8.マチルダ、計画を始動する
閲覧、ブクマ、ありがとうございます。
ワイバーンの襲撃事件から、三週間程が経った。
今私は、屋敷の庭にいる。花が咲く庭ではなく裏手の奥まったところの、土が剥き出しの区画。辺境伯家の護衛を勤める私兵達が主に使う、訓練場エリアである。
隅の日陰に座り、金属製の水筒から水を飲む。汗ばんだ額に、夕方の風が涼しい。
あれから、私の周囲では幾つかの変化があった。
一つ。ケニーが、私の専属護衛になった。
父はどうやら、私を『気弱で大人しいマディ』とは思わないことにしたらしい。今回の私の暴走を知っているケニーはつまり、護衛半分お目付け役半分である。まあ、一度迷惑を掛けているのだ。さすがに私だって今後は多少考えるだろう……多分、きっと。
ケニーは今回のことで、減俸一回となったそうだ。「報償だって出ましたし、独り身なんで一回くらいどうってこと無いっすよ〜」と笑っていたが、本当に申し訳ない。……ちなみに私には、ミス・エルグレイによる単語の書き取り地獄が待っていた。終わった時には二度とフォークも持てないんじゃないかと思ったが、今や木剣を振っているのだから人体とは丈夫である。
二つ。そのケニーから、剣を教わるようになった。
皆に心配や迷惑を掛けるのは望まない……とは言え。ゲームの運命云々の前に、そもそも魔物がいる世界だ。今後も魔物と対峙する可能性があるのならば、やはり最低限――欲を言えば平均以上の実力は欲しい。父に対して剣を学びたいと言った時は何度でも説得する覚悟でいたが、蓋を開ければ二つ返事で許可された。あまりのことに拍子抜けして聞いてみれば、また無茶なことをする可能性があるならばいっそある程度の実力はつけさせよう、ということになったのだそうだ。「あなたはお父様に似たのねえ」とはその場にいた母の言である。聞けば父も若い頃は(今だってまあまあ若いとは思うが)それなりに無鉄砲だったのだそうだ。父のことは尊敬しているが、似ていると言われるのは娘としては複雑だ。
「結構サマになってきましたね、お嬢様」
「そうでしょうか。だったら嬉しいのですが」
木剣を肩に担いだケニーまで、「さすが辺境伯のご令嬢っすね」と笑っている。複雑ではあるが、マチルダの脳筋ステータスはおそらく、本当に父に似たのだろう。短い木剣での素振りも地面に立てた棒への打ち込みも、とても自然に体が動く。これならば、チュートリアル完了レベルまでは比較的早く到達出来るのではないだろうか。
(うん、私は問題無いんだよ……私は)
胸中で溜息を吐き、ちらりと私は隣に転がるぼろ雑巾に目を向ける。
「その、……クレイトン様?」
「…………はい、何でしょうマチルダ様」
ぼろ雑巾――もとい、クレイトンからの返答は彼にしては随分と遅く、地を這うように低かった。
「あまり、ご無理はなさらなくてもいいんですよ……?」
私の言葉に、深緑色が胡乱げにこちらを向く。おそらくHPは赤ゲージだろう。
三つ。クレイトンが週に二度程、私と一緒に剣の稽古を受けることになった。
先週父から聞いた時には、正気を疑った。何しろゲームにおけるクレイトンは、マチルダとは真逆のもやしっ子ステータスだったのだ。それが剣の稽古と聞かされて、真剣に「稽古中に死ぬんじゃないか」と心配したものである。……実際にはケニーが上手く采配してくれているので、こうして瀕死程度で済んでいるわけだが。
クレイトンは汗ばんだ額に貼り付く前髪を鬱陶しげに掻き上げ、へら、と笑う。ちくしょうめが……子供の癖に、何かちょっと色っぽいのは何なんだ。
「……そういうわけにもいかないでしょう。マチルダ様がどこへ行こうと、お傍で助けるとお約束したんですから」
それで、これだ。改めて言われると恥ずかしいのだが、クレイトンは平気で何度でもこの約束を口にする。私が答えに迷って口元をもにもにさせていると、ケニーが笑い声を上げた。
「いい心掛けですぜクレイトン様。……まあ、まずは人並みを目指しましょうか」
「あはは、面目ない」
こうやって、(端々の言動こそ落ち着き払った奇人であるが)年相応の――今は十一歳だそうだ――少年のように見える、『裏切り者の奇人』ではないクレイトンを知るにつれて。一つ、私は疑問を抱えるようになった。――クレイトン・メルキュリーは、本当に心底望んで主人公達を裏切ったのだろうか?
