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脳筋うさぎの幸福論 -Project HAPPYEND-  作者: 六木 すずり
第1章 ハッピーエンド計画
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6.マチルダ、叱られる

 辺境伯の屋敷は二百年前の建国時代に築かれた城で、内部は住みやすいよう改装がなされているものの、黒い石造りの姿はまさに『威容』の一言に尽きる。

 その一室、何かしらの軍議に使えそうな部屋で、私はプルプルしていた。時刻は間もなく夕飯時といったところか。まだ日は落ちきらないが、壁に取り付けられた複数の枝付き燭台の蝋燭は全て火が灯されて、部屋の中央に置かれた大きな机の表面にも黄色がかった明かりが揺れていた。


 あの後、当然ながら現場は大騒ぎとなった。当然と言えば当然だ――現れたのは本来そこにいないはずのワイバーン二匹、襲撃されたのは辺境伯領の要所の一つである角馬の牧場、居合わせたのは辺境伯の娘。正直先に帰るのも申し訳ない有様だったが、辺境伯の娘が木の棘でズタズタな上にワイバーンの血までついた服を身に着けて立っているのも同レベルには申し訳ないので、心底の遠慮の果てに借りたクレイトンの上着を羽織り、私は後ろ髪を引かれながらも屋敷へと戻ったのであった。

 屋敷に戻って青い顔をした母に出迎えられ、同じく青い顔をしたメイド達の手でボロボロの服を脱がされて怪我の有無を確かめられ風呂に突っ込まれた。母もまさか、娘がワイバーンに遭遇するとは思いもしなかっただろう。驚かせて申し訳ない。

 人心地ついたところで来たのが、父からの呼び出しだ。そこで漸く、自身の行動が叱られる類のものであるということに思い至った……が、ここで仮病でも使おうものなら詰められるのは確実に今回一番の被害者であったケニーである。それは人としてよろしくない気がしたので、私は泣く泣く出頭することにしたのだった。


 父の従僕に案内されたのは、屋敷の中でも普段は出入りしないよう言われている区画――執務室が置かれ辺境伯領中から様々な人や報告がやって来る、この辺境伯領の中枢とも言える所だった。この辺りは改装も最低限で、黒い石壁や壁龕の蝋燭が物々しい。その一室、黒い木の扉を空けた先は、入りたくない程度には重い空気に支配されていた。奥の席には辺境伯家の紋章が織られたタペストリーを背負った父、その対面にはケニーがやや青い顔で直立していて、私は来たことを後悔すると共に、仮病を使わなかった自分を心底褒め抜いたのであった。

 閑話休題、出来る限り丁寧な入室の挨拶を終えた私が身を固くしていると、眉間に深い皺を刻んだ父が口を開いた。


「さて、マディ。……お前の一連の行動について、説明してもらおうか」


 細められた目と、低い声。日頃の父を知っているだけに、余計恐ろしい。空気の重さが、そのまま物理的にのしかかってくるようだ。……怒られるだろうなとは思っていたが、思っていたのと大分違う。


「ワイバーンを視認したにも関わらず、避難するどころか渦中の場所まで走っていったそうだな? 何でそんなことをした」


 揃えて重ねた自分の指先が、冷たい。握り込んでもどうにもならないそれにワイバーンと対峙した際の熱を懐かしみながら、私はどうかすると縺れそうな舌を何とか動かした。


「あの……サート卿と、角馬達が危ないと思って、ええと、咄嗟に……」


 まさか『放っておいたらサート卿も角馬達も殺されるのが分かっていた』とは言えず、この状況で何とも頭の悪い弁明をすることになる。案の定、父の眉間の皺が深くなった。


「あそこには、警備の兵もいたはずだが? 知らないわけないよな」

「それは、はい。……あの、決して辺境伯軍を蔑ろにしたわけでは」

「今聞きたいのはそれじゃねえ」


 ピシャリとそう言われ、思わず肩が竦む。


「今俺が聞いてるのはな、マディ。何でお前が、立場も何も弁えずにワイバーンの正面に出ていったのかってことだ。おまけにケニーの武器を勝手に拝借して、ワイバーンを挑発したと? ……倒せたってのは単なる結果だ。お前は自分とケニー、二人の命を危険に晒したんだぞ」

「っ、…………それ、は」


 分かっている。私が感情に任せて、とてもよくないことをしたということは。振り返ってみればワイバーンを倒せたことも、二匹目の襲撃から生きて戻れたこともただの奇跡だ。何か一つでも違っていれば、死体が二つ増えていただろう。ゲームの――前世の記憶に引っ張られて、私が取った行動は多分正しいものではなかった。


