2.『夜の風のクローディア』の物語
※残酷な描写有り
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私は、風。
安らぎの眠りを劈く悲鳴と惨劇で引き裂く、『夜の風』。
七歳の誕生日なんていうものは、クローディアにとって何の意味も無いはずだった。七歳になったら一緒に角馬の世話をしようと言っていた父も、世話をするべき角馬達も、とうにいなくなってしまった。既に父の顔も朧気で、よく笑う人だったことと、いつも頭を撫でてもらっていたことが辛うじて思い出せるくらいだった。引き取られたのは辺境伯に仕える家で、忙しくて中々帰らない養父と体が弱く部屋からほとんど出てこない養母、それからやたらテーブルマナーに厳しいメイドと隙を見ては台所の隅でおやつを食べているメイドが新しい家族だった。
けれどその日、養家を訪ねてきた者があった。父の友人であったという辺境伯でさえ、贈り物を寄越しただけで会いには来ないというのに。
やって来たのは見知らぬ男で、応接室からメイドを追い出してしまった。いいのだろうかとぼんやり考えていると、男が言った。
「復讐をしたくないか」
「…………、フクシュウ?」
その言葉の意味が分からず黙っていると、男は「ふむ」と小さく一つ唸り、それから少し考えて「言葉を変えようか」と薄く笑う。
「君は、君の父に酷いことをした者に、相応の罰を与えたいとは思わないかね?」
「………………え?」
今まで考えたことも無かったことを言われ、一瞬頭の中が白くなった。
「……父さん、に。酷いことをした人……?」
そんな人がいると、そんなことがあったと、考えたことも無くて目が眩む。だって父は、はぐれ竜に襲われたのだと。不幸な事件だったのだと。
「おかしいと思わないかね? かの牧場は辺境伯領にとって重要な場所で、辺境伯軍によって守られていた。そんな場所で、何故君の父は助からなかったのだろう? ――何故、辺境伯軍は君の父を助けなかったのだろう?」
男の声が、じわじわと心のよくない部分へと染みていく。では、父は、父が大切にしていた角馬達は。
まさか、友人だったはずの辺境伯に。
男は、すいと身を乗り出す。
「また来よう。その時までに心を決めておいてほしい。君が復讐を望むのであれば、その時共に来るがいい」
そう言って立ち上がりかけた男に、思わず「いいえ!」と追い縋るように声を上げた。いつの間にか強く握っていた拳の中で、掌に爪が食い込む。少し意外そうな顔の男を、真っ直ぐ見上げた。
「いいえ、……今、連れて行って」
父を裏切った者に、この手で罰を。
男は笑って頷いて、手を差し伸べてきた。
「いいだろう、クローディア。ならば共に、復讐を果たそう」
握り返した手は冷たかったが、そんなことはどうでもいい。
そうして七歳の誕生日、クローディアは姿を消した。
男から与えられた力は、『ネクロマンシー』というらしい。死体や霊魂を操る力。初めこそ恐ろしいという気持ちがあったが、それらもすぐに麻痺していった。呼び出した死者達の軍勢が王国の連中を蹂躙していくのを見る度覚えたのは仄暗い高揚感と、それから虚しさ。
そんな中、邪魔が入るようになった。宝剣とかいう厄介な剣を持ち、王国のために戦う女。辺境伯の娘がその女と行動を共にしているのを見たのは、陥落した辺境伯領で王国を攻撃するべくアンデッドを作っていた時だった。故郷を滅ぼされた彼女が恨み言の一つも言わないことを不思議に思って問うと、悲しそうな顔で、しかしきっぱりと彼女は言った。
「辺境伯家の務めはこの辺境、ひいては王国を守ることです。父が討たれたのならば、私が代わりに果たさなくては――誰かを恨むのは、その後でいいでしょう」
心底気に入らないと思った彼女とはその後会うことも無く、死んだとだけ聞いた。――いい気味だ、とでも思えればよかったのに。やはりその時も、ただ虚しかった。
コツリ、革の靴が硬い音を立てる。
目の前の男の表情は、よく分からない。貼り付けた薄い笑みが本物でないということくらいは、容易に知れた。
「――君の作るアンデッドは、」
場違いな程に明朗な声が響く。男は今日も、自分の言いたいことだけを言うつもりのようだった。
「死体に君の魔力を与えて命令通りに動かす、要するに自動人形のようなものだ。死者が蘇るわけじゃない」
そんなことは、分かっている。だってあんなものはきっと、求めていた――蘇らせたかった父じゃない。
コツリ、コツリ。男はうろうろと歩き回りながら、話を続ける。
