8.マチルダ、巡礼する
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「ほら、乗り出さない。昨日城代様に言われたっすよね?」
手にした櫂をキイキイと動かしながら、ケニーが言う。湖の水は澄んでいて、黒い水底を背景に泳ぐ魚、或いは魚型の魔物の姿がよく見えるのだ。……さっき見たの、ゲームで船の移動中にエンカウントしたやつじゃないだろうか。
「泳いでいる魔物が気になって……」
「覗き込んでたら鼻を齧られますよ、マチルダ様」
「ぴぃっ!?」
「あっはっは……大丈夫です、まだ付いてます」
即座に頭を引っ込めて鼻の無事を確かめると、笑い声。やめてくれ、ここでエンカウントしたのが実際に齧ってきそうなやつだったんだよ。
湖の岸には小舟が何艘か繋がれていて、私達はそれぞれ分乗して島へ向かっていた。私とクレイトンとケニー、レム隊長とタルトンとキーシャ、最後にサイモンとショール。ショールはこの移動中の警戒役のようで、弓矢を手に小舟に立っている。
「はい、とうちゃーく。お二人とも船酔いとか無いっすか」
「大丈夫ですよ、ありがとうございます」
運良く水中の魔物とエンカウントすること無く、私達の舟は島の岸に無事到着した。先に降りたケニーが、浅瀬に入って舟を押し上げる。こういう時、自分の立場や年齢を考えると仕方が無いものの居た堪れない。何となく、前世で旅行した時に宿の人が布団を敷いてくれる間の所在ない気分を思い出す。
「しかし、何故こんなところに塔など……人里も遠いし、不便だろうに」
「食べ物も簡単には手に入らんでしょうな」
「こんだけ魔物が泳いどったら、おちおち釣りも出来んしなあ」
「それでもここに住むような事情って何ですかね?」
「さて、人嫌いの隠者の話は昔話でよく聞きますが……」
アイネ突撃隊の面々が、バシャバシャ豪快に舟から降りつつ口々に塔についての見解を述べている。なるほど、人嫌い。……本当にそうだろうか? 人が嫌いならもっとこう、人と会わないためにも自給自足が簡単な土地に住んだりしないだろうか。
(まあ、魔女の考えてたことは魔女本人にしか……あ、)
ふと、昨夜夕食が進んだ頃、クラウス隊長から聞いた話を思い出した。確か、元は狩人をしていたという、彼の祖父から聞いたのだと言っていたか。
『若い頃クラカタックの森の奥まで狩りに入った折、塔から五百年前に討たれた魔女の断末魔が聴こえたとか――』
(………………)
無し。今の無し。
(獣とか魔物の声だって。いやあホント、狩人さんに何事もなくてよかったよかった)
だから大丈夫だと己に言い聞かせつつ、塔を回り込む。塔の南側の地面は、胡桃の根ばかりがボコボコと伸び、他は黒い岩や土が剥き出しだった。胡桃の周りには他の植物が育たないと聞いたが、ここまで露骨だったとは。
「近くで見ると大きいですね」
「随分と実が出来ていますね。もう酢漬けには遅いかな?」
胡桃の木は、四階建ての塔と同じくらいの高さまで伸びている。サワサワと葉擦れを起こす緑の葉の合間には、緑色の丸い実が幾つもついていた。
「胡桃を酢漬けにするんですか?」
「実が若くて、種も柔らかいうちですが。以前、うちの家政婦が教えてくれました」
酢漬けを初めとした瓶詰めの保存食を作るのも、家政婦の役割だ。暇な時に屋敷の中を彷徨いていると使用人達が構ってくれることがあり、ちょうど酢漬けの仕込みを終えたところだった家政婦のマーサからそんな話を聞いたのだ。尤も「まだお嬢様にはお早いのですが」なんて前置きがあったので、残念ながら私の口には入らないらしい。
閑話休題、胡桃の木のすぐ近く、目的の四阿があった。
「あれですね。……マチルダ様、我々はここで待機しつつ警備をいたします」
レム隊長の言葉に頷いて、クレイトンとケニーを伴い進む。
四阿はあまり大きくないが、しっかりとした造りのものだった。置かれたテーブルも石材を使った頑丈なもので、その上には叔父から言われていた通りに大きな皿が二枚とゴブレットが二脚。陶器の皿も銀色のゴブレットも、たった今そこに並べたように綺麗である。食器類は定期的に新しくしていると聞いたから、そのためだろうか。
「それじゃ準備しちゃうんで、お待ちくださいね〜」
「ええ、お願いします」
四阿へと上がっていったケニーが、運んできた荷物からまずパンを取り出す。大麦を使った薄めの生地を鉄板で焼いた平焼きパンは時間が経って硬くなっているようで、皿に置かれる時にゴツリと冗談のような音を立てた。焼きたてではないものはさすがに初めて見たが、もしかして不用意に齧りついたら歯が折れるのだろうか。続いて取り出されたのは布に巻かれた塊で、包みを解くと中身は真っ黒だった。
「やっぱり丸ごとだと凄い見た目ですね」
「完全に石ですよね」
ウエストベイル辺境伯領でも最高級であるこのチーズは『バサルトチーズ』と言い、名の通り玄武岩のような見た目である。その正体は熟成前に豚脂の上から塗られる灰で、チーズの保存性のためというそれは熟成を終える頃にはすっかり黒く固まっているのだ。一応灰も食べられるらしいが、昨夜の夕食には中の白い部分だけが出されていた。
「……どちらかと言うと、旧知の人へのお土産のような内容ですね」
「え」
ぽつりとクレイトンがそう言い、改めて並べられた品物に目を遣る。ケニーが白目錫の入れ物から卓上のゴブレットへと注いでいる暗い赤色の液体は、匂いからして麦火酒に山査子や棘李の実を漬け込んだ薬酒だろう――辺境伯領では伝統的な、冬の間体を温めるためのものである。親しい間柄では、冬を無事過ごせるようにと贈り合うこともあるそうだ。
(討たれた魔女、なんだよね。まさかご先祖様、それまでお世話になってた魔女に対して冤罪とか魔女狩りとか……?)