ゲームでのクレイトンの裏切りは、酷くあっさりしたものだった。ウエストベイルのシナリオの最中、彼は「旧代の知識に関する秘密は我らのもとにある」という敵の誘いに簡単に乗って去っていくのである。魔術や錬金術の研究・探究こそが行動原理だった、彼らしいと言えばそれまでなのだが。
(だけどもしかしたらさ、……こいつにも何か、あったのかもしれないんだよね)
その『何か』が具体的に何なのか、ゲーム内での言及は本当に無かっただろうか。例えばモブの台詞。例えば本棚や机を調べると稀に見つかる日記や書付け。そういったものの中に、ヒントは無かっただろうか? 何か、忘れていないだろうか――
「どうしたんですお嬢様、そんなに見てたらクレイトン様の顔に穴が開きますよ」
「あはは、さすがに照れちゃうなあ。それでマチルダ様、どうかされましたか?」
二人からそう指摘されて、我に返る。どうやら私は考える間、ずっとクレイトンの顔を凝視していたらしい。……私が幼女でよかった、危うく危ない人である。
「え……? ああ、すみません。ええと、その、ほら……今日もお持ちくださったお菓子をいただくのが楽しみだな〜、なんて……」
咄嗟に返して、「何だそれ」と内心自分にツッコミを入れる。こちとら八歳とは言え乙女だぞ、誤魔化すにしても他に何か無かったのか。
クレイトンは少しだけ私を観察するように見上げて、それから漸く余裕が出来たのか常の薄笑いを浮かべた。「よっこいしょ」と今日も爺臭い掛け声と共に体を起こす。
「そう仰っていただけて何よりです。もしお好きなものがあれば、教えていただければまたお持ちしますよ」
「ありがとうございます、クレイトン様」
子爵やまだ見ぬ子爵夫人の教育が行き届いているのか、クレイトンは稽古にやって来る度私に手土産をくれる。大体はメルキュリー家の屋敷がある領都の焼き菓子店で買ったものだが、一番最初だけは花だった。小さな花束の、釣鐘水仙。
(いや、嬉しかったよ。嬉しかったけどさあ……)
サート卿の牧場から程近い森に群生していたというそれは大層綺麗だったが、土産話を聞いて危うく後ろにひっくり返りそうになった――森の中には認識阻害魔法を付与された杭が幾つも打たれていて、杭で囲まれた内部は酷く荒らされていたと言うのだ。残された爪痕などをメルキュリー子爵と辺境伯軍が調べ、最終的にワイバーンを潜ませていたのだろうと結論づけられたのだとか。何というものを引き当てるのだろう、こいつは。
その時にまさかと思って訊いてみれば、案の定。クレイトンは兵士達が調査で歩き回るのを横目に釣鐘水仙を摘んで、メルキュリー子爵に頭を叩かれたらしい。何ででしょうねと笑っていたが、こいつは辺境伯領そのものに打撃を与えかねない事件に関わる場所で何をしているのか。メルキュリー子爵の胃が心配になるし、将来こいつが仕えるはずのアーサーのことはもっと心配になる。
実のところ、もっと心配な人間はいるのだが。うっすらと、本当にうっすらとだが、遠回しに母から仄めかされている気がするのである。何をって? 縁談を。メルキュリー家はバーレイストロー家に仕えて長く関係も良好であるところがまた、母のちょっとした雑談と言うには微妙に現実味があるのが恐ろしい。
(……ちょっと一旦忘れよう、この話)
「ええと……そう言えば、クレイトン様。サート卿はお変わりないでしょうか」
クレイトンはあれ以来、よく父の遣いで牧場を訪ねているそうだ。一度屋敷まで訪ねてくれて以来会っていないサート卿についても当然近況は把握していて、私の少々強引な問いにも首肯が返ってきた。
「ええ、お元気でしたよ。今は角馬の出産でお忙しそうです」
「そうですか、……角馬達が無事に子を産むことが出来たなら、何よりですね」
あなたが助けた角馬もそろそろお母様におなりでしょうか、とケニーを見上げると、「だといいっすね」と笑顔が返ってくる。
「いやホント、今だから言えますけどワイバーンを倒せてよかった……何しろサート卿には、まだ小さい娘さんもいらっしゃいますからねえ。あの人に何かあれば馬だけじゃなく、その子だってどうしてたか」
奥方は娘さんが産まれた時に亡くなったそうですし、とケニーは続けた。
なるほど、子供は一人、しかもまだ幼い娘。サート卿の技能を伝えられた後進がいなかったことも、ゲームで角馬の供給が途絶えていた理由の一つだろう。
私が内心頷く一方でクレイトンはその話にはさほど興味が無いのか、自分の水筒を振りながら――どうも早々に空にしてしまったらしい――、「そうですねえ」と気のない声で応じる。
「年齢によっては、使用人見習いという形で引き取る手もあるでしょうけど……確かクローディア嬢は、まだ五歳くらいですからねえ。辺境伯様もあまり贔屓は出来ないでしょうし……現実的なのはまあ、親類の家に養子入りでしょうか」
まあ、そうだろう。「友人の残した子を引き取る」というのは一見美談だが、サート家はバーレイストロー家の家臣、しかも準男爵。いい顔をしない家臣もいるのかも……いや、今、何て?
