3.マチルダ、遭遇する①
この後は概ね週に一回程度投稿しに来ます。
僅かに揺れる馬車の窓から空を眺める――今日も、いい天気だ。
私が前世を思い出してから、二週間程。私は少なくとも表面上、マチルダとしての日常を送っている。一方で始めたのが、未来に起きるかもしれない悲劇を回避する方法の模索だった。
ウエストベイルの陥落には、それ以前に起きた複数の大事件が重なったという背景がある。逆を言えば、建国以来王国を守ってきたこの辺境伯領は、そこまでの条件が重ならなければ落とされることは無いのである。ならば他の事件を防いでしまえれば条件が揃わず、魔族の侵攻そのものが無くなるかもしれない。戦わずに済むのであれば、それが一番だろう。
とは言うものの、具体的にそれらがいつ起こるのかが分からない。事件の多くはゲーム開始前に起きて、本編ではその名前と概要が出てくる程度なのである。かろうじて事件の舞台となる場所は分かるが、この世界の移動手段は基本的に徒歩か馬か馬車、この辺境伯領から王都までですら数日かかる。到底、ちょくちょく様子を覗きに行くなどという手段は取れない。仮にも辺境伯令嬢、他領へ出掛けるには理由も護衛も必要なのだ。
そのようなわけで目下、私は表面上マチルダとして変わらず過ごす一方で、密かに頭を抱えながら日々を送っているのである。
(このまま進展ナシで八年後……っていうのは避けたいけど……)
私の悩みなどお構いなしの初夏の気配が感じられる日差しの中、馬車は緩やかな坂道を登っていく。この辺りは丘陵地帯で、バーレイストロー家の屋敷も丘の上に建っている。それらの緩やかな丘が連なる向こう、西の方へ目を凝らすと、黒々とした森が地平を覆っているのが見えた。
辺境伯軍によって監視されるそこは大型の魔物も跋扈する危険地帯、ヴァルニュッセの森。辺境伯軍の役目の一つに、ここから王国内へとやって来る魔物の討伐が含まれる。そしてその向こうにあるのが魔族の棲む土地、エーベンホルツである。
八年後、あの森から軍勢はやって来る。
(ゲームで、ウエストベイルのシナリオに出てくる魔物は大型だったり強かったりしたけど……まさか森の魔物が魔族の軍勢に押し出されて来たやつだったりしないよね?)
だとしたら許し難すぎる、その魔物による被害も酷かったのだから。途中には回復無しの連戦イベントがあって、何度か全滅させられた苦い記憶が蘇る――やはり、魔族の侵攻は避けたい事態だ。
考え込んでいると、馬車の扉がノックされた。いつの間にか馬車は止まっていて、どうやら目的地に到着したらしい。開いた扉の向こうには、頑丈な鉄の門と石垣。立哨の兵士達に守られたそこを抜けた先は、広大な草原だった。敷地をぐるりと囲み、また内部を巨大な迷路のように仕切る生垣が山査子や棘李といった細かい棘を持つ植物であるのはバーレイストロー家の屋敷と同じようで、白い花が咲いている。そんな牧歌的な風景の中で思い思いに草を食んでいるもの達こそが、今日のお目当てである。
「あれが、角馬……」
目の前の牧歌的かつファンタジーな光景に思わず呟くと、隣からくつくつという笑い声が聴こえた。見上げれば私に同行していた男性――辺境伯家護衛隊所属のケニーはこちらへ苦笑を向けている。
「ええ、お嬢様。あいつらが辺境伯軍を支える魔の馬、角馬ですよ。……初めにも言いましたけど、気性が荒いんで有名ですからね。くれぐれも大声で脅かしたりして刺激しないでくださいよ」
「しませんよ、そんな可哀想なこと。……それよりも、サート卿はどちらでしょう。ご挨拶をしなくては」
ケニーにそう答えつつ、私は頭を巡らせて目当ての人物を探した。
屋敷から少し南に下ったところにあるこの場所は、軍馬を育てる牧場である。ここに私が来た理由を単純に述べるなら、庭を散歩する以外で外出することのない生活に飽きたのである。別段前世でもアクティブな方ではなかった……寧ろインドア派だったが、それでも限度がある。屋敷は広いが入ってはいけない区画が多いし、かと言って外出には制限がある身分。辺境伯令嬢が現代日本の社会人と違うと言うのは理解出来るが、ただでさえこちらは色々と煮詰まっているのだ。そうしていよいよ限界を感じた私が覗きに行ったのは屋敷の厩舎だった……が、そこに私の知っているのとは異なる馬がいた。聞けばそれは『角馬』という、辺境伯領のみで育てられる軍馬だという。
日帰り出来る距離に牧場があると知った私は居てもたってもいられずに、父に牧場見学をねだったのだった。『マチルダ』は我儘なんて言わなかったかもしれない、と思った時には既に遅かった。まあ、まだ八歳なので許してほしい。
先方からは基本的に馬と共に牧場にいるから直接来いと言われたそうだが、さて牧場の管理者であるサート卿はどこにいるのか。引き続きキョロキョロと見回していると、一頭の角馬がこちらへ駆けてくるのが見えた。その背には、こちらへ手を振る人物。その姿がふと記憶にある別のものと重なって、僅かに背筋が粟立った。
(今の、は……ゲームの、戦闘画面……?)
