7.マチルダ、参戦する
※残酷な描写有り。
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――ジュゥゥゥ……。
アダーワームが捨てたオブリーコービーの死体から、焦げるような音がする。先程噛み砕かれた際、アダーワームの牙から流れた毒のせいだろうか。
蛇に睨まれた……というやつなのか。崖下の誰も、動かない。チロチロ、チロチロとアダーワームの細い舌だけが忙しなく動くのを見守る時間が、一分、二分――。
「シュゥゥゥゥゥ……」
動いたのは、アダーワームだった。ぐ、と擡げた鎌首が後ろへ、まるで引き絞るように引かれる。そして、
「ちっ!」
「おお、危ねえ」
――ドォン……ッ。
崖上からの、凄まじい勢いの突進。飛び退ったタルトンとショールが一瞬前までいた場所に、地響きを立ててアダーワームの五メートル程の巨体が着地する。大きな音に驚いたのか、クレイトンとケニーの角馬達が嘶きを上げた。
「わわわ……どう、どうどう。よしよしいい子だね〜」
「ほら、大丈夫だから落ち着け!」
キーシャと、駆けつけたケニーがそれぞれ馬の手綱を取って宥めにかかる。魔物に慣れているのだろうアイネ突撃隊の馬が騒がないのは幸いだったが、放置すれば動揺が移ったり暴れて蹴り合ったりする危険がある。だからこの場合、馬を落ち着かせるのは優先事項だ。
「〈流火〉!!」
――ガギィンッ!
タルトンが振り下ろした戦鎚が、強靭な尾に弾き飛ばされた。……アダーワームはゲームでも比較的防御が固かった記憶があるが、あの鱗は一体どんな硬度をしているのだろうか。
「ジャァァァァアアアアッ!」
「くっ……! 〈ヴェノムミスト〉か!」
レム隊長が声を上げると同時、アダーワームが紫色の煙を吐き出す。煙はそのまま、アダーワームの全身を押し包んだ。
魔物が使用する技、〈ヴェノムミスト〉。ゲームでこれを使われると一定時間直接攻撃する度にダメージを受けたり、運が悪ければそのまま毒状態にされたりしていが、どうやらここでもそれは同じであるようだ。
レム隊長は回避が間に合ったが、戦鎚を弾かれ態勢を崩していたタルトンはそのまま煙を浴びてしまった。ジュウ、という音が微かに聴こえる。
「ぅぐっ……」
「下がれ、タルトン! ……ショール!!」
「へぇい、よっと!」
ショールが放った矢の連撃は全て鱗に弾かれたようで、煙の中でカカンッと乾いた音がした。〈ヴェノムミスト〉使用中は、攻撃の命中率も下がるのだったか。
その隙にタルトンは後退し、サイモンが大盾を構えて素早くアダーワームとの間に立ち塞がる。タルトンは大丈夫だろうか? 確か出発前父に持たされたものが、鞄の中に……あった。
「タルトン、これを!!」
叫んで投げたそれをサイモンが空いた右手でキャッチし、大いに驚いた顔をしたがそのままタルトンに渡してくれる。短い会話の後タルトンが一息に呷ったそれは神殿や治癒院で作られる回復アイテム、ポーションである。備えあれば何とやら、こういう時はそこそこ高価なものでも手元に集まりやすい辺境伯家でよかった。さて、ひとまず安心ではある――が。
(あ〜……これって結構、ピンチなやつ?)
硬い鱗と巧みに振るわれる尾、牙の猛毒と〈ヴェノムミスト〉。もしかしなくても、アダーワームって結構な難敵なのではないだろうか?
「……クレイトン様」
「あれを仕留められるような魔法は、こういう狭所には向いていませんね。最悪皆さん巻き添えです」
すげない返答と共に、ついと古銀色の柄が差し出された。鞘には、鎌剣を咥えたワイバーンの刻印。……だから、主家の令嬢を前線に出すなと。いいけど。
「お借りしてしまっていいんですか?」
「だって僕よりお上手でしょう」
「……では、ありがたく」
微妙に肯定しづらい台詞はスルーして剣を受け取り、立ち上がる。同じく立ち上がったクレイトンは、どこか楽しげに目を細めた。
「道を開ける以外に、何かご希望は?」
「あれの目を眩ませてください。数秒でいいですから」
「承知いたしました。――ではまず、〈ヒート〉」
言葉と同時に浮かび上がる赤い魔法陣と、体をごうと巡る熱。……〈ヒート〉での攻撃力上昇率も、この一年で上がっている気がする。父に稽古を付けてもらう度、クレイトンの〈ヒート〉の世話になっている私が言うのだから間違いは無い。あの人も大人げないので、補助無しだと一合も打ち合えないのだ。
鞘を払うと、まだ新しい刀身が現れた。軽く振ってみるが、重さに問題は無いようだ。
「それではお願いしますね、クレイトン様」
「ええマチルダ様、ご武運を。――〈エアリアルカッター〉!」
――ヒュパパンっ!!