考えたくもない。が、わざわざ毎年こんなお供え物をするなんて、という疑いはどうしても晴れない――五百年も前のことでは、晴らしようもないのだが。
やや悶々としていると、ケニーの声。
「お嬢様、全部並べ終わったっすよ。ご挨拶をどうぞ」
「ああ……ええ。ありがとうございます、ケニー」
いけない。この『ティーカーネ巡礼』がどういう経緯で始まったのかは分からないが、今の私は辺境伯の名代である。まずはきちんと、役目を果たすべきだろう。ケニーと入れ替わりに、四阿の前へと進み出た。
「塔の魔女、マウゼリンクス。辺境伯名代マチルダ・バーレイストローが今年のご挨拶を申し上げます」
跪き、胸の前で手を組む。――どうかせめて、次の巡礼までの時間が、穏やかなものでありますように。
サワサワと葉擦れだけが鳴っている中祈り――ふと、先程森の中で覚えたような感覚が首筋を駆けて、我に返る。
(…………何……?)
顔を上げてきょろきょろと見回すが、やはり何も見つからない。ふと斜め後ろを見ると、私同様跪いていたらしいクレイトンが胡桃の根を確かめるように指で辿っていた。何をしているのだろうと見ている前で彼は、根の隙間の地面に触れる。つまみ上げたのは、砂だろうか? きらきらとまるで薄硝子を砕いたようなそれを掌に乗せたクレイトンの目が、すうと鋭くなる。
「これは――」
――しゅるり。
「ぴゃあっ!?」
出し抜けに衣擦れの音がして、文字通り私は飛び上がった。
(何何何何っ!? 誰!?)
脳裏に浮かんだのは、つい先程も思い出していた話。
『五百年前に討たれた魔女の断末魔が――』
まさか、……まさか。
「……魔女の幽霊!?」
「うわっ!? ちょっと、落ち着いてくださいマチルダ様!」
「やだやだやだ無理無理無理、無理っ!」
隠れる場所を求めて、手近にいたクレイトンの腕にしがみつく。……ほっそいなこいつ、さすがもやしステータス。
「お嬢様、クレイトン様の腕が引っこ抜けちゃいますよ。大体、昼間から幽霊なんて…………あ?」
ケニーが私を宥める途中でらしくもなくガラの悪い声を上げて、不思議に思い顔を上げた。
「何が…………、あ」
塔の一番上、五階に空いた窓。そこからだらりと垂れた、白いもの。
「…………何故、あんなところに……?」
同じものを見つけたらしいレム隊長が、呻くように言うのが聞こえる。そんなの知らない、知りたくない。
窓から垂れているのは、病的な程に白い腕。腕は僅かに揺れて、その奥から黒いものが――黒い髪を備えた頭がにゅうと差し出された。腕と同じく白い額、次いで覗いた赤い目と、目が合う。
「………………、い、」
ざらりと長い黒髪の、白い顔をした女が私を見下ろしていた。
「いぃぃやぁぁぁぁぁぁああああぁぁああぁぁっ!!!」
「あっちょっ……マチルダ様!」
「どこ行くんすかお嬢様!?」
絶叫、後立ち上がり猛ダッシュ。女が見えない所――胡桃の木の裏手へ回ろうと、胡桃の根と黒い岩を踏んで走る。ボコボコと妙に節くれだった根を踏み越えた途端、――ずぼ、と足元の地面が沈んだ。
「へ……わぁあっ!?」
「マチルダ! ……っ、げ、」
がし、と手首を掴まれる――が、それと同時にブチブチと何かが千切れる音。私の体はそのまま、足元の暗闇へと吸い込まれていった。




