7.マチルダ、約束する
認識阻害魔法。前世で読んだ小説にも、そのようなものがあったと記憶している。そこにあるはずのものを他者から認識出来なくする魔法――だったか。
「それであんな風に、いきなりワイバーンが……」
やや呆然と、ケニーが呟く。確かにそれならば、昼間のように誰にも気付かれずワイバーンがやって来たのも頷ける。
しかし、能力ではなくアイテムとは。
「では……あのワイバーン達は、どなたかのペットということでしょうか?」
私が尋ねると、何故かクレイトンはピタリと動きを止める。何だろうかと思う間もなく崩れ落ち、……次に聞こえてきたのは爆笑だった。
「あははははは! ……ええ、そう、そうかもしれま…………あははははははは! ペット! ワイバーンが!」
しゃがみ込んだクレイトンが笑いで震わせる背中を、ぽかんと見下ろす。……何だこいつ。
私と反対側で同じく中々笑いが収まらないクレイトンを見下ろしていたメルキュリー子爵は、一度眼鏡を外して目頭を揉んで、眼鏡を直し溜息を吐いた。
「愚息が失礼を、マチルダ様。……左様ですね、ワイバーンが誰ぞの管理下で飼育されていたとして。人や家畜を襲う攻撃性があり、認識阻害魔法の仕込まれたアイテムを身に着けた魔物となると、愛玩動物とはまた違った目的での飼育でしょうな」
解説はありがたいが、難しい言葉が多い。かと言って立場上「へ~」では済ませてはいけないだろうと思ったので、私は何とか返答を捻り出す。
「…………ええと……ワイバーンは、ペットではない……?」
「あっはっはっはっは!」
「クレイトン、いい加減にしろ」
「はい、父さ、…………ぐ、」
メルキュリー子爵の言葉に漸く爆笑を引っ込めたクレイトンは、残る笑いを引き摺って肩を震わせている。どこかで見たと思ったが、さては私の記憶が戻った日の父か。身に覚えがあったのかは分からないが、「愚息が申し訳ございません」と詫びるメルキュリー子爵に対して、父は鷹揚に手を振った。
「いや、いい。……それよりユーゴ、まだ続きがあるんだろ?」
「恐れ入ります、辺境伯。……警備の兵士への聴き取りでも、サート卿の呼子は聴こえなかったということでした。こちらも、認識阻害魔法等の可能性は十分考えられますな」
メルキュリー子爵の報告を聞くに、やはりゲームであの事件が起きた時、兵士達はあの場に間に合わなかったようだ。そう言えば……ゲームで事件が起きた後、兵士達は疑われたり罰せられたり、しなかっただろうか?
改めて何事も無かったことに安堵して、――私の中でも、聞かされた話が漸く繋がってくる。
(ええと、だから。そもそも来たのははぐれ竜じゃなくて誰かの飼っていたワイバーンで、認識阻害のアイテムで兵士達に助けを求めても届かないようにされていて。…………じゃあ、この事件って、)
「総じてこれは、人為的な襲撃として念入りに調査する必要がありましょう」
「ん。……任せていいのか、ユーゴ」
そう言う父も、「承知いたしました」と頭を下げるメルキュリー子爵も、同じく厳しい顔をしている。
魔物災害ではない。人為的な、襲撃。
「では…………どなたかが、サート卿や角馬達を……?」
口にして初めて、背筋が寒くなる。誰かが悪意をもって――サート卿や角馬達への害意をもって、あのワイバーン達を放ったというのか。……けれど一体、誰が?
