9.マチルダ、落下する
閲覧、ブクマありがとうございます。
眼下には、ぽかりと暗闇が口を開けている。
この穴がどれ程続いているのかは分からないが、――少なくとも、このまま真っ逆さまに落ちていけば無事では済まないだろうということは分かった。
「ひぇぇぇえぇぇえ――わひゃっ!?」
落下の最中ぐいと手を引かれ、そのまま抱き込まれる。
「――〈フロート〉っ!!」
「んぎゅっ!?」
声と同時に光、次いでぶわりと急激な浮遊感。例えるなら下降するエレベーターが止まった時――否、電車が急停止する瞬間の方が近いだろうか。内臓が潰れるかと思った。
でこぼことした壁がゆっくり上へと流れていくのを見送りながら降下して、間もなく私達は穴の底に到達した。
「お二人とも大丈夫っすか!?」
頭上から、焦ったようなケニーの声が反響しつつ降ってくる。座り込んだまま見上げれば、先程踏み抜いたであろう穴の上部に開いた隙間は、十数メートル程も上である。
「ええと、はい! とりあえず生きてます!」
「じゃあそこで待っててくださいね! 絶対に! ホントにマジで!」
声を張って答えた私に物凄く何度も念を押したケニーは、どうやら穴を降り始めたようだ。ギシギシ鳴っているのは何だろう、彼の荷物にロープなんてあったのだろうか? 一つ溜め息を吐いて、未だ私を抱え寄せている人物を呼んだ。
「――クレイトン様。ありがとうございます」
その人物――クレイトンは、そこで初めて我に返った様子で深く息を吐く。ついと私から離れると、彼は恭しく頭を下げた。
「緊急とは言え大変失礼いたしました、マチルダ様。……お怪我は?」
「あの、……いえ。ありません」
「それは何よりでした。さて、暗いので少し失礼しますね……〈ウィスプ〉」
「うわわっ、……?」
頭を上げたクレイトンの帽子を被り直しながらの詠唱に応じて現れたのは、薄金色の魔法陣。そこから白い光が溢れてきて、急な明るさに目が眩む。ややあって目が慣れると、そこにはふわりふわりと白い鬼火が三つ浮いていた。
「一つは、ケニー先生のところに行ってもらいましょうか」
クレイトンはそう言って、鬼火の一つをついと指で突く。鬼火はそれを合図に、緩やかに浮上していった。
それを見送りながら立ち上がり、それから鬼火に照らされた穴の中を改めて見回す。直径は、三メートル近くもあるだろうか。穴の壁がでこぼこしているのは、木の根がそこら中を這っているからだった。……であるならば、間違い無い。私はまた一つ、溜息を吐いた――自分自身が間抜けすぎて嫌気が差す。この穴はおそらく、ゲームで塔に入るために使ったものだ。存在を知っていたというのに、こんなに簡単に落ちるとは。
「クレイトン様。……本当に、申し訳ございません」
林檎ハラスメントといい剣のことといい、迷惑を掛け通しである。薄々感じていたことだが、段々と『マチルダ』の年齢に引っ張られているのか私の言動は子供に寄ってきているような……いや、それは言い訳か。
「仮にも辺境伯の名代として来ているのに、こんな体たらくで――」
「ちょっ……これきっつ……おわっ!」
ぎしりと大きめな音と共に頓狂な声が反響して、私もクレイトンも顔を上げた。まだ随分と上の方にいるケニーは、どうやら壁を覆う根を伝って降りようとしているらしい。ロープと違い昇り降りするためには出来ていないのだから当然だが、壁の表面を這っているだけのそれは大人の体重を支えるには足りなさそうである。
「ケニー! 頑張って!」
「どっちかと言うと俺じゃなくて、この根っこに頑張ってほしいっす!」
「あはは、専属護衛って大変ですねえ。〈フロート〉」