私達の目の前で角馬は止まり、馬上の男性は私を見下ろしてにかりと笑った――今し方過ぎった記憶とは似ても似つかない、日焼けした人好きのする笑顔だ。
「ようこそいらっしゃいました、マチルダ様。馬上からで失礼いたします」
「ごきげんよう、サート卿。こちらこそ、大切なお仕事中の見学をお許しくださりありがとうございます」
動揺を表に出さないよう、二週間鍛えたポーカーフェイスで挨拶を返しつつ目の前の人物を観察する。
サート卿――準男爵、サイラス・サート。歳の頃は、父と同じくらいだろうか。堂々とした佇まいの彼は、武人と言われても納得しそうな体格をしている。父とは所謂幼馴染の間柄で、この牧場見学もその縁で許されたのだとか。小娘の我儘は、おじさん達の友情に便乗する形で叶えられたのである。
「やはり何事も、実際に目にするのが一番ですね……広い牧場もかっこいい角馬達も、素晴らしいです」
私がそのような感想を述べれば、サート卿は豪快な笑い声を上げた。
「っははは! ……そうでしょうとも、俺の仔馬どもはかっこいいでしょう!」
言葉と共に彼は、自身が騎乗する角馬の首を撫でる。角馬の方は嬉しそうにしており、真実サート卿が角馬達を大切にしているのだということが知れた。
角馬は、魔物と馬との交配種なのだそうだ。前世で馬と言えばサラブレッドのイメージが強かったが、この世界で一般的な馬はもっと背が低く脚が太い。労働力としての馬や、鎧を着た人間を乗せる軍馬が主となるからだ。角馬もその例に漏れず、重心の低いがっしりとした漆黒の体躯と、私の顔程もありそうな大きな足をしている。何より特徴的なのは、額に備えた黒い一角。勇敢で頑強、何より主人に忠実な角馬は、辺境伯軍の将達と共に戦うこの地の財産である。サート卿の祖父が初めて交配と繁殖に成功し、その功績を以てサート家は準男爵に叙爵されたのだそうだ。
改めて、牧場を見回す。ここから見える馬角の数は、ざっと十数頭といったところか。人の姿は見当たらず、私は首を傾げた。
「もしかして、角馬達のお世話はサート卿がお一人で?」
「ははは、さすがにこの数を一人では。他に二人程おりますが、丁度外しておりましてな」
「なるほど、……あれ?」
ふと気付いて、散らばる角馬の姿を確かめる。
「……今は、仔馬はいないようですが?」
私の問いに、また笑い声。
「ははは! どれだけ大きくなろうと、皆俺の可愛い仔馬どもですよ! ……まあ、」
「?」
角馬が追いかけっこを始めたのを目で追っていると、サート卿はやや不自然に言葉を切る。不思議に思って見上げた私に苦笑を返し、サート卿は頬を掻いた。
「これから夏の間、繁殖のピークが来るんでさ。もうすぐ本当の仔馬どもが産まれてきますよ」
ほら、とサート卿が指差した方を見れば、一頭の角馬が草を食んでいる。角馬はがっしりしているが、それにしても腹が大きい――なるほど、あれは出産が近い牝馬か。
「それは……知らなかったとは言え、お忙しい時期に失礼をいたしました。今日は本当にただ角馬が育つ牧場を見たかっただけでしたので、早々にお暇することにいたしましょう」
幼い令嬢相手と思ってかサート卿は言葉を濁したが、角馬は今が発情期なのだろう。加えて馬の妊娠期間は一年くらいだったと記憶しているから、去年子供が出来て妊娠中の角馬達は間もなく出産ラッシュとなる。間違いなく、今が一番忙しい時期だろう……父よ、娘を甘やかすんじゃない。
サート卿は私の言葉に、笑顔で頷いた。
「落ち着いた頃にでもまたおいでなさいよ、マチルダ様。ちいこいのがうろちょろ走ってるところをお見せしますから」
「ありがとうございます、楽しみです。ではケニー、私達はもう行きま――」
「ギィィィ―――ッ!!」
「ひぇっ!?」
出し抜けに自転車の急ブレーキにも似た酷い音が響いて、ビクリと肩が竦む。周囲を見回すと、角馬達が角を振ったり蹄で地面を掻いたりして――何かを、威嚇している?
(なっ、何……!?)
顔を上げ、角馬達の視線を追い空を探す。青い空に見つけたそれの名を、ケニーが驚愕を含んだ声で叫んだ。
「――ワイバーン!」