「…………クローディア?」
「え? ああ、サート卿の娘さんのお名前ですよ。クローディア・サート嬢。何かありましたか?」
私の呟きを拾ったクレイトンが、水筒を覗き込むのをやめてこちらを見る。その目が探るような色を帯びて見えて、私は慌てて首を振った。
「え? ああ、いえ、何でも。そうですか、弟と同じ歳のお嬢様が。ではなおのこと、何事も無くて何よりでした」
当たり障り無くそう答えながら、私は脳内にあるゲームの情報を浚う。
クレイトンが口にしたサート卿の娘の名前、クローディア。同じ名の少女が、ゲームに登場していた。フリフリの黒ゴスロリ衣装に大鎌を携え、プレイヤー達から『闇堕ち魔法少女』と安直な渾名で呼ばれていた魔術師、『夜の風のクローディア』。彼女は主人公達の敵として登場する人物だった。
彼女が人間であることや、家族を亡くしたことはゲームでも聞いていたが。まさか、家族とはワイバーン襲撃で犠牲になったサート卿だったのだろうか。
そして彼女は、ネクロマンサーだった。ウェスベイルのシナリオに登場するボーンライダー――生前サート卿であっただろうアンデッドモンスターもまた、彼女によって作り出されたのである。
(危なかった……あっっっぶなかった!)
彼女がそれを父と知っていてもいなくても、酷い話であることには変わりがない。ゲーム時点で十三歳の幼気な少女に対して、誰だそんなこと提案した奴は。
兎に角。これは図らずも、エネミーを一人減らしたということになるのだろうか? だとしたらよかった……彼女は強かったし、何よりクローディアは――いや待て。
(……クローディアを殺したの、クレイトンじゃん!?)
しかもちょうどやって来た主人公達に向けて彼は、「少し、実験に付き合ってくれないか」と言い放つのである。何だ実験って、人の心はどこにやった。最後の魔法で自らをアンデッドにしてしまったクローディアを倒すのは、割と心に来た。
ゲームプレイ時の何とも言えない気持ちを思い出してやや気分の沈んだ私に、「いやいや、」とケニーが手を振った。
「『何より』も何も。お嬢様がすぐ駆けつけたから、何事も無かったんでしょうよ」
「…………、それは、その。結果的にはそうですが、私の我儘で」
「いいじゃないですか、それで」
とうとう水筒の中へ向けて小規模な水魔法を撃ち始めていたクレイトンが、水筒に掌を向けた姿勢は崩さないままそう言って小さく笑う。
「我儘でも何でも、行動したのはマチルダ様です。辺境伯様だって、そう思っておいでだから一ヶ月のお出かけ自粛程度で済んでいるんでしょう」
うんうん、とそれにケニーが頷く。仲いいなこの二人。
「そう、……そういうことに、なるのでしょうか」
「そういうことにしておきましょう」
クレイトンは言うなり徐に、中空へと水魔法を撃ち出した。一つ、二つ、ぶつかったそれらは霧雨状になって降ってくる。先程から魔法の無駄遣いではとも思うが、涼しいからまあいいか。
水筒の水を飲んで美味しくないだの文句を言うクレイトンを横目に考える。
そうか。私は運命を変えることが――抗うことが、出来たのか。『私』の、『マチルダ』の、望みへの最初の一歩は成ったのだろうか。
(けど……まだ、きっと色んな事がある)
ゲームの運命から変えることが出来たのはまだ、たった一つの事件の結果だけ。きっとそれでは、魔族の侵攻という大きな事件を止めるには足りないだろう。
ちら、と隣に目を遣ると、へらりと笑顔が返された。――クレイトンだって、ゲームでは最終的に死んでしまうのだ。こうして関わりを持ってしまった以上、それは嫌だなと思う。
(何てこった、やらなきゃいけないことだらけだ)
王国内でこれから起こるだろう事件、魔族の侵攻、クレイトンの裏切り、私の死――鍵の掛かる抽斗にしまった日記帳には悲惨な出来事ばかりが書き連ねられて、解決策は白紙のままである。
けれど、進むしかないのだろう。
前世の『私』は、誰のものとも知れないキャリーバッグに押し倒されるというバッドエンドを迎えてしまった。これは何の因果か得た、二度目のチャンスだ。
失敗するかもしれない、危険な目に遭うかもしれない、また叱られるかもしれない、けれど。手の届くところにいる人達を守るために、悲劇を見なくて済むように。何より最終的に私の人生をハッピーエンドにするために、精々抗ってやろうじゃないか。その後で、運命を捻じ曲げた罪はどうとでも償おう。
――さあ、始めよう。私の、私による、私のための『ハッピーエンド計画』を。
お付き合いいただき、ありがとうございました。ここで第一章はお終いです。
次回から二話、『断章』としてマチルダの介入によって消えてしまった物語を掲載します。
引き続きよろしくお願いします。