「うぉわぁっ!?」
クレイトンの手元に薄黄色の魔法陣が現れると、ケニーの体は何かに持ち上げられたように中空へ運ばれる。前衛芸術のような体勢でゆっくりと降下してきたケニーは、着地しても無言だった。
「あの……大丈夫ですかケニー」
「………………ええ、はい。大丈夫っすよ。死ぬかと思ったっすけど。お二人は」
「大丈夫です、クレイトン様が助けてくださいましたので」
「こちらも無事ですよ」
一度顔を見合わせてからそれぞれ答えると、そこで漸くケニーは大きな溜め息を吐いて振り返る。そして、
「……よかったぁぁぁぁぁ! も〜、視界から二人とも消えた時はいよいよ駄目かと……クレイトン様がいてよかったマジでよかった、ありがとうございます後で絶対辺境伯にも褒めてもらいましょうね!!」
クレイトンの肩を掴んでガクガク揺さぶりながら捲し立てた。ごめんケニー。
「ケニー、心配を掛けてごめんなさい……クレイトン様が目を回しちゃいますよ」
私の言葉に、「おっとやべえ」とケニーが慌てて手を離す。
「失礼しましたっす、つい……それと、俺の方まで助けていただいてありがとうございます。主従揃ってお手数をお掛け通しで」
「普段お世話になっているのは僕ですから。お二人ともご無事で何よりでしたね」
へらりと笑って、クレイトンはそう言う。……何がどうしたら、これが七年後主人公を裏切るんだ。
ケニーは改めて周囲を見回し、それから首を傾げた。
「にしても……〈フロート〉も〈ウィスプ〉も、生活魔法っすよね?」
「ああ、……確かに」
この世界には数多くの魔法が存在するが、それらはまず大別して三つのグループのどれかに属する。主に戦闘中に使う『戦術魔法』、貴重で使う場面も限られる『特殊魔法』、そして市井でも使われる機会の多い『生活魔法』。生活魔法は戦術魔法に比べ小規模ではあるが、それ故に生活に便利な作用のものが多いのだそうだ。ゲームには当然戦闘で使用する戦術魔法しか出てこなかったので、これを教わった時にはなるほどと思った――前世で火薬が兵器としても発破のような道具としても使われていたように、魔法だって傷付ける以外に幾通りもの使い道があって然るべきだろう。
ただ、クレイトンは子爵家の嫡男である。わざわざ生活魔法を覚えたのは何故か――というのが、ケニーの疑問なのだろう。確かに、改めてそう言われると私も同じ疑問に行き着く。クレイトンにもそれは正しく伝わったようで、彼は少し困ったように笑った。
「ええ、……一年程前に、〈フロート〉が無くて悔やまれる場面がありましたので。早速お役に立ったようで何よりでした」
「あらまあ、そんなことが……とにかく、助かりました」
「……嘘でしょお嬢様…………」
何だろう、〈フロート〉が無くて困る場面って。崖下にお弁当でも落としたのだろうか。よく分からないが、それをきっかけにこうして今回助かったのだから良しとしようと礼を述べると、ケニーが信じ難いものを見たような顔で呻く。
「どうかしましたか、ケニー」
「いや、何でも――しっかし、ここは何なんですかね? 古井戸……にしちゃ、でかいっすよね」
「何かの貯蔵庫、或いは……どこかへの通路、とか?」
続けてクレイトンの述べた推論に、ぎくりと心臓が跳ねた。ちら、と目を遣った壁には、細く伸びた胡桃の根が覆って不気味な模様を描いている。
「まあ何でもいいか、とにかく上に――」
――シュゥゥゥ……。
ケニーが促しかけたところで、頭上から降ってきた音。今日、ほんの数時間前に聴いたばかりのものに酷似したその音に、再び顔を上げ――穴の上部、まだ高く浮いていた鬼火に照らされた『それ』を見つけた。細い灰色の体、ジグザグと背を走る黒い模様、赤い目。
