ごめんなさい。急に、笑ったりして。失礼だったよね。あの、私、藤城雪です。よろしく……」
ユキが早口で言葉を吐き出した。走ってきたものだから、息を切らしている。
「いえ。何も気にせんで下さい。それより落ち着いて。息切れてますやん」
プッとダーシンは吹き出した。
「……思てたんとちゃいますね。なんや『女神様』言うから、ツンとしてすました人、想像してましたけど、普通の女の子ですね。隊の奴らが可愛らしい人や言うてましたけど、わかりますわ」
あけっぴろげに褒められてユキの顔が赤くなる。ダーシンがそんなユキを見て、赤面した。
「ちゃいますよ! 何か変な事言いましたね。すんません」
ダーシンがポリポリと頭を掻いた。
「昨日俺、何か変な事言いました? なんや失礼な事言うたんやないかと逆に気になって」
「違うのよ。本当にごめんなさい。ダーシンは何も悪くないの。ダーシンのその……方言がね、私の国にある方言と全く一緒なのよ。それでまあいろいろ思い出したら可笑しくて」
ユキは姉に何度も会いに行った大阪について、どんな所なのかダーシンに話した。
「……それで私、お笑い番組も好きでよく見るんだよね」
「バングミですか?」
「えっとねえ。テレビ…………劇場で芸人さんが、面白い事しゃべるのよ。それが好きでね。まあ、生では見てないんだけどね」
「芸人さんがおもろい劇やるっちゅうことですか?」
「うん。そう、そうそんな感じ。それが大好きなんだよね」
「若い女の子やと、今ハヤリの芝居なんかが好きなんかと……」
ユキとバチリと目が合って、ダーシンが目を逸らした。
「あー、あのお芝居ね。エレノワ様から聞いたわ……ハハ。あれ実話じゃないからね? フィクションだからね?」
「……すんません」
「やだ、ダーシンが謝る必要無いんだって」
ユキが笑いかける。
「……で、何の話してたっけ?」
「お姉さんが住んどるいう……」
「ああ、そうだった。大阪について話してたんだった」
二人が話し込んでいると、ダーシンが馬車の方から呼ばれた。
「あっ! ごめんね。片づけの途中だったよね」
邪魔をしてしまったと思い、ユキがいそいそと立ち上がる。
「かましません。帰るだけですから」
ダーシンがニカッと笑った。
「私も戻るね。なんか……ダーシンと話せて良かった。その言葉聞いてると、凄く胸がギュッてなるんだけど、もっと聞きたくなっちゃうな」
ダーシンが微笑む。
「いつでもどうぞ」
ユキも微笑んだ。
別荘に向かって歩き出したユキは、振り返ってダーシンに叫んだ。
「また宮殿でね!」
ユキが手を振ると、ダーシンは一瞬躊躇したものの、小さく手を振り頭を下げた。




