火祭り
春の到来を感じる麗らかな朝。威勢のよいかけ声が、晴天に抜ける。
薪を担ぎ、組み上げていく男達。小さな子供達が、きゃらきゃらと笑いながら、駆けていく。祭りを目前に控えた、そわそわとした雰囲気が、あたりに漂っていた。
「おーい、ヤルネー!」
ヘリイェイルが、指揮を執る男に、腕を振り上げる。
ヤルネと呼ばれた男は振り返り、人懐っこい笑みを浮かべた。
「ああ、ハリヤ! おはよう」
「おはよう。――いやあ、精が出るなあ」
ほぼ組み上がりつつある、広大な薪の舞台。
眺め渡して、ヘリイェイルが感嘆の声を上げる。
「そりゃあ、俺が仕切るからには、下手なもんはつくれねえからなあ」
にっと笑う、青い瞳。どこか、見覚えのある面差し。
会うのは初めてのはずなのにと、不思議に思っていると、ヘリイェイルが説明した。
「エイノ。この居住区の区長のヤルネだ。――ヤルネ。これが、この前話した俺の〈契り子〉のエームンドだ」
白い面立ちが合点して頷く。明るい笑みを浮かべると、ヤルネは改めて名乗った。
「これは、なるほど――はじめまして、鍛冶屋で区長のヤルネ・ヤルネソンです。〈薔薇の宮〉では、息子のアフシンが、大変お世話になったようで。お会いするのを、楽しみにしていたんですよ」
その名に、飛び出るほど鼓動が跳ねる。
あんなに調べ上げたくせに、正直、今日まで、すっぽり抜けていた。道理で、目元に見覚えがあるわけだ。
おかしな動きをする心臓を、なんとか抑えて、挨拶を返す。
「世話だなんて、とんでもないことです。息子さんのおかげで、ずいぶん賑やかに過ごせました。どんな時も楽しくいられたのは、彼のおかげですよ」
いつだって、アフシンは明るかった。その名の通り、暗い闇夜を照らす、輝く星だった。
「いや、そう言っていただけると。もう、口ばかり回る子で。いくら言っても聞かないんですよね――まったく、誰に似たんだか」
やれやれと恐縮する姿。
髭があるせいで、そっくりには思えなかったが、口調と仕草がそのもので、親子なのだと実感する。口達者は、父親譲りなのだろう。
「――それで、アフシンはこれからか」
「ああ、そうだな。いつも、むこうで昼を食べてから出てくるから。午後の礼拝前には、帰ってくるんじゃないか」
今日は火祭り。つまり、年末年始の休暇の初日だ。
入宮した身ならいざ知らず、普通の家庭の学生は、実家で過ごすのが通常である。
ざわつく胸中を必死に鎮めていると、ヘリイェイルが、にこやかに告げた。
「よかったな、エイノ。久しぶりだろう。せっかくだから、うちで、ゆっくりするといい」
「帰ってきたら、挨拶に行かせますから。――あ、でも、本当にやかましい子なんで、うるさかったら、遠慮なく放り出してくださいね」
区長、と指示を仰ぐ声。ヤルネは快活に応えると、
「じゃあ、俺はこれで。いい祭りを!」
と、満面の笑みを残して、仲間の元へと歩んでいった。
茫然と、その背中を見つめる。
アフシンが、訪ねてくる。あんなにも、壮大に別れを告げたというのに、どんな顔をして会えばいいのだろう。
しかも、親しい知己として認識されているのだ。応接室で、というわけにもいかない。誰もいない私室で――寝台のある、あの部屋で、会うことになる。
昨夜、逆光に浮かぶ凛々しい面立ちを、その白雪の手を、よすがにしたというのに。
肩を叩かれて、はっとする。
不思議そうな金灰色の髭面。呼ばれていたのだと気づいて、しどろもどろになる。
「――す、すみませんっ! なんでしょう⁉」
「いや、そろそろ、他も回ろうと思ってな」
それはそうだった。そのために、この祭りの会場に来たのだった。
巨躯がかがみ込み、まじまじと眺めてくる。心配する声音が問いかける。
「エイノ、大丈夫か? 顔が赤いが――」
「大丈夫です! ――さあ、行きましょう、養父上!」
これ以上はたまらないと、先陣を切る。しかし、すぐに、そっちじゃないぞ、と指摘されて、急転回した。
結局、予定が変わったのか、アフシンは訪ねてこなかった。
ほっとしたやら、残念やらで、夕方になる頃には、すっかりぐったりしていた。
ようやく、その姿を見かけたのは、夜、火祭りが始まってからだ。
ヘリイェイルにスヌンゴ、そして、南槍戦将である領事とその妻子とともに、観覧席で見物していると、焚き火を飛び越える列の中にいた。
燃え盛る炎に照らされた、輝く姿。その凛々しさに、とくとくと、鼓動が高鳴った。
しかし、浮かれた気持ちは、一瞬で消え去った。アフシンの、その隣には、もう一人の少年が並んでいたのだ。
何か冗談を言っているのか、笑い転げる二人。順番が来れば、息もぴったりに飛び立った。
快哉を叫ぶ、ふたつの横顔。肩を組んで、並んで歩く二人。
ここは、アフシンが生まれ育った場所だ。だから、当然、親しい友人も多くいるだろう。
あの、人好きのするアフシンなら――分け隔てなく、他者と関係を紡げる彼なら、なおさらだ。
それなのに、心がざわついた。心の何かが、ただの友人ではないと、告げてきた。
(……もう、これ以上……深入りしてはいけないのに……)
散りかけた花を摘むように、人の関係にも、終わらせるべき時期がある。
