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帰還の蝶【長編・本編全話登録済み】  作者: 清水 朝基
第八章 北への飛翔
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火祭り

 春の到来を感じる麗らかな朝。威勢のよいかけ声が、晴天に抜ける。

 薪(まき)を担ぎ、組み上げていく男達。小さな子供達が、きゃらきゃらと笑いながら、駆けていく。祭りを目前に控えた、そわそわとした雰囲気が、あたりに漂っていた。

「おーい、ヤルネー!」

 ヘリイェイルが、指揮を執る男に、腕を振り上げる。

 ヤルネと呼ばれた男は振り返り、人懐っこい笑みを浮かべた。

「ああ、ハリヤ! おはよう」

「おはよう。――いやあ、精が出るなあ」

 ほぼ組み上がりつつある、広大な薪の舞台。

 眺め渡して、ヘリイェイルが感嘆の声を上げる。

「そりゃあ、俺が仕切るからには、下手なもんはつくれねえからなあ」

 にっと笑う、青い瞳。どこか、見覚えのある面差し。

 会うのは初めてのはずなのにと、不思議に思っていると、ヘリイェイルが説明した。

「エイノ。この居住区の区長のヤルネだ。――ヤルネ。これが、この前話した俺の〈契り子〉のエームンドだ」

 白い面立ちが合点して頷く。明るい笑みを浮かべると、ヤルネは改めて名乗った。

「これは、なるほど――はじめまして、鍛冶屋で区長のヤルネ・ヤルネソンです。〈薔薇の宮〉では、息子のアフシンが、大変お世話になったようで。お会いするのを、楽しみにしていたんですよ」

 その名に、飛び出るほど鼓動が跳ねる。

 あんなに調べ上げたくせに、正直、今日まで、すっぽり抜けていた。道理で、目元に見覚えがあるわけだ。

 おかしな動きをする心臓を、なんとか抑えて、挨拶を返す。

「世話だなんて、とんでもないことです。息子さんのおかげで、ずいぶん賑やかに過ごせました。どんな時も楽しくいられたのは、彼のおかげですよ」

 いつだって、アフシンは明るかった。その名の通り、暗い闇夜を照らす、輝く星だった。

「いや、そう言っていただけると。もう、口ばかり回る子で。いくら言っても聞かないんですよね――まったく、誰に似たんだか」

 やれやれと恐縮する姿。

 髭があるせいで、そっくりには思えなかったが、口調と仕草がそのもので、親子なのだと実感する。口達者は、父親譲りなのだろう。

「――それで、アフシンはこれからか」

「ああ、そうだな。いつも、むこうで昼を食べてから出てくるから。午後の礼拝前には、帰ってくるんじゃないか」

 今日は火祭り。つまり、年末年始の休暇の初日だ。

 入宮した身ならいざ知らず、普通の家庭の学生は、実家で過ごすのが通常である。

 ざわつく胸中を必死に鎮めていると、ヘリイェイルが、にこやかに告げた。

「よかったな、エイノ。久しぶりだろう。せっかくだから、うちで、ゆっくりするといい」

「帰ってきたら、挨拶に行かせますから。――あ、でも、本当にやかましい子なんで、うるさかったら、遠慮なく放り出してくださいね」

 区長、と指示を仰ぐ声。ヤルネは快活に応えると、

「じゃあ、俺はこれで。いい祭りを!」

 と、満面の笑みを残して、仲間の元へと歩んでいった。

 茫然と、その背中を見つめる。

 アフシンが、訪ねてくる。あんなにも、壮大に別れを告げたというのに、どんな顔をして会えばいいのだろう。

 しかも、親しい知己として認識されているのだ。応接室で、というわけにもいかない。誰もいない私室で――寝台のある、あの部屋で、会うことになる。

 昨夜、逆光に浮かぶ凛々しい面立ちを、その白雪の手を、よすがにしたというのに。

 肩を叩かれて、はっとする。

 不思議そうな金灰色の髭面。呼ばれていたのだと気づいて、しどろもどろになる。

「――す、すみませんっ! なんでしょう⁉」

「いや、そろそろ、他も回ろうと思ってな」

 それはそうだった。そのために、この祭りの会場に来たのだった。

 巨躯がかがみ込み、まじまじと眺めてくる。心配する声音が問いかける。

「エイノ、大丈夫か? 顔が赤いが――」

「大丈夫です! ――さあ、行きましょう、養父上(ちちうえ)!」

 これ以上はたまらないと、先陣を切る。しかし、すぐに、そっちじゃないぞ、と指摘されて、急転回した。


 結局、予定が変わったのか、アフシンは訪ねてこなかった。

 ほっとしたやら、残念やらで、夕方になる頃には、すっかりぐったりしていた。

 ようやく、その姿を見かけたのは、夜、火祭りが始まってからだ。

 ヘリイェイルにスヌンゴ、そして、南槍戦将である領事とその妻子とともに、観覧席で見物していると、焚き火を飛び越える列の中にいた。

 燃え盛る炎に照らされた、輝く姿。その凛々しさに、とくとくと、鼓動が高鳴った。

 しかし、浮かれた気持ちは、一瞬で消え去った。アフシンの、その隣には、もう一人の少年が並んでいたのだ。

 何か冗談を言っているのか、笑い転げる二人。順番が来れば、息もぴったりに飛び立った。

 快哉を叫ぶ、ふたつの横顔。肩を組んで、並んで歩く二人。

 ここは、アフシンが生まれ育った場所だ。だから、当然、親しい友人も多くいるだろう。

 あの、人好きのするアフシンなら――分け隔てなく、他者と関係を紡げる彼なら、なおさらだ。

 それなのに、心がざわついた。心の何かが、ただの友人ではないと、告げてきた。

(……もう、これ以上……深入りしてはいけないのに……)

