34. そして男はすべてを知った
魔王としての使命を終え、光となって消えかかった意識は、深い闇の中を漂っていた。しかし、今回はいつもの機械的な転生とは違った。魂の奥底まで染み渡る、心地よい温かさ。それは、まるで遠い昔に交わした、たった一つの約束の場所に帰ってきたかのようだった。
『トーフマンさん? トーフマンさん!』
シアさんの声が、遠く、そして少しだけ焦燥を帯びて響く。
『いつもの転生なら、もう目を覚ましているはずなのに。魔王としての力を使い果たしたせいで、疲れてしまっているのでしょうか? それとも、また蜂蜜酒を飲まされたかのような酩酊状態に陥っているのでしょうか!?』
シアさんが必死に呼びかける声が、まるで遠い幻のように聞こえていた。彼女の焦る気持ちとは裏腹に、俺の心は穏やかだった。なぜなら、彼女の魂の奥底に触れていたからだ。彼女がシステムアナウンスになる前の記憶、一人の少女として生きていた頃の記憶が、思念の奔流となって俺の中に流れ込んでくる。
(ああ、そうか。そうだったのか。あの途絶えた手紙、病室の匂い、そして最期の瞬間の強い願いの光)
そして、長い長い沈黙の後、俺の意識はゆっくりと覚醒した。
「シアさん。また会えて、よかった」
俺が静かに、胸に込み上げる安堵を込めて呼びかけると、シアさんの声が、驚きと、押し殺した喜びで弾んだ。
『よかった、目が覚めましたね! もう少しで転生システムを再起動するところでしたよ!……って、今、何か言いましたか?』
彼女は、システムアナウンスとしての冷静さを保とうとしている。
「もう大丈夫だ。心配をかけてごめん。それと、すべて知ったよ。君が誰で、なぜ俺のそばにいるのか。そして、この絆の意味も」
俺の言葉に、シアさんの声が一瞬、固まる。数秒間の沈黙が、宇宙に流れる時間のように長く感じられた。そして、どこか寂しげな、それでいて温かい声で返してきた。
『そう、ですか。魂の深層で触れ合ってしまったのですね。こんな形で知られることになるなんて、システムとしては不覚です。一人の少女としては、少し恥ずかしいですね……』
お互いに、人間だった頃の本名は思い出せない。だが、それでもよかった。お互いがどんな人生を送り、どんな気持ちでここにいるのか、全てを理解できた今、人間の頃の名前など必要なかった。
「てっきり、手紙の返事が来なくなったのは、もう亡くなってしまったのかと。だとしても、君の両親から連絡があるだろうし、昏睡状態だとは言いづらかったのかもしれないと勝手に思案を巡らせていたよ。そして、勝手に納得していた自分を恥じるばかりだ」
『フフ。そうだったのですね。私は、最後の最後まで、あなたの笑顔を求めていた。だから、今、こうしてあなたの旅路の隣にいられる。それが、私にとっての報酬です』
俺がそう言うと、シアさんは頬を赤らめているようだった。
『今の姿は、健康的だったらこうなっていたであろう姿に、豆腐の女神がしてくださったものなんです。女神補正はサービスらしいですよ』
彼女の声は、どこか照れくさそうだった。俺は、その言葉を静かに頷きながら、ふと、自分の体の異変に気づいた。そう言えば、声が心なしか太く、深くなっている。体内に満ちたエネルギーは、これまでのどの転生よりも巨大だ。この感覚は、まるで沢山の命を抱擁するかのようだった。
「シアさん。今度は、どこの何に転生したんだ? この存在感は尋常じゃない」
俺は、自分の声の太さや、体内に秘めたエネルギーの大きさに比例するであろう、この物理的な存在の大きさを把握しながら、ようやくシアさんに問いかけた。その問いかけに、シアさんの声が、抑えきれない興奮と、誇らしげな明るさを持って響き渡る。
『おめでとうございます、トーフマンさん。あなたの旅は、新たな始まりを迎えます』




