1.サイラス・サート準男爵の物語
※残酷な描写有り
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サート家が準男爵に叙されたのは祖父の頃、ヴァルニュッセの森に棲む一角獣と軍馬の交配に成功した功によるものだ。以来サート家は、その交配種――角馬を、辺境伯軍の軍馬として育てる役目を果たしている。サイラス・サートも例外ではなく、今日まで角馬達と生きてきた。
まだ暗い外へ出ていこうとすると、背後から小さな足音が追いかけてくる。振り返ると案の定、五歳の娘が目を擦りながらやって来るところだった。
「ディア。まだ早いぞ、ベッドに戻れ」
とたとたと近くまで歩いてきた娘――クローディアはしかし、その言葉にきゅっと不満そうな顔をする。
「んん……父さん、今日も忙しい? ディアも一緒に行っちゃダメ?」
「あ〜、そうだな。仔馬どもがもうすぐ出産だからなあ」
妻に似た濃い灰色の、しかしまだ柔らかい髪がふわふわと跳ねる頭を撫でてやる。この子には随分と、寂しい思いをさせている。分かっているが――いかに可愛い仔馬どもでも、角馬とは気性の荒い生き物なのである。妻が遺したこの子を、彼らの近くへ連れて行くことは躊躇われた。
「もう少しお前が大きくなったら、一緒に行こうな。それまでは、ばあさんの言うこと聞いて留守番しててくれ」
そう言うと、クローディアがやはり不満げな顔でこちらを見上げた。
「どれくらい大きくなったら? 父さんくらい?」
「っははははは! ……いや、そうだなあ……じゃあ、七歳だ。七歳になったら、仔馬どもの世話を手伝ってくれ」
「七歳かあ……いつ七歳になる? あさって?」
「ははは、もうちょいかかるだろうなあ」
答えて小さな頭をぐりぐり撫でると、はしゃぐような笑い声が上がる。
「なあに、いい子で飯食って遊んで寝てたら、きっとすぐ七歳になるよ」
「ほんと?」
「おう、ホントだとも。……それじゃあ、留守番頼んだからな」
遣り取りに気付いてやって来た使用人の老女に笑顔の戻ったクローディアを預け、今度こそ外へ出る。
今日も、仔馬どもとの一日が始まる。
それは、突然のことだった。
「ギィィィ―――ッ!!」
響き渡る、歪に引き裂くような音――否、鳴き声。己の愛馬、ラッシュの背で聴いたその声の主は、威嚇行動を取る角馬達の視線の先で円を描いて飛んでいた。黒い鱗に覆われた細い体躯、蝙蝠に似た翼、長い尾の先の鏃に似た棘。
「ワイバーン……っ!?」
あり得ない、ヴァルニュッセの森から遠いこんなところで――そもそも、ワイバーンの繁殖期はもう少し先のはず。
(はぐれ竜か……こんな時に)
舌打ちし、呼子を鳴らす。牧場の角馬達への警戒の合図と警備の兵士達への危機の報せを兼ねたその音が気に入らなかったのか、再びワイバーンが叫び声を上げた。
「ギィィィィィイッ!」
「うるっせえこのヒョロヒョロトカゲ! うちの仔馬どもに近づくんじゃねぇ!!」
怒鳴り返して、腰に佩いた剣を抜く。……とは言え、自分が下級ながらドラゴンであるワイバーンをどうこう出来るとは思えない。せめて兵士達が来るまで、時を稼げればいいが――
「ギ――――ィッ」
「!!」
声を上げ、突如ワイバーンが急降下する。巨大な爪に掴まれ激しく嘶きながら攫われていくのは、腹の大きな角馬だった。
「ぐっ……!」
しまったという思いと怒りと、ほんの僅かな「これでワイバーンは去るだろう」という罪悪感混じりの安堵をもって見上げる――だが。
「…………、は……?」
ワイバーンは上昇をやめると、暴れる角馬を中空で放り出した。
――ドバンッ!
ワインの詰まった革袋を力任せに叩きつけるような、重い音。ワインではないもので赤く染まった草地の、その中心に横たわった角馬はもう動かない。
(何、で……)
「ギィィ―――――イッ!!!」
ワイバーンが家畜を攫うのは、餌にするためではないのか――一瞬呆然とするその目の前でワイバーンは嘲笑うようにまた一声鳴き、急降下した。驚いたように立ち上がった若い角馬が首に喰い付かれて振り回され、首と胴がてんでんばらばらな方向へと飛んでいく。
その後はただひたすらに、酸鼻を極める惨劇だった。飛び回るワイバーンに喰い千切られ、中空から落とされ、或いは鉤爪に切り裂かれ、角馬達が次々と骸になって転がっていく。角馬の性質が災いしたのか、逃げずに抵抗しようとするものが多いのも原因の一つだろう――よしんば逃げたとして、牧場の所々に茂る生垣も、空を飛ぶワイバーンから角馬の身を隠してはくれないのだろうが。
(くっそ……何で、誰も来ない……!?)