鋭く響いた声に続いて、幾つもの鞭が風を切るような音。不可視の風の刃がアダーワームを打ち据えるついでに周囲に漂う霧を巻き込み、視界を晴らしていく。それを追って駆け出した私を視認したらしいアダーワームは、擡げた頭を僅かに引いて攻撃態勢をとる――が、その牙が繰り出される前に再び響く声。
「〈フラッシュ〉!」
最短詠唱と共に背後から、熱を感じる程の強烈な光が照射された。
光属性魔法、〈フラッシュ〉。相手の攻撃命中率を下げる補助魔法だったと記憶しているが……なるほど確かに、こんな光量をぶつけられたら攻撃なんて当てられるはずもないか。アイネ突撃隊の面々も巻き添えを食らっているようだが、気にするのは後のことだ。
「うわ眩し……何してんですかお嬢様ぁ!?」
「ぐっ、……マチルダ様!? いけません、そいつに剣は!」
焦りを多分に含んだ、ケニーとレム隊長の声。ごめんケニー。
レム隊長の言いたいことも、分かる。確かにアダーワームの硬い鱗に斬りつけようものなら、こんな剣ではひとたまりもないだろう――しかし。
(どんなに防御を固めても、『そこ』はガラ空きのままでしょう?)
たん、と地面を踏み切り、突然の目眩ましに咄嗟にとぐろを巻いたアダーワームの方へ飛ぶ。体内を魔力と熱が巡るのを感じながら、体を捻った。
「――〈旋風〉!!」
防御を固めた相手に対してのみ、その防御をすり抜けダメージを与える攻撃スキル〈旋風〉。逆手に振り下ろした小湾刀は、アダーワームの見開いた目へ吸い込まれる。プツリと膜を破る振動、それからずるりと不吉な感触と共に、弧を描いた剣は根元まで一気に眼窩へ沈んでいった。
「ジャァァ……ッ!!」
びくり、痙攣したアダーワームが硬直する。程なくドサリと地響きがしそうな勢いで横たわる隣に降り立ち、詰めていた息を吐いた。
(あ〜……上手く刺さってよかった…………)
蛇は瞬きをしないので、どんなに眩しくとも目は閉じないだろうとは踏んでいたが――それと、私が上手く目に攻撃を当てられるかは別問題である。太刀筋に自信が無いわけではないが、まあちょっとした賭けではあった。
さて剣を引き抜こうか。そう思った瞬間、僅かにアダーワームが動いたように見えた――それと同時に、レム隊長が再び声を張り上げる。
「マチルダ様、離れてくださいっ!!」
「へ……うわぉっ!?」
疑問を口にするより早く、ぶんと大きく身を捩るアダーワーム。投げ出された空中で、何とか体勢を立て直す。
「よ、と……」
着地した私が目を戻すと、眼窩から剣の柄を生やしたアダーワームがその場で激しくのたうっていた。
「え、何で? ……まさかアダーワームって、あそこに脳味噌無いですか!?」
何ということだ……じゃあ今大暴れしているあれは、頭部破壊で登場する最終形態か? 聞いてない。
アダーワームは、何かの拍子にこちらへ転がってきそうな勢いで暴れている。その度ビチャ、と傷口から流れる血があちこちへ飛ぶ。そこそこ気持ち悪い動きにゾワゾワしながら警戒の注視を続けていると、この状況であるのに異様にのんびりとした声。
「大丈夫だぁ、魔物……生き物の頭を潰したらまぁ、こうなるもんだ」
いつの間にか隣にいた――否、私が着地したのが彼の隣だったのだろう――ショールは、相変わらずややぼんやりしたような顔で弓を構えながらそう解説を述べた。
「なるほど……あれ、どうにかした方がいいんでしょうか」
「放っといてええ、五分もすりゃあ大暴れは終わる。……しっかし、暗殺者みてぇな仕留め方だったな」
「そこはまあ、武器の都合と言いますか――」
「マチルダ様!!」
「わぁっ!?」
唐突に結構な音量で呼ばれ、小さく飛び上がる。振り向くと未だ髪に血の斑を乗せたままのレム隊長が、悄然と立っていた。
「びっくりした。どうされましたかレム隊長」
「タルトンに貴重なポーションを分けていただき、ありがとうございます。……それと」
レム隊長は、言葉を切ると眉尻をしょもりと下げる。
「申し訳ございません……昨日あのように大口を叩いておきながら、マチルダ様のお手を煩わせるとは……」
しゅん、と項垂れるレム隊長。力無く垂れる耳と尻尾が見えるようだ。毛色こそ違うが、前世でご近所の方が飼っていたハスキー犬のリッキーが叱られた時にとても似ている。
