5.マチルダ、遭遇する③
※残酷な描写あり。
「ありがとうございます、ケニー……すみません。借りていきます」
「へっ? ……あ、お嬢様! 今度は何してんですか!」
「ワイバーン! こっちだよー!」
とりあえずの詫びを伝えて、丁度目の前、ケニーの剣帯に提げられていた短剣を引き抜く。多少重いが、扱えない重さじゃない。そして私は出来るだけ大きな声で――先日屋敷で上げた悲鳴よりは控えめだったが――叫んでから身を翻し、来た道を再び全力で走り出した。
「ちょっと! 抜き身の剣持って走るな! 逃げるにしても何であいつの注意を引くような……だから脚速えな!」
ごめんなさいと再び、胸中でケニーに謝る。私が走ったのは、逃げるためじゃない。
バサリ、と羽音が耳に届いて、背後を見遣る。羽ばたいて身をくねらせるワイバーンと目が合い、僅かに口角が上がった。背中を向けて一番に逃げ出した私は、上手く目に止まったようだ。そうそう、おいで……剣を持った怖いおじさん達や角のある獣達より、私の方がずっと魅力的でしょう?
この辺りには、角馬達も見当たらない。背後の音を聴けばケニーの足音は消え、羽音だけ。足を止め、私は振り返った。
「……さあ! おいで、ワイバーン!」
「ギィイイッ!!」
切っ先を空へ向けて叫んだ私はケニーを追い越し一直線にこちらへ飛んできたワイバーンの目に、さぞや諦めのいい獲物に映ったことだろう。声を上げ、こちらへ急降下を開始するワイバーン。燃えるような赤い目が、鋭い牙が、……明確な暴力が向かってくる。前世でプレイしたことのあるVRゲームなんて目じゃない程、怖い。『何でこんな所に来ちゃったんだ』とか『何でわざわざ目立っちゃったんだ』とかいう考えが、遅まきながら過る。後悔先に立たず、とはよく言ったものだと思う。
怖い、怖い。あれに追い付かれたら、食い付かれたら。きっととても、痛い。
(大丈夫……落ち着け)
ワイバーンは、ゲームにおいては中級モンスターの立ち位置だった。素早くて回避性能が高く、少しばかり厄介なエネミーだったと記憶している。この世界でもやはりその素早さは名高く、家畜を攫ってなお馬より速く飛び去っていくという。
だが、あれは最速の生き物ではない。
私は一つ深呼吸をして、短剣を逆手に握り直した。
ゲームにおいてマチルダは魔法関連のステータスが絶望的である一方で、物理攻撃力と素早さが飛び抜けていたが……先程走った時にワイバーンに即座には追い付かれなかったことで確信した。マチルダのステータス――身体能力は、元々そうなのか転生特典とやらなのかは不明だが、おそらくこの時点で相当高い。
なら、武器を手にした私の攻撃は、クリティカルヒットさえ狙えれば、一撃必殺とまではいかずともある程度は通用するはずだ。
ワイバーンは、凄まじい速度で私の方へと迫ってくる。
(いいぞ、もっと……もっと速く、飛んで来い)
左足を引いて、左手の短剣を肩の上に担ぐように構え、右手は前方のワイバーンを指して。
(…………、熱い?)
何故だか、体が妙に熱い。巡る熱はまるで、そのまま剣を持つ手の、或いは地面を踏みしめる足の、恐怖に震えていた心の、力になっていくようだった。視界が冴える、ワイバーンの動きがつぶさに見える。
「――ふふ」
ハイにでもなったのか、何だか笑いが込み上げてくる。……まだ、引きつけろ。まだ、まだ、まだ、もう少し――
(――今だ!!)
「だぁぁぁぁぁあああっ!!!」
ぐっと短剣を引き、全身の捻りと共に投げ飛ばす。槍投げを教わったのは確か、前世の高校時代だったか。子供の体格であるにも関わらずその当時以上の、それどころか未体験の手応えで放たれた短剣は、ワイバーンの大きく開いた口の中へ吸い込まれ――そしてワイバーン自身の速度も借りて、喉の奥へ深々と突き刺さった。
「ゴッ、オ、ォァァア―――――アァッ!!」
濁った叫び声。ワイバーンは空中でガクリと力を失い、巨体は急速に落ちる。
――ドゴオンッ!
