4.マチルダ、遭遇する②
こんにちは。
今週もお付き合いいただきありがとうございます。
下級ドラゴン、『ワイバーン』。
黒い鱗に覆われた長い体、蝙蝠に似た皮膜の翼と猛禽類のような後脚。細い尾の先端の、鏃型の棘。地上を睨みながらグルグルと円を描くように飛ぶそれは、獲物に己の存在を誇示でもするように先程聞いたのと同じ音を――鳴き声を上げた。
「ギィィィィィイッ!」
「何で、ワイバーンがこんなところに……!?」
ワイバーンはヴァルニュッセの森に生息していて、人里近くでは滅多に見られない。例外は夏の繁殖期で、その時期になると雛のため多くの餌を求めて森の外へ飛来し家畜を襲う、が……まだその時期には早いし、この場所だって森から遠い。
だが、それよりも。
(…………、ワイバーン……?)
何かが、記憶に引っ掛かる。おそらくゲームのどこかでそのキーワードが上がったのだろうが……エネミーとしての印象の方が強く、すぐに思い出せない。何だっけ、ワイバーン自体中盤以降のエネミーだったから――
「うちの仔馬から離れろこのヒョロヒョロトカゲがぁぁぁぁぁあ!!」
「ぴゃぅ!?」
思考も何もかも吹き飛ばす怒号が上がるなり、サート卿の乗る角馬が猛然と走り出した。瞬く間に遠ざかる騎馬の後ろ姿を追うように鳴る、呼子の鋭い音。
「あのワイバーン、はぐれ竜か……?」
ケニーが呻くように言った、その言葉に我に返る。軍馬の牧場、はぐれ竜のワイバーン、記憶にある騎馬の魔物――そうだ、これは。
「行きますよ、ケニー!」
叫んで、私は走り出した。
「あっ、お嬢様!? ダメですよ戻っ……嘘だろ脚速え!」
後ろから、私の静止に失敗したケニーの足音が追ってくる。さすがは『脳筋うさぎ』、子供のうちから中々の身体能力だ。閑話休題。
(油断した……こんなに早い時期にも事件があったなんて!)
先程サート卿は呼子を鳴らしたが……警備の兵士達はきっと、間に合わない。このままではサート卿と角馬達が危ない。
脳裏に蘇るのはゲームでの魔物の群れとの戦闘と、その後の会話イベントの記憶。『ボーンホース』という骨の馬の姿をした魔物達と、ボーンホースに騎乗した骸骨、エリアボスの『ボーンライダー』。彼らとの戦闘で、マチルダは何と言っていた?
『子供の頃、領内にワイバーンが現れたことがあるそうです。おそらくは、群れから離れてしまったはぐれ竜が来たのだろうと』
『辺境伯軍の強さの一端でもあった、特殊な軍馬を育てる牧場が襲われたのだとか。そこの馬達と、牧場を管理する方が犠牲になったそうです』
『……亡骸になってまで戦わされるなんて、あんまりです』
あれは確か、ウエストベイルのシナリオで、辺境伯領を北上していた時、もうすぐ辺境伯の屋敷という荒れ地でのイベントだ。――この牧場は、屋敷の南にある。
ワイバーンに襲われ、角馬達と、角馬達を軍馬として育成する技能を持つサート卿が犠牲になった事件。それが、今目の前で起きようとしているというのだろうか。
(って言うか事件起きすぎでしょ我が王国! どうなってんの!)