答えたのは、クレイトンだった。
「そうかもしれない、というところですね。……マチルダ様も、ひょっとしたら無意識下でその可能性を嗅ぎ取られたからこそ、ワイバーンに向かって行かれたのかもしれませんね」
そう言って、父の方へといい笑顔を向ける。父はと言えば数秒程天井を仰ぎ、苦笑しつつ私を見た。
「あ〜〜……まあ、実際何もしなかったら、認識阻害のことだって分からなかっただろうしな。いいだろう、マディ。今回のお前の行動については現場の判断だったとして、これ以上咎めないこととする」
「え、……ありがとうございます、お父様」
父の言葉に、慌てて頭を下げて言葉を返す。とりあえず許してはもらえたらしい――だが、これで終わるわけにはいかない。下げた頭をガバリと上げて、私は一瞬たじろいだ父に向き直った。
「…………ご心配をお掛けして申し訳ございませんでした。あの……出来ましたら、ケニーのことをあまり怒らないのでほしいのです」
ケニーは、完全に私の我儘に巻き込まれた被害者である。こればかりは、例え再度の叱られが発生しても言わなくてはならない。
「いえ、お嬢様。……俺がお嬢様をお止め出来なかったのは、事実なんで」
困ったような顔でそう言うケニーに、私は首を振った。
「止めるのは無理だったでしょう、私はとても脚が速いのです。……お父様、ケニーは角馬をワイバーンから守りました。一番槍です。それに私が短剣を手に入れられたのだって、彼がワイバーンを前にしても私を守ろうとしてくれたからです」
ケニーが私を置いて逃げてしまえば、そうでなくとも私とワイバーンの間に立たなければ。私は短剣を手に入れられず、ワイバーンを倒せなかった。……そもそも、後付けでこそあるが、私は思うのだ。逃げたとて、あの場に二匹いたワイバーンが、私とケニーを見逃しただろうか?
きっと、私は戦わなければ死んでいた。そして戦えたのは、ケニーがあの場で、私を守ろうとしてくれたからだ。
父はほんの僅か目を細め、私の目を真っ直ぐと見てくる。ここで逸らしたら多分、駄目なのだろう。私は私と同じ黒い目を、じっと見返した。
数秒そうして、父は笑う。おそらくは辺境伯ではなく、父の笑顔で。
「そうか、……いいだろう、話は分かった。マディを咎めない以上、ケニーについてもあんまり厳しく追及はしない。心配しなくても、追い出したりはしないさ」
その言葉にきっと何かの処分はあるのだろうとは理解出来てしまったが、……おそらく今の私に、これ以上の譲歩は引き出せないということも分かった。
「……ありがとうございます、お父様」
私の返事に一つ頷いた父は、改めて私達をぐるりと見回す。そしてニッと笑って、再び口を開いた。
「マチルダ・バーレイストロー。並びに、クレイトン・メルキュリー、ケニー・カレット。今回はよくやった。後日になるが、ワイバーン討伐の褒賞を出す」
「はい、辺境伯様。ありがとうございます」
「えっ俺も? あ……ありがとう、ございます」
クレイトンと驚いた様子のケニーが、それぞれ礼を取る。キョロキョロと二人を見比べて、……私は首を傾げた。
「ん? …………討伐……の、褒賞?」
「ングッ……あはははははは!」
「……マチルダ様。人里を襲撃してきたドラゴンを倒したら、領主から相応の褒美があるものです」
父の言葉を私が復唱すると、クレイトンが再び笑い出す。何だこいつ。メルキュリー子爵は爆笑する息子をじろりと睨み、それから私に視線を向けてそう説明してくれた。……なるほど。ゲームでは経験値とお金時々ドロップアイテムが手に入るものだが、現実ではそれらの代わりに周囲からの評価と報酬が得られるものらしい。
「おお…………、ええと、ありがとうございます?」
とりあえず、クレイトンの真似をして父に礼を取る。そのクレイトンはまだ笑っているが、仮にも辺境伯の前でいいのだろうか、これは。
「ワイバーン討伐がっ、じ、慈善事業……く、ひひ……っ」