 散りかけた花を摘むように、人の関係にも、終わらせるべき時期がある。

 次の季節を実りあるものにするためには、たとえつらくても、見苦しく咲き続けてはいけないのだ。

 きつく、抱き枕を抱き締める。寝静まった夜の闇の中、滲むヤワ更紗の紋様を、ひたすらに見つめた。


 ゆっくりと、意識が浮上する。伸びをしながら、熟睡感に満足する。

 昨夜、よく眠れなかったせいで、昼食後、酷い睡魔に見舞われた。挨拶回りも一通り終えたということで、自室で昼寝をしていたのだ。

 ファールサに連れられて以来、習慣としては途絶えてしまったが、やはり、たっぷり午睡したあとの多幸感は、他ではちょっと味わえない。

 微睡みの残滓を味わって、寝返りを打つ。すると、思いがけない姿があった。

「よく眠れたみたいですね、兄上」

「――アフシン……!」

 驚くままに起き上がって、目をしばたく。夢ではないらしい。

「……いつから、いたの……?」

「昼を食べてから、すぐ家を出た――というか、放り出されたので、一刻くらいですかね?」

「起こしてくれれば、よかったのに……」

 そうしたら、こんな適当な格好ではなく、もっとまともな揃えで出迎えられたのに。なんだか、せっかくの再会が台無しだ。

 淡くむくれていると、白雪の面立ちに、苦笑が浮かんだ。

「だって、気まずいじゃないですか。あんなに格好つけたくせに、のこのこ挨拶しに行くなんて」

 昨日、巡った思考と同じ心。

 思わず顔が緩む。勢いづいたように、いつもの調子が、澱みなく語り出す。

「だから、父には、もう十分だって言ったんですよ? でも、わけのわからんこと言ってないで、さっさと行ってこいって、せっつきますし――ボルナーは、まあ確かに、何も言いませんでしたけど、わざわざ起こすなって、すごい圧でしたし」