毒づきながらなだらかな斜面を登りきり、足を止める。前方にはサート卿が腰に佩いていた剣を抜きワイバーンを威嚇しているのと、角馬達がそれに倣うように角を振り嘶いているのが見えた。パニックは起きていないようでひとまず安堵する。
(けど、時間の問題かな……)
出産間近な角馬は戦うにも逃げるにも不利となるし、そもそも相手は空を飛べるというのが厄介だ。所々の生垣も、ワイバーンからは身を隠せない。……おそらく、本格的に狩りが始まるのはすぐのことだろう。
この事件で、どのくらいの角馬がワイバーンの犠牲になったのかは分からないが。ゲームに角馬の名が出てこなかったということはおそらく、辺境伯軍の強さを支える角馬はこの事件以降供給されなくなったのだろう。辺境伯軍は魔物の退治も行う。その最前線で戦うのは角馬を持つ部隊で、人も馬も犠牲の出る戦いを繰り返せば供給の無くなった角馬は辺境伯軍からいなくなっていっただろう……それはきっと、ウエストベイル陥落の未来に一つ近づくことになる。
そして角馬達やサート卿は後に、アンデッド系の魔物として再び争いに巻き込まれるのである――彼らは、死後の安寧さえも奪われる。
何だそれは。酷い話である。考えているうちに腹の底に沸々と、過日覚えたものに似た怒りが沸いてくるのが分かる。
「ちょっ……お嬢様、ダメですってば! 戻りますよ!」
漸く追いついてきたケニーはどこか当惑したように言いつつも、私の前に立って剣の柄に手を掛けた。その背を見上げ、ふと思う。彼は八年後も、こうして母や弟を守ったのだろうか――恐らくは敵わない相手を前に。
そんな私達を他所に、
「ギ――――ィッ」
「わひっ……あ!?」
未だ高い位置で旋回を続けていたワイバーンが一声鳴くなり、お腹の大きい角馬の方へと降下し始めた。弱いものから仕留めに行くのはやはり狩りの基本なのか。私は思わず、ケニーの腰の辺りを引っ叩き叫ぶ。
「ケニー! 馬が! 食べられる!」
「ちょっ、やめなさいって、……ああぁ、もう! しょうがねえなこのお嬢様は! ――天を翔ける稲妻よ、一矢をこの手に! 〈ライトニングアロー〉!」
「――ギィッ!」
右手を翳したケニーの少々やけっぱちな呪文と共に現れた橙色の魔法陣から電撃が放たれ、ワイバーンを的確に打ち据えた。ワイバーンは想定外の攻撃に怯んだのか、一度上空へ戻る。
一方で、こんな時ではあるが私の脳内は大忙しだった。
(魔法! 本物の魔法だ! ファンタジーだ!)
前世の記憶が戻ってから、どころかマチルダが生を受けてから初めて見る魔法である。今、異世界に転生して初めて嬉しいかもしれない。凄い、あの魔法陣、ゲームで魔法を使った時のエフェクトそのままだ!
「お見事です、凄いですねケニー!」
「本当にお見事か? あいつめちゃくちゃ元気じゃ……あ、やべ」
興奮した私にぼやいていたケニーが、そう言って剣を抜く。何だと見ればワイバーンが先程の雷撃の主を見つけたようで、こちらを見ていた。「ギイィィィッ!!」と、明らかに怒りを含んだ声が響く。
「うわ〜……俺、ドラゴンなんて相手したこと無いんだけど」
やだやだ怖〜い、と冗談めかして言うケニーの、剣を握る手に力が籠る。
「…………、ケニー」
「何です、お嬢様。……大丈夫ですよ、ドラゴンは初めてでも、魔物退治くらいはしたことがあるんで」
いざって時は、俺が頑張ってる間にちゃんと逃げてくださいね。ワイバーンを見据えたまま告げるケニーの声は優しくて、僅かに震えていた。
気弱で優しい『マチルダ』ならばこうして無鉄砲に走ってケニーを危険に晒すこと無く、素直に引き下がっていたのだろうか……知っている未来から目を逸らし、サート卿や角馬達を見捨てて。
それは、――いやだ。
あまりにも子供じみた考えだ、……けれど私は、望んでしまったのだ。
未来に――シナリオに定められた運命に、抗いたいと。この手の届く限りの人を、守りたいと。
今世の私の人生を、ハッピーエンドで終わらせたいと。
それが『私』の望みなのか『マチルダ』の望みなのか、分からない。けれど、確かに私は望んでしまった。
(う〜ん、我ながら強欲。到底奥ゆかしいマチルダ役は出来なそう)
しかも、そのための準備どころか方策も定まらないうちから、シナリオの方が転がってきてしまった。ままならない……けれど。
(今度はあのキャリーケースみたいに、転がってきたまま落とされてなんかやらない)
だったら、――『脳筋うさぎ』らしくやるしか、ないじゃないか。
次回、やっと戦闘開始です。