「さて、……ここで一つ、疑問がある。例えば君が君自身をアンデッドにしたとして、君に命じる君はいない。その時君だったものは、一体どうするのだろうか」
コツリ、コツリ、コツリ。足を止め、こちらを見る男の目は昏い。敵として相対していた時も、この目はこんな色だっただろうか。
「…………何が言いたいの」
尋ねると、男はまるで、とんでもなくつまらない話を聞かされた、とでも言いたげな顔で肩を竦めた。
「別に、何も。――死者は、蘇らない」
それは、先程の言葉の繰り返しのように聞こえたが、どこか僅かな失望を含んでいるようにも思えた。
だが、それ以上そのことについて考える前に、男は軽く手を広げ言葉を続ける。
「さあ、――実験を始めよう。君は果たして、復讐を果たすことが出来るだろうか?」
そう唐突に提示された問いと共に、胸に走る痛み。一体いつ、何をされたのかも分からない。見下ろせば、胸に空いた穴が目に入る。
(心臓を、避けて射貫かれた。――即死しないように、けれど確実に死ぬように)
つまりこの男に、ネクロマンシーを使う猶予を与えられたということだ。
「っ、ぅ……あ」
何か言おうにも、もう言葉を紡ぐことも出来ない。ゴボリ、口から溢れた血が床に歪な模様を広げていく。
きっと、何もかもを間違えていたのだ。あの男の言葉に耳を貸した、あの日から。本当は誰を憎めばいいのかも分からないまま、何もかもを壊してきたのはきっと間違いだったのだ。……けれど、それならどうすればよかったのだろう? あの辺境伯の娘のように、全てを飲み込んで成すべき事を、なんて殊勝に耐えていればよかったとでもいうのだろうか。
ああ、せめて、せめて。――一人でも多く、道連れに出来ますように。
目を閉じて、最後の魔法を使う。塗りつぶされる意識で最後に聞いたのは、扉の開く音と、虚ろに明るい男の声。
「やあレイシー、ごきげんよう。すまないが少し、実験に付き合ってくれないか」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
クローディア・サートは上機嫌だった。
いつも忙しい父が、最近は朝早く一緒に、短い散歩をしてくれるのだ。父はまだ小さい自分を角馬達の近くに連れて行くのは心配だと言うが、ラッシュはあんなに優しくて紳士的なのに失礼じゃないだろうかと思う。何にせよ、ラッシュの背に揺られながら父と話をする時間は、とても楽しい。そのために少し早起きをするくらい、全然平気だった。
鼻唄を歌いながら、ばあやを手伝って夕食の支度をする。肉団子のスープが煮える匂いは、もうすぐ帰ってくる父にも届いているだろうか。
「ねえねえ、おばあちゃん」
「はい、何ですかディア嬢ちゃん」
「この前、かっこいいお兄さんが来たでしょう、父さんのお客さんの」
珍しく昼間に一度戻ってきた父が連れていた人は少し笑顔が怖い気がしたが、綺麗な顔をしていたのと、手に持っているのが釣鐘水仙の束だったので何となく大丈夫に思えた。摘んでそのままだった花をばあやがあり合わせの紙と紐で包んでやっている間、彼は父と何やら難しい話をしていた。クイが何とか言っていた気がする。
「あの人、誰にお花をあげたんだと思う?」
「おやおや、あの年頃の坊ちゃんならお母様や姉妹の方に差し上げるんだと思っておりました。違うんですか?」
「あのねえ、今日父さんに聞いたら、マチルダさまにあげたんだって!」
マチルダさまという人は、父の牧場を救ってくれた人なのだそうだ。父は少ししか教えてくれなかったが、怖い魔物を倒してくれたのだと聞いている。父も昔母に贈ったという花を、マチルダさまは喜んだだろうか。せっかくばあやが包んでくれた花なのだから、そうだと嬉しい。
「そうですか、それはそれは。では次があったら、もう少しばかり上等な紙で包んであげましょうね」
「あのね、ディアも一緒にやる!」
笑い合っているとがちゃりと音がして、テーブルに並べようとしていたスプーンを握ったまま玄関の方へ走った。
「お帰りなさい、父さん!」
「おう、ただいま」
入ってきた父に抱きつきに行くと、まだ開いていた扉から夜風が入ってくる。少し冷たい風に混じって、接骨木の花の甘い香りがした。
クローディア・サートは、幸せだ。
こんにちは。消えてしまった物語の二つ目は、未来に起こるべきクローディアの復讐劇の顛末でした。
第一章はこれでおしまいです。お付き合いいただきありがとうございました。
第二章は八月から掲載予定です。また見に来ていただけましたら幸いです。