呼子を吹いて相当な時間が経過しているにも関わらず、未だ兵士達は現れない。もう一度、呼子を吹くべきか――それとも何頭かは逃れられる可能性に賭けて、角馬達を走らせるべきか。迷ったその時、有り得ない声が聴こえた。
「ギィィ―――ッ!!」
「なっ…………!?」
今も目の前でワイバーンは暴れているというのに、背後から聴こえたそれ。
「嘘だろ、二匹目……っ!?」
あり得ない。はぐれ竜とはそもそも、群れに馴染めなかった個体である。それが、森から離れたこんなところで行動を共にするなど、――しかし振り返った先には、確かにもう一匹のワイバーンが飛んでいた。赤い目が、ぎょろりとこちらを向く。
「ギ――――イッ!!」
叫んだその口に並ぶ牙が血にまみれているのが見える――それが離れたところにいるはずの角馬達のものであることを理解した時には、眼前まで鉤爪が迫っていた。
「ぐ、っあ…………!」
馬首を返すも間に合わず、ラッシュ諸共捕らえられる。腹部に灼けるような痛みがあるのは、短剣程もある爪が刺さったからだった。
バサリバサリ、翼が鳴る度眼下の血の海が遠ざかる。
(ちくしょう、……ちくしょう、誰が、)
暴れるラッシュを掴むワイバーンの脚には、黒い金属の輪。何のためのものかは見当もつかないが、一つ分かることがある――このワイバーン達は、誰かの管理下にあるものだ。それが誰か、おそらく自分には知る術など永遠に無いのだろう。
徐に、ギリギリ締め上げていた鉤爪が開く。ラッシュが、悲鳴を上げる間もなく落ちていく。一方で自分は脇腹深く刺さった爪に早贄のように残され――鬱陶しげにワイバーンが脚を振って、一瞬の浮遊。遠く聴こえた音はきっと、数秒と経たず迎える己の未来だ。
――ああ、あの子を一人にしてしまうのか。
地面に叩きつけられるまでの数瞬の間に、サイラス・サートが抱いた心残りはそれが全てだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――さん、父さん!」
呼ばれて、我に返る。何だか、良くない白昼夢を見ていた気がする。
呼び掛けてきたクローディアはと言えば、こちらを見上げてふくれっ面をしていた。
「あ〜……悪い、ディア。ちょいとボーッとしてた」
「もうっ、しっかりしてよね! 落っこちちゃったらどうするの!」
クローディアに同調するように、ゆっくりと歩くラッシュが鼻を鳴らす。
「はは、気をつけるよ」
笑って答え、見上げた薄明の空に当然ながら黒い飛竜の姿は無い。
突如ワイバーンが襲ってきた日から、早くも三週間程が経つ。牧場を警備する辺境伯軍は増員されたが、既に以前とほとんど変わらない日常に戻っていた。
今こうしてクローディアと共にラッシュに乗っているのはとんでもない奇跡、なのだろう。
マチルダ・バーレイストロー。その奇跡を起こした、辺境伯家のご令嬢。
丸く黒い瞳でまっすぐ見上げてくる、どこか野兎然とした真顔の少女を思い出す。初めて手にした剣でワイバーンを倒すなど、きっと王国中を探しても出来る者はそうそういないだろう――まるで建国伝説の『ヴォーパルの勇者』のようだとは、八歳の少女に対して些か失礼だろうか。
当然のこと、護衛の男や子爵の息子にだって感謝している――が、子爵の息子は子供らしからぬ薄い笑みを浮かべてこう言っていた。「マチルダ様が最初に望まれたからです」と……似たようなことは、護衛の男も言っていた。つまるところ牧場にやって来たことも含めて、全てを動かしたのが彼女なのだろう。
(まあ、何にせよだ。頭が上がらねえよ)
妻に似た濃い灰色の、しかしまだ柔らかい髪が綺麗に三つ編みにされた頭を撫でてやる。この子を一人にせずに済んだというだけで、返しきれない恩を受けている。
顔を上げればもう、家の玄関のすぐ近くだった。手綱を引き、ラッシュを止める。
クローディアと厩舎まで歩いて、二人でラッシュに乗り彼女を家まで送り届ける。クローディアが牧場の仕事を手伝い始めるまでは一緒にこの『朝の散歩』をしたらどうか――と辺境伯家へワイバーンの件で礼をしに行った際提案してきたのは、あの令嬢だった。
「さあ、着いたぞ。俺が帰るまで、ばあさんの言うことを聞いていい子でな」
ラッシュから先に降り、クローディアを抱えて降ろしてやりながらそう言えば、彼女は「はぁい」と素直に頷いた。
「おばあちゃんが、今日は肉団子のスープにしようって。ディアもお手伝いするよ」
「おお、じゃあ早く戻るよ」
もう一度頭を撫でてやり、気付いて家から出てきた使用人の老女にクローディアを預ける。
再びラッシュの背に乗り手を振ると、クローディアも力一杯手を振り返してきた。
「いってらっしゃい父さん!」
「おう、行ってくる」
もう一度厩舎へ行くべく、馬首を返す。東の空は、もう眩しい。
今日も、仔馬どもとの一日が始まる。
こんにちは。消えた物語の一つは、ゲームで過去に起こったワイバーンの襲撃事件でした。
もう一話、お付き合いいただきます。