「仰る通りです、お父様。…………ケニーには、とても迷惑を掛けました」


 けれど、それでも。ぐ、と一度、私は歯を食いしばる。


「それでも、……ワイバーンを放っておいてはいけないと思ったんです。あれに、サート卿や角馬達を害させてはいけないと」


 ボーンライダーやボーンホース達が辺境を彷徨う未来を、私は許せなかった。それはきっと、『私』も『マチルダ』も抱いた、同じ望みだ。……けれど、何と伝えたらいいのだろう。いっそのこと前世の話をしたら、父は信じてくれるだろうか。それはさすがに、気が触れたと思われるだろうか――だが、自分の行動の理由を何一つ満足に説明出来ない私に向ける父の目は、依然厳しい。

 重い空気の中でぐるぐる考えるうちに、鼻の奥がツンと痛んできた。今泣くのは違うだろうと思って口をへの字になるまで引き結ぶが、視界は薄くぼやけ出す。泣き顔を隠そうと俯いた私の耳に聴こえてきたのは、控えめなノックの音だった。


「失礼いたします、辺境伯」


 ギイ、と蝶番を鳴らした扉の方を見ると、そう挨拶して入室してくる細身の男性。眼鏡の奥からちらりと私を見る、複雑そうに細められた目は深緑色をしている。


 ユーゴ・メルキュリー子爵。バーレイストロー家の家臣で、この辺境伯領の領地経営を補佐するメルキュリー家の当主である。


 それと、その後ろからもう一人。


「あれ、マチルダ様。髪にたくさん棘李の花がついてて可愛かったのに、もう全部落としてしまわれたんですね」


 残念だなあとこの空気の中相変わらず笑う、メルキュリー家長男のクレイトン・メルキュリー。何だこいつ、心臓がミスリルかオリハルコンで出来ているのか。そして足元に置いたやたら大きい袋は何だ。

 クレイトンはそのまま少しの間、私の顔を見つめて――何故か笑みを深くした。


「!?」


(……半泣きの幼女を見て笑うのはさすがにアウトじゃない!?)


 私の内心を他所に、クレイトンは部屋の奥へ向き直ると胸に手を当てわざとらしい程恭しく頭を下げる。


「――辺境伯様。発言をよろしいでしょうか」

「あ? ……おう、いいぞ」

「ありがとうございます。では失礼いたしまして、まずはこちらを」


 姿勢を正したクレイトンは、「よっこいしょ」と爺臭い掛け声と共に持ち上げた袋の中身を取り出し机の上に置いた。ゴトリ、と重い音を立てた『それ』。


「……ひえ」


(でっっっか……!)


 思わず声を上げ、それでも続く感想は何とか飲み込む。


 黒くゴツゴツした表面の『それ』は、細いところでも父やケニーの、つまりはムキムキな男性の腕程もある。四本の太い指と一本一本がまるで湾曲した短剣のような長い爪を備えたそれを、クレイトンは深夜の通販番組のような気安い動作で示してみせた。


「こちら、今回現れたワイバーンの脚です。どうやらまだ若い個体だそうで」

「でっっっか……」


 奇しくも私が抱いたのと同じ感想をケニーが呟く。……だよね、でっっっかい。


「こちらは僕がバラした方ですね。ちょうどよく脚が落ちてたんで拾ってきましたが……いやあ、この爪だけでも人が死にそうです。よくこんなのと戦う気になりましたねえ、マチルダ様」


 つんつんと黒い爪の先をつつきながら振られた話に、気まずい思いでまた俯いた。……今まさに、それで叱られていた最中であるというのに。意に介した様子の無いクレイトンは、「あ、そうそう」とわざとらしく掌を叩く。


「マチルダ様が倒したワイバーンは、喉から刺さった短剣が心臓を貫いていたそうですよ。まるで建国伝説の勇者か何かだ。お見事でしたね」

「…………、え」


 その言葉にぱっと顔を上げると、緩く細められた深緑と目が合った。……そう言えば、ワイバーンを倒したことを褒めてもらったのは初めてだっただろうか。何を考えているのか分かりづらい薄笑いの白皙を、思わずまじまじと見る。

 当のクレイトンはへらりと一つ笑ってみせると、また父の方へ顔を戻した。


「――それで、本題ですが。どちらのワイバーンにも、これが付けられていました」


 そう言ってクレイトンがコツコツと指で叩いたのは足首の部分で、よくよく見たそこには。


「足環……?」


 前世のテレビで観た、調査や研究のため鳥の足に着ける輪。それに似た雰囲気の、しかしワイバーンの脚が太い故に罪人の足枷のようなサイズの黒い金属製の輪が確かにあった。


「……野生のワイバーンが、お洒落でそんなもん着けるわけがないよな?」


 父の問いに、クレイトンは笑みを深める。


「ええ。これはおそらくスクロールのように、一定時間魔法を発動出来るアイテムですね。刻んである魔法記号を見る限りですが……発動されたのは、認識阻害魔法ではないでしょうか」


 部屋の空気が、先程までの比ではなく重いものになった。

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