 事情がわかりすぎて、眉尻を下げる。

 こうして無事、再び見(まみ)えたのだ。周囲の図らずもの助け舟を、素直に喜ぶべきなのだろう。

「――まあ、兄上の可愛い寝顔を、じっくり眺めてたら、決まりが悪いとか、そういうの、どうでもよくなっちゃいましたけど」

 青い瞳に浮かぶ、悪戯っぽい笑み。

 そんな無防備な姿を、ずっと見られていた。

 頬が熱くて、とっさに俯く。かろうじて、言葉をこぼす。

「僕も……会えてよかったと思う……」

 耳に心地よい、涼やかな低い声。

 物語のように格好がつかなくても、それだけで十分だった。

 そっと、白い指先が、顎をなぞる。撫で上げられるまま、白雪の顔を見つめる。おもむろに、唇が近づいてくる。

「……アフシン」

「わかっています。――でも、あなたは旅立つ。それまでは、どうか、俺の蝶でいてください」

 切なく光る、真摯な青い瞳。

 吸い込まれるように、吐息が混ざり合う。甘く食む、温かな柔らかさを感じる。

 抱き締める、逞しい腕。幸せな微睡みに満たされる。

 こんなことなら、昨日、悶々と待たずに、会いに行けばよかったのだ。ヘリイェイルに尋ねれば、家もわかることなのに。

 そうすれば、あんな妙な空想に、悩まされることなんて――。

「――うえ。兄上?」

 はっと、目を開ける。

 戸惑い憚る、白雪の面立ち。傷ついた声が、苦しく語る。

「すみません……俺……ちょっと、舞い上がっちゃったみたいで……」

 離れようとする身体に、とっさに抱きつく。

 残された日々は少ないというのに、こんな時に、なんて馬鹿なんだろう。

「違うんだ、アフシン――僕の、勘違いだから……嫌だとか、そういうのじゃないから……」

 離すまいと、きつく抱き締める。

 抱き返して、優しい声が、鼓膜を震わす。

「わかりました。いなくなりませんから――ちゃんと、わけを話してください」

「……火祭りで、楽しそうに話している君を見たんだ――それで……」

 冷静に考えれば、馬鹿馬鹿しいことだ。

 しかし、それでも、言葉にするのは、ひどく恐ろしく思えた。

 抱き締める確かなぬくもりを感じながら、なんとか口にする。

「君にとって、特別な人なんじゃないかって……きっと、ただ親しいだけじゃないって――そう思ったら、すごく、もやもやして……」

 そんな、可愛らしいものではない。もっと、どろどろで、ぐちゃぐちゃした感情。

 この思いに名をつけるとしたら、何と言うのだろう。

「……その、見かけたっていうのは、一緒に跳んだ奴ですか?」

 静かな問い。頷けば、少し困ったような溜め息が、耳をかすめた。

「セペフルは、幼馴染みです。それと――お察しの通り、入宮前は、花遊び〈グリ・バーズィー〉の友でした」

 はっと身を起こす。

 心の奥底から湧き上がる、非難がましい叫びが、顔を歪ませる。金色の眉が、惑うように下がる。

「そんな睨まないでくださいよ。本当に、枝葉院に入る前の一年半だけで、二股なんてしていませんから」

「……でも、仲いいんだね」

 困り果てた顔。我ながら、幼稚だと思う。それでも、追及を止められなかった。

 何かを諦めたように、アフシンが白状し出す。

「そりゃあ、一番気の合う幼馴染みですし、あいつの親父さんは、守備万騎兵団南西隊の千騎兵隊隊長ですから、区長の息子としても、シャフリカシャン攻略の要としても、重要でしたし? 何より、あいつには、大きな借りがあるんで、頭が上がらないんですよ。――どうです? ご納得いただけましたか?」

「借りって……?」

 白雪の顔が、一気にまずい表情になる。上目遣いにじっと見つめると、大きな溜め息がこぼれた。

「昔、付き合ってた女の子がいて――枝葉院に入院する時に、別れたんですけどね? いや、俺は、綺麗さっぱり別れたつもりだったんです。だって、あいつ、俺が区長の息子だから選んだだけなんで。俺も、あいつの家が騒いだら、父さんに迷惑がかかるってわかってたから、応じただけですし。――でも、退宮して実家に帰ったら、待ってたんですよ。それで、結婚するなんて言い出すから、セペフルに代わってもらったんです」

 あまりの話に、唖然とする。

 いろいろ前提があったとはいえ、物を貸し借りするように扱われた女の子の心情は、いかばかりか。

「わかってますよ。酷いことをしたって。でも、あいつは、もっと最低なことを言いましたから。そんな奴のために、せっかくジャハーン師が教えてくれたことを、無駄にはできなかったんです」

 青い瞳に、痛みをこらえるような光が浮かぶ。どこか、涙の混じった声が語る。

「因果応報〈カルマ〉――俺は、何もせずにいたくはなかった。せめて、少しでも、あなたに資することを為したかったんです。そのために、あの時、結婚して、不自由になるわけにはいかなかった。俺は、あなたのことだけを考えて、生きたかったから」

 その、真摯な思い。

 無情に壊された心。悲泣の声。引き離された日々。

 胸が詰まって、たまらず腕を首に回す。きつく抱き締めて、心から告げる。

「ごめん、アフシン……僕が馬鹿だった……君は、いつだって、真っ直ぐなのに……」

「兄上だから、許します。本気で格好つかないから、黙ってるつもりだったんですけどね」

 淡い苦笑。

 促されて顔を上げれば、優しい声が問いかけてくる。

「ご機嫌は直りましたか、尊き兄上様?」

「うん、ごめん……本当に……」

 消沈して呟く。なんて浅慮だったのか。

 ふと、思いついたように、軽く首が傾ぐ。おもむろに、悪戯っぽい笑みが広がる。

「そうしたら――兄上。たっぷり遊んで、あなたの可愛いところを、たくさん見たいんですが、いかがでしょう?」

 言いながら、白雪の顔が迫ってくる。わざとらしい口調が通告する。

「――あ、嫌なら、今のうちですよ?」

 混ざり合う吐息。かろうじて問う。

「……何を、するの……?」

「あなたの可愛い声が聴けて、綺麗な顔が見られることを――たくさん」

 歌うような調子が、妖しく剣呑に微笑む。引けた腰を、すかさず捉える腕。

 跳ね回る鼓動に熱く震えながら、甘く唇を重ねた。


 遠く、午後の礼拝の時刻を知らせる呼び声が聞こえる。

 もうそれほど時が経っていたのかと、おぼろげに思う。舌を溶け合わせる息継ぎの中、吐息をこぼす。

「……ねえ、いいの……?」

「兄上は――今、やめたいですか?」

 そんな聞き方はずるい。焦れる呼吸を弾ませて囁く。

「……やめたく、ない……」

「俺もです。生まれてこの方、ファールサ人びいきの神を崇める信仰心なんて、持ち合わせていませんから」

 再び、唇が降る。舌を合わせ、甘く食み合う。

 掌の中の、互いの熱を感じれば、ぞくぞくと、腰から官能が這い上ってくる。

「愛しています、兄上……本当に、可愛い……」

「……ああ、アフシン……アフシンっ……!」

 神ホダーを讃える詠唱が、朗々と響く。

 逞しい背中にしがみつきながら、いとおしい人の声を聴いた。

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