「そんな、……アダーワーム!? 何でこんな場所に!?」
木の根を足掛かりに穴を這い降りてくるそれは間違い無く、小型のアダーワームだった。
よくよく耳を澄ますと、地上から人の声らしきものが聴こえる。「奴らを近付かせるな!」というレム隊長の声を聴き取って、状況を理解した――私達は、アダーワームの群れに襲撃されている。
「大変です、アイネ突撃隊の加勢に行かないと……!」
焦って見上げた先、しかしケニーは苦笑いで頬を掻いた。
「あ〜……大丈夫っすよお嬢様。あれでも姉は辺境伯軍の隊長ですし、他の皆さんだって強いっす。さっきはちょっと遅れを取ったっすけど……だからこそ、簡単にはやられないっすよ」
「そう……そう、ですか?」
「寧ろ、今は俺達の方が結構危機的状況っすね」
「え!?」
慌てて目を戻すと、アダーワームの赤い目と視線がかち合った……ような気がして、ぞわりと鳥肌が立つ。
「ひぇっ……」
「う〜ん、長さは二メートルといったところですかね。僕達を食べられるような大きさではないですけど……」
「あいつ、さっきから俺達のこと凝視してるんっすよね……多分、やる気っすよね?」
「かもですね、どうしましょうか」
クレイトンとケニーの話を聞きながら、私は再び壁を――木の根の向こうに覗く、石とは異なる色を見る。
どうする? この狭い場所では、クレイトンの攻撃魔法は使えない。あの大きさのアダーワームがどの程度硬い鱗を持っているかは分からないが、ケニーの剣が通ることを期待するのはあまりにも楽観的だろう。そして何より、〈ヴェノムミスト〉。ここでやられたら、逃げ場が無い。
私は一つ深呼吸をして、――隣に立つクレイトンを呼んだ。
「…………クレイトン様。〈ヒート〉をお願い出来ますか」
「〈ヒート〉ですか? 勿論、いたしますが……」
「話が早い! ありがとうございます!」
不思議そうに首を傾げながらも、クレイトンは即座に攻撃力上昇の魔法を発動する。軽く礼を述べ、くるりと向き直った私は壁を覆う根の間に両手を差し入れた。
「いきますよぉ……うりゃっ!!」
手に力を込めると、ブチブチブチッ、と胡桃の根が千切れる音がする。そして壁を覆っていた根をカーテンのように左右に押し広げると、
「これは、扉……?」
大きくはないがそこには確かに、扉らしきものが現れた。元は分厚く頑丈だったのだろう木の板は、今や朽ちかけてボロボロである。
「……何だ、これ。塔の方に繋がってるのか……?」
ケニーの疑問に「そうです」とはさすがに答えられず、とりあえずぐるぐると肩を回してみる。
「ええ〜、と……まあとにかく、ここまでボロボロならスキルは要らないですよね。とうっ!!」
バゴンッ!!
正拳突き一つで、扉は簡単に砕け散った。ふふん、他愛も無い。
「開きましたよ。さあ、早く」
促す私に、ケニーの顔が盛大に引き攣る。
「いやでも、お嬢様。どこに繋がってるのかも分からないのに……」
「少なくとも、今迫っているアダーワームからは離れられます。行きましょう」
「ほらほら、クレイトン様も仰ってるじゃないですか。行きますよケニー」
ぐいぐいと、渋るケニーの腕を二人がかりで引っ張る。さすが辺境伯家の護衛だけあってびくともしないケニーは私達と頭上のアダーワーム、それから目の前の扉――の残骸をぶら下げた穴を見比べて、「うがー!」と喚いた。
「分かった、分かりましたって! ああ畜生、俺にこのお嬢様のお目付けなんて、最初から無理だったんだ……」
ごめん、諦めてくれ。
いつもありがとうございます。
来週の更新はお休みします。




