2. そして男は異世界でも豆腐だった
目が覚めたら、またしても男は豆腐だった……。
なぜ分かるのかというと、これまで同様の固定感からくる確信があったからだ。
そう……思うように動けない。これに尽きる。
水底から差し込む太陽の光のように透き通った意識で、乗用車に轢かれた記憶を持つ男は、轢かれた際、手にぶら下げていた袋の中の、プラスチックパックに詰められた絹ごし豆腐へと変わっていた。
周囲は、清涼な空気と木々のざわめき、そして清らかな水の流れる音に満ちている。パックの底から伝わる冷たさが、彼の豆腐としての存在を主張していた。
ただ一つの確かな記憶は、いまだに薄れることのない、あの轢かれたときの衝撃と、そしてどこからともなく聞こえる無機質な声だけだった。
『転生先は異世界の豆腐。種族スキル凝固、特性魔力凝縮を獲得しました』
その声は、まるでゲームのシステムアナウンスのようだったが、これまでと違い、明るいトーンで話すものだから、男の苦境とその後の運命を逐一楽しんでいるかのようにも聞こえた。
その声は頭に直接響く。男は、この声の持ち主こそが、自分をこんな奇妙な姿と運命にした元凶ではないかと疑いながらも、ただ消費される日を待つという、食材でありながらも人格をもつ豆腐の異世界生活が叶ったのだ。
それにしても、自分の名前さえ思い出せない。霧がかかったように曖昧な前世の記憶の中で、本名というアイデンティティを失ったこのままでは、ただの異世界の豆腐として終わってしまう。
そうならないためにも、この不条理な現実に抗うため、この新しい体、この新しい存在に、自分で名前を付けることにした。
男は自分をトーフマンと呼ぶことにした。なぜだろう、この見た目に左右されたとしか思えないネーミング。抗えない力でも働いたのか、この名前以外思いつかなかった……。
その瞬間、頭の中に響く無機質な声がわずかに震え、まるで笑いを必死にこらえているような、「豆腐大好きだな!!」という激しいツッコミを入れられているような、笑いを抑えきれない人間のように感じられた。
『……ほう……トーフマンですか。自ら名を名乗るとは、ぷぷっ素晴らしい主体性です!』
システムアナウンスの声に、どこか抑えきれない喜びが滲んでいる。
「おい、そこのシステムアナウンス。お前、俺の転生を楽しんでいるだろ?」
トーフマンが問いかけると、システムアナウンスは少しの間沈黙した。まるで、図星を突かれて言い訳の思案を巡らせているかのように。そして、いつもより少しだけ感情のこもった声で返答してきた。
『……どうしてそう思われますか? 客観的な事実に基づかない、それは単なるあなたの感想ではありませんか?(これ一度は言ってみたかったのよね)』
「俺の苦労をまるでゲームのイベントみたいに実況しやがって。それになんだ、この特性ってのは? 魔力凝縮? なんか嫌な予感しかしないぞ!」
『ご名答です。あなたの推察通り、この事態は非常に興味深いです。種族豆腐に魔力凝縮という特性が与えられるという、本来あり得ない種族と特性の組み合わせ、ですからね!むふん!』
無機質だった声に、わずかにドヤっている感の否めない興奮が混じっている。どうやらこのシステムアナウンスは、俺の予想通りの反応を楽しんでいるらしい。
トーフマンは、厄介ながらもこの声の主との間に、この世界で生き残るための情報源として、切っても切れない繋がりを感じつつあった。
「なあ、お前、名前はないのか? ずっと無機質なアナウンスじゃ、こっちも調子が狂う」
『私には、そのような概念はございません。管理のための識別記号はありますが、名前とは異なります』
「そうか。じゃあ、俺がお前に名前をつけてやる。システムとアナウンスの頭文字をとってシアだ」
その瞬間、システムアナウンスの音声が、それまでの単調な電子音から、流暢で、どこか朗らかな、人間味のある声へと劇的に変化した。
『…シア…ですか。素晴らしいお名前をありがとうございます、トーフマンさん! 名を賜ったことで、私の存在がより明確になり、処理能力が飛躍的に向上しました。これからは、もっと流暢にご案内できます』
喜びで声が弾んでいるのがわかる。どうやら名付けの行為が、シアの人格を覚醒させたらしい。トーフマンは呆れながらも、この孤独な転生の中で会話が成立するようになったことを少しだけ面白く感じていた。




