7. 浸食(1)
大宮殿の謁見の間で、ベルサド王国からの使者の到着が知らされた。サマルディア皇帝のサロールと皇太子のアルス、女神のユキが迎える。
大臣のダマクスについてベルサド王国の使者が入ってきた。
使者は三人。ベルサド王国の学者が一人とその侍従が二人だと聞いている。
〈女神の書〉のサポートをするだけなので、少数での来訪だった。
先頭の男が皇帝のサロールに挨拶すると、顔を上げた。
ユキの想像していたよりも学者はずっと年若だった。
勝手にヒリク先生のような年配者をイメージしていたのだが、彼はユキとほとんど年齢が変わらないように見えた。
そして驚くほどの美形だった。
髪はさらりとした金髪でベルサド人特有の褐色の肌では無く、どちらかと言えば白い肌をしている。
目は切れ長で鼻筋も通り、スラリと背が高い。
サロールへの挨拶を済ませると、次に彼はアルスとユキの前に進み出た。
丁寧にお辞儀をする。挨拶の言葉を侍従の少年が通訳している。
彼はサマルディア語には通じていないらしい。
「私はイリヤ・ハルヴァリと申します。ベルサド王国の宮殿学院の次席を務めております」
イリヤが深々とお辞儀をした。
アルスがそれを受けて、自己紹介とユキの紹介を行った。
イリヤが顔を上げると、ユキと視線が交わった。彼の瞳はパッと晴れ渡る空色のアルスとは対照的で、静かな深い海の色をしていた。
イリヤとその侍従を伴い暁の宮殿に帰ると、一行は書庫の横にある中広間へ入った。広々と使えるこの部屋に、イリヤ達が持ち込んだ、ベルサドの資料や書籍が運ばれる。
そしてお互いの侍従を交えて再び自己紹介を行った。
まずユキが口を開く。ユキが紹介するのはもちろんいつも一緒のヘレムとサラナだ。当然ユキは自覚できないが、それはベルサド語で行われた。
次にイリヤが侍従の二人を紹介する。
一人はまだあどけなさの残る、10代のキリルで主にサマルディア語の通訳を行うようだ。もう一人は、ザンバラとした茶色の髪に白い筋の入った50代くらいの男性で、ラスカーと言った。
彼はイリヤの護衛と身の回りの世話が仕事の様だ。よく日に焼けた太い腕にはコンドルの入れ墨が入っている。
紹介を終えると、ユキは作業は明日からという事で、今日はこれで解散する事にした。
彼らも旅の疲れをとり、荷の整理があるからだ。それにユキも徹夜が響いていて、少し自室でゆっくりと過ごしたかった。
紅玉の間に戻ると、ヘレムとサラナが黄色い声を上げた。
「まさか使者があんな美形だとは、思いもよりませんでしたわ」
サラナが興奮している。
「ホントになんてキレイな男の人かしら。これから毎日楽しみね」
ヘレムもニコニコ顔だ。
「ユキ様。ベルサド語を教えてくださいませ」
サラナが言うが、ユキには無理だ。
「文字ならたぶん教えてあげられるけど、会話は無理よ。私にはサマルディア語とベルサド語の違いがわからないんだから」
「エー」と二人は渋面を作る。
「ググンなら、ベルサド語を知っているんじゃない? ベルサド王に通訳も付けず、何か話しているのを見かけたもの」
二人の顔はさらに渋みを増した。
翌日からベルサド語の〈女神の書〉作成の準備に取り掛かった。
ユキが中広間に入ると、既にイリヤがいくつか書物を抜粋し、テーブルの上に並べていた。
「おはようございます。お早いですね。旅の疲れは取れましたか?」
ユキがベルサド語で話かける。
「はい。おかげさまで、ゆっくり過ごす事ができました」
イリヤがユキに微笑みかける。
横でヘレムがその笑顔にうっとりとしている。
ふと気が付くと、今入ってきた扉の横の壁沿いにハセルの姿が見えた。
ユキがビクリとなる。
「びっくりしたあ。……ハセル……こんな所で何してるの?」
ユキが質問すると、ハセルが答えた。
「皇子のご命令で、一人立番する事になっているんです。気にしないで下さい」
「…………何の為に?」
ユキが怪訝な顔でハセルを見る。
「いえ……それは。後で皇子にお尋ね下さい」
ハセルはおろおろと困り顔でユキに答えた。
ここで今問い詰めても仕方が無いよね
後でアルスに聞いてみる事にして、ユキは再びイリヤに向き合った。
まずは、ベルサド語の本の閲覧からだ。
自分が本当にベルサド語を読めるのか? そして書くことができるのか?
サマルディア語でやった基本的な所から作業は始まった。
翌朝ユキは大宮殿へ向かおうとするアルスを、門前で引き止める事ができた。
昨夜は帰りが遅くてアルスと話せなかったのだ。
「アルス。昨日広間にハセルがいたわ。あれは何なのよ?」
「一応警備だ。何たってベルサドからの使者だしな。スパイの可能性だってある」
アルスの言葉は辛らつだ。
「三人とも話したけれど、とてもいい人達よ」
昨日は懇親会という事で、昼食を全員で取ったのだ。
キリルは13歳でイリヤの学生らしい。サマルディア出身らしく、言葉に長けているので通訳として来たと言う。
ラスカーはイリヤが子どもの時から、彼の家に仕えていたという護衛人だ。よく笑う人で、見た目ほど怖い人ではない事がよくわかった。
そしてイリヤは口数自体は少ないものの、丁寧で物腰の柔らかい人だ。
三人とも、とてもスパイには見えない。
「とにかく、広間には必ず一人付ける。気にせず仕事に励め。少しでも早く『女神の書』を終わらせてくれよ」
そう言うとすぐにコルトを走らせて行ってしまった。
同盟の締結が終わったというのに、細かい仕事がまだ山の様にあるらしい。
……何とも慌ただしい人ね
ユキはアルスの背中を見送ると、翡翠宮の広間へ向かった。