地面にぶつかって凄まじい音を上げたワイバーンは、地面を抉りながら私のすぐ横を通過し遙か後方で止まった。とりあえずファイティングポーズだけは取って警戒するが、ワイバーンは幾度か体を痙攣させ、……そして、すぐに動かなくなった。
「…………、倒し、た……?」
死んだふりかとも思ったが、ワイバーンはだらりと舌を出したまま、目玉も全く動かない。一撃必殺、というやつだろうか? もう一、二回は攻撃しないといけないかと思っていたが――或いはまだ残っている、この熱が関わっているのだろうか。
(何だったんだろう、これ……まあ、今はいいか)
安堵の息を吐いてポーズを解き、大丈夫だとアピールを込めてこちらへ走ってくるケニーに手を振る。ケニーは引き続き必死に走ってきていて、そんなに焦らなくても、と思っていると彼が叫ぶ。
「お嬢様、後ろっ!」
「へ? …………後ろ?」
何だろうかと、首を傾げた私の背後で。
――バサリ。
重い羽音が一つ鳴った。
「え……」
次いで、劈く鳴き声が。
「ギィィィイイイイイイイッ!!」
「っ!!」
ばっと振り返ると、つい今しがた倒したワイバーンとそっくりな姿が、赤い口と鋭い牙がすぐそこまで迫っていた。
「二匹目……っ!?」
強く地面を蹴り、後ろへ飛ぶ。直前まで私がいた空間で、ワイバーンの顎がガチン! と派手な音を鳴らした。赤い目が、ぎょろりと私を見上げる。
「――――っ!」
しまった、と思ったのはすぐのことだった。咄嗟の跳躍は高すぎて、空中で逃げ場の無くなった私の方へとワイバーンが再び向かってくる。
「く…………っ、この……!」
体を巡る熱は、まだ残っている。左の拳に右手を重ね、振り上げて。
「――どっっせいっ!!」
「ギャゥッ……!」
ワイバーン目掛けて振り下ろし、鼻先を打ち据えた。殴った勢いでワイバーンの口がバクンと閉じる。攻撃を受けると退こうとするのは習性なのか、空中で器用に身をくねらせたワイバーンは方向転換を始めた。
一方で飛べない私は、重力に従って落下が始まる。着地しようと身構えた矢先、……ストンと何かに座っていた。
「…………、あれ?」
「ギ……?」
私と、何故かワイバーンの疑問符が重なる。地面が遠い。顔に風を感じる。バサリという音がする。
見下ろせば、ゴツゴツとした鱗に覆われたものに跨がっている。バサリ、と音が鳴る度、鱗の下で発達した筋肉が動くのが分かる――前世で一度だけ触れる機会があった、蛇によく似た感触だと思った。視線を前に動かせば、バサリという音の正体は大きな翼であると知れた。鱗に覆われた後頭部が振り向き、赤い目と視線がかち合う。
つまるところ私は、ワイバーンの背中に乗ってしまっていた。
「うわ――――っ! どうしようケニー!?」
「ギイイィィイィィッ!!」
背中の異物に気付いたワイバーンは空中で、私を振り落とそうと滅茶苦茶に身を捩る。上下左右に振り回され、あっという間に私の体はビッタンビッタン暴れ回る長い尻尾の方までずり落ちてしまった。
「いやぁぁ落ちるぅぅぅっ! ちょっと、落ち着いて!? 話せば分かるっまずは降ろしてっ!!」
「ギィィィイ―――イイッ!!」
「ホント待って私絶叫系ダメなんだってばぁぁぁあぁちょっと待って急降下しないでいやぁぁぁぁぁっ!!」
前世でアスレチック施設にあった、ターザンロープ。あれの要領で細い尻尾に全身でしがみつき、その先端、鏃型の棘の返しに靴裏を引っ掛けて何とか耐える。ただ、ターザンロープは絶叫マシンではない。安全装置無しの回転や急降下を繰り返され、早くも私の握力には限界が近づいてきていた。マチルダのHPはそこまで高くなかったな、と遅まきながら思い出す……そう言えば、短剣を投げる際のあの熱も、もう消えてしまったようだ。
ずり、と手が滑る。目の端で周囲を探ると、生い茂る生垣が目に入った。あそこに落ちれば、落下の衝撃は多少マシだろうか? 問題はその後すぐワイバーンに追撃されるだろうということだが、そろそろいい加減、警備の兵士達も気付いてくれたりしないだろうか――
「〈ハルパーテンペスト〉!!」
「っ!?」
――ヒュパァンッ!
唐突に響いた鋭い声と共に聴こえたのは、鞭で風を切るような音。同時に、忙しなく動いていたワイバーンの両の翼と首が刎ね飛ばされた。鮮血が舞う空中での、一瞬の停止。
「……う、ぇえ!? なん、なに、だっど、ぉおぎゃ―――――!?」
何で、何が、誰が、どこから。突然のことに私が人語を失っているうちにワイバーンは、ガクンと一気に落下を始めた。
「こ、の……おりゃっ!!」
ワイバーン諸共地面に叩きつけられるのは、さすがに不味い。一か八かで私はワイバーンの体を蹴り、生垣に向かって飛んだ。衝撃に備えて、とりあえず頭を庇う。
「〈ソリッド〉!」
また、声。同時に一瞬、私の体が薄い光を帯びた、ように見えた。
「はぇっ? 何……うぶあっ!」
何事か確かめる間もなく、背中から茂みに突っ込む。ガサガサバキバキと不穏な音を立てて、それでも何とか私の体は枝に絡まる形で、ギリギリ地面から数センチのところで止まった。
「う〜……」
酷い目に遭った――とは言え半分くらいは自分で蒔いた種だけに遣る瀬無い心持ちで、ひとまずガサガサと枝を掻き分ける。山査子や棘李の枝は細かい棘が生えていて、あちこちがチクチク痛い、はずなのだが。
(……あれ?)
どういうわけか何ともないし、試しに枝に触れてみても棘が肌に食い込むことは無い。はてと不思議に思いつつ、棘李の間から顔を出した。遅れて枝から離れたらしい山査子の白い花が顔に落ちてくるのを、摘まんで退ける。
(…………おそらきれい……)
放心しかかっていた私の耳に届いたのは先程聴こえた、先程より幾分穏やかな声。
「辺境伯様から、もし早めに見学が終わるようでしたらルーチャ砦の訓練を見学してもいいとのお言付けですよ。あ、お怪我はありませんか? マチルダ様」
「え? あ、はい、どうもご丁寧に…………っ!?」
呼ばれるまま頭を巡らせると、茂みの前に立つ人と目が合った。
「……く…………っ!」
叫び声を、何とか飲み込む。
歳の頃は、十歳を少し越えた程度か。やや癖のある黒髪、深緑色の垂れ目、薄く笑みの乗った口許。子供の癖に、既に無駄に整った顔の造作。今はまだ、トレードマークであった帽子もモノクルも身に着けていないが。
間違いない、こいつは――
(……クレイトン・メルキュリー!)
八年後に始まるゲーム本編のプレイアブルキャラクター、そして――ウエストベイルのシナリオで、主人公達を裏切る人物だ。