「……お前、さすがに不敬だぞ……」
「ええと……お気になさらず、メルキュリー子爵。私もあまりに物を知らなさすぎましたし。……それと、あの、クレイトン様」
「…………、はい。何でしょう、マチルダ様」
二つ程深呼吸したクレイトンは元の薄笑いを貼り付け、今更礼儀正しく向き直ってくる。何だこいつ……まあいいか。
「昼間のことなのですが、その……助けていただき、ありがとうございました」
クレイトンは私の言葉に一つ瞬いて、へらりと笑った。
「ああ、……いえ。防護魔法はともかく、その前の風魔法は少しばかり賭けでして。うっかり刻んでしまわなくて本当によかった」
私はその言葉に――後で問い質したい点はあるものの――ゆるりと一つ首を振る。口の横に手を添えると意図を察したクレイトンが屈んでくれたので、その耳元で囁いた。
「それと、〈ヒート〉も。おかげさまでワイバーンを倒すことが出来ましたし……何よりとても、心強かったです」
火の魔法に属する攻撃力上昇の補助魔法、〈ヒート〉。それが、ワイバーンと対峙する最中に感じた熱の正体だ。ワイバーン自体の速さを借りる、柔らかい口の中を狙う……それらの要素を重ねてクリティカルヒットを狙ってもなお、おそらく中級モンスターであるワイバーンは一撃では倒せなかった。それをひっくり返したのが、〈ヒート〉である。――けれどあの時の私にとってはそれ以上に、あの熱が与えてくれる力は恐怖と後悔を跳ね除けて立つ支えになった。
私の言葉に、初めてクレイトンから薄い笑みが失せる。驚いたような顔に気を良くして二歩程下がり、私は彼を見上げた。
「ですから。助けてくださって、ありがとうございました」
「………………」
クレイトンは少しの間、やや見開いた目で私を見つめていたが。
「わひゃっ!?」
ガシ、と両手で私の両手を握ってきた。ついでに、ずいと一歩距離を詰めてくる。白皙をやや紅潮させたクレイトンは、急き込んだように言葉を発した。
「つっ、……次は! 次はもっと、上手くサポートしますから!」
私はと言えば、狼狽えながら焦点が合うギリギリの近さにある深緑色を見上げる。
「なん、え、あの、」
「きっとお傍にいます、次も必ず助けます、二度とあなたの背を危険に晒しません、補助魔法だって幾らでも掛けて差し上げます、それから……」
「ええと、はい…………?」
何だこいつ。
一体何が、どう琴線に触れたのか。……普通そこは、もう危ない目に遭わせない、とかではないのか。背中は守ってくれるらしいが、仮にも主家の令嬢を前衛にする前提か。言いたいことは尽きないが。
私の手を握る、冷たい両手に視線を落とす。細い指はかさついていて、ペンだこが出来ていた。
クレイトン・メルキュリー。ウエストベイルのシナリオにおけるプレイアブルキャラクター。作中でもトップクラスの魔法関連ステータスと、地を這うような物理ステータス。気怠げで胡散臭い笑みを浮かべた、最後まで本心の見えない研究バカの変人魔術師。
主人公達を――マチルダを、裏切った男。
そんな人間を、信用してもいいのだろうか?
(立場上、こいつを遠ざけることは、多分そんなに難しくない、――けど)
けれど、……私は『まだ裏切られていない』。
だから私は、一つ深呼吸をして顔を上げ、いまだノンストップで捲し立てるクレイトンの目を正面から捉えた。それから一度掴まれた手を引っこ抜き、冷たい小指に自分の小指を絡める。そこで漸く喋るのを止めたクレイトンは息継ぎ無しでいたせいか肩で息をしながら、小指と私とを不思議そうに見比べた。
「…………あの、マチルダ様、」
「約束ですよ、クレイトン様。……私がどこへ走って行っても、きっと私を助けてくださいね」
嘘ついたら針千本では済ませない、あのワイバーンのように剣を飲ませてやるからな――とは心の中だけに留めておこう。
どこか呆然として私を見つめる深緑色には、正面から見つめ返す私の瞳が映り込んでいた。