「ん〜……でも、アーマーラットは全部倒していただいたじゃないですか。あれだって、あなた方だからああして冷静に対処出来たんでしょう?」
「ですが……」
「も〜、また勝手に前に出て~。お怪我は無いっすか、お嬢様」
レム隊長が言い募ろうとしたところで足音と、それから呆れたような声。
「あら、ケニー。……無いですよ、馬はもういいんですか?」
私が尋ねると、ケニーは苦笑と共に頷いた。
「一応は。この辺一帯の臭いを誤魔化すのに鼻の下に精油を少しばかりつけてきたんで、アダーワームが転がってても暫くは大丈夫じゃないかって」
「精油、ですか? ……蛇の臭いって、馬にとっては嫌なものなんでしょうか」
「蛇に限らず、魔物の臭いは嫌うそうっすね……まあ俺も、今キーシャさんから教わったんですけど」
だから俺今めっちゃいい匂いっすよと、ケニーはけらけら笑う。ちらりと目を向けると、キーシャは他の角馬達にも声を掛けているようだった。近くの崖の側にはタルトンが休んでいて、遠目に見る限りうっすらと火傷のような赤みがあるものの、サイモンと話す様子に問題は無さそうである。
「よかった、とにかく皆様ご無事で」
「ご無事じゃなくなる前に『飛竜殺し』が来からのお。……ほれ隊長、後始末と警戒に戻らんと」
「……む、分かった」
ショールに促され、レム隊長が私に一礼してから離れていく。私は私で、ケニーに伴われて元いた場所まで(出来る限りアダーワームから離れたところを歩いて)戻った。クレイトンは先程と同じところに立ったまま、「お帰りなさいませ」と一礼してみせる。
「今回もお見事でしたね、マチルダ様」
「ありがとうございます、クレイトン様。サポート助かりました。…………あの、ごめんなさい、剣が……」
先程よりは大人しくなったものの未だにのたくるアダーワーム――の眼窩に刺さったままの剣を指してそう言えば、ひらひらと革手袋の手が振られた。
「あはは、いい加減重くて嫌気が差してたんですよねえ。お役に立った上に外す言い訳まで出来て、何よりです」
「あの、…………はい。ありがとうございました」
そう言われてしまうとあまりしつこく続けるのも躊躇われ、礼を述べればへらっと笑いが返される。……こいつのこういうところは、素直に凄いと思う。
それからクレイトンは少し背筋を伸ばし、薄ら笑いで首を傾げた。
「さて。――では、マチルダ様」
「え? は、はい、クレイトン様。何でしょう」
思わず身構えた私に、彼は椅子代わりの岩を手で示して言う。
「お昼の続きにされますか?」
それはちょっと。
「マチルダ様……こんな時ですが進言しても……?」
心なしか覇気の無い声で、クレイトンが言う。
広場を出て、一時間弱程。ここまでは村人達も入ってこないらしく、木の根が這う地面は濃い色の苔に覆われている。叔父から予め聞かされていたとは言え、百点満点の悪路である。ごうごうと響いているのは、湖が川に流れ込む音だと先刻聞いた。
「ええどうぞクレイトン様、何でも」
「……寛容なお言葉をいただき、ありがとうございます……あのですね。この道、年一回の使用だからって放置しないで、ちゃんと整えましょう……?」
「絶対にやってください、予算が下りなかったらワイバーン討伐の報償金を出してもいいです」
「めちゃくちゃかっこいいっすねお嬢様」
「ご存知なかったんですか?」
与太話を挟みつつ黒い崖に刻まれた短くも急な階段を登り切ると、急に景色が開けた。ジャリ、と足元で黒い砂が鳴る。
「マチルダ様。あれが『マウゼリンクスの塔』です」
「あれが……」
レム隊長の言葉に、ジャリジャリと足を進めながら『それ』を眺めた。
高い位置に昇りつつある太陽の光を受けてなお、湖面は黒む鏡のように静かに広がっている。その中央、小さな丘のような島に、ルーチャ砦と同じく石造りの塔が確かにあった。その傍らには、塔と同じ高さにまで成長した胡桃の木。
あれ程喧しかった、川の唸る音が遠くなる。脳裏に浮かぶのは静かなくせに不安を煽るような音楽と、寄り添う塔と木のドットイラスト。
(…………まさか)
突然、鮮明に思い出す。ここは、ゲームで来たことのある場所だ。『マウゼリンクスの塔』――ゲームでのダンジョン名は、『森の古塔』。
ここはウエストベイルのシナリオの途中、特定のイベント前にだけ行くことの出来る、所謂『隠しダンジョン』である。