次の季節を実りあるものにするためには、たとえつらくても、見苦しく咲き続けてはいけないのだ。
きつく、抱き枕を抱き締める。寝静まった夜の闇の中、滲むヤワ更紗の紋様を、ひたすらに見つめた。
ゆっくりと、意識が浮上する。伸びをしながら、熟睡感に満足する。
昨夜、よく眠れなかったせいで、昼食後、酷い睡魔に見舞われた。挨拶回りも一通り終えたということで、自室で昼寝をしていたのだ。
ファールサに連れられて以来、習慣としては途絶えてしまったが、やはり、たっぷり午睡したあとの多幸感は、他ではちょっと味わえない。
微睡みの残滓を味わって、寝返りを打つ。すると、思いがけない姿があった。
「よく眠れたみたいですね、兄上」
「――アフシン……!」
驚くままに起き上がって、目をしばたく。夢ではないらしい。
「……いつから、いたの……?」
「昼を食べてから、すぐ家を出た――というか、放り出されたので、一刻くらいですかね?」
「起こしてくれれば、よかったのに……」
そうしたら、こんな適当な格好ではなく、もっとまともな揃えで出迎えられたのに。なんだか、せっかくの再会が台無しだ。
淡くむくれていると、白雪の面立ちに、苦笑が浮かんだ。
「だって、気まずいじゃないですか。あんなに格好つけたくせに、のこのこ挨拶しに行くなんて」
昨日、巡った思考と同じ心。
思わず顔が緩む。勢いづいたように、いつもの調子が、澱みなく語り出す。
「だから、父には、もう十分だって言ったんですよ? でも、わけのわからんこと言ってないで、さっさと行ってこいって、せっつきますし――ボルナーは、まあ確かに、何も言いませんでしたけど、わざわざ起こすなって、すごい圧でしたし」
事情がわかりすぎて、眉尻を下げる。
こうして無事、再び見えたのだ。周囲の図らずもの助け舟を、素直に喜ぶべきなのだろう。
「――まあ、兄上の可愛い寝顔を、じっくり眺めてたら、決まりが悪いとか、そういうの、どうでもよくなっちゃいましたけど」
青い瞳に浮かぶ、悪戯っぽい笑み。
そんな無防備な姿を、ずっと見られていた。
頬が熱くて、とっさに俯く。かろうじて、言葉をこぼす。
「僕も……会えてよかったと思う……」
耳に心地よい、涼やかな低い声。
物語のように格好がつかなくても、それだけで十分だった。
そっと、白い指先が、顎をなぞる。撫で上げられるまま、白雪の顔を見つめる。おもむろに、唇が近づいてくる。
「……アフシン」
「わかっています。――でも、あなたは旅立つ。それまでは、どうか、俺の蝶でいてください」
切なく光る、真摯な青い瞳。
吸い込まれるように、吐息が混ざり合う。甘く食む、温かな柔らかさを感じる。
抱き締める、逞しい腕。幸せな微睡みに満たされる。
こんなことなら、昨日、悶々と待たずに、会いに行けばよかったのだ。ヘリイェイルに尋ねれば、家もわかることなのに。
そうすれば、あんな妙な空想に、悩まされることなんて――。
「――うえ。兄上?」
はっと、目を開ける。
戸惑い憚る、白雪の面立ち。傷ついた声が、苦しく語る。
「すみません……俺……ちょっと、舞い上がっちゃったみたいで……」
離れようとする身体に、とっさに抱きつく。
残された日々は少ないというのに、こんな時に、なんて馬鹿なんだろう。
「違うんだ、アフシン――僕の、勘違いだから……嫌だとか、そういうのじゃないから……」
離すまいと、きつく抱き締める。
抱き返して、優しい声が、鼓膜を震わす。
「わかりました。いなくなりませんから――ちゃんと、わけを話してください」
「……火祭りで、楽しそうに話している君を見たんだ――それで……」
冷静に考えれば、馬鹿馬鹿しいことだ。
しかし、それでも、言葉にするのは、ひどく恐ろしく思えた。
抱き締める確かなぬくもりを感じながら、なんとか口にする。
「君にとって、特別な人なんじゃないかって……きっと、ただ親しいだけじゃないって――そう思ったら、すごく、もやもやして……」
そんな、可愛らしいものではない。もっと、どろどろで、ぐちゃぐちゃした感情。
この思いに名をつけるとしたら、何と言うのだろう。
「……その、見かけたっていうのは、一緒に跳んだ奴ですか?」
静かな問い。頷けば、少し困ったような溜め息が、耳をかすめた。
「セペフルは、幼馴染みです。それと――お察しの通り、入宮前は、花遊び〈グリ・バーズィー〉の友でした」
はっと身を起こす。
心の奥底から湧き上がる、非難がましい叫びが、顔を歪ませる。金色の眉が、惑うように下がる。
「そんな睨まないでくださいよ。本当に、枝葉院に入る前の一年半だけで、二股なんてしていませんから」
「……でも、仲いいんだね」
困り果てた顔。我ながら、幼稚だと思う。それでも、追及を止められなかった。
何かを諦めたように、アフシンが白状し出す。
「そりゃあ、一番気の合う幼馴染みですし、あいつの親父さんは、守備万騎兵団南西隊の千騎兵隊隊長ですから、区長の息子としても、シャフリカシャン攻略の要としても、重要でしたし? 何より、あいつには、大きな借りがあるんで、頭が上がらないんですよ。――どうです? ご納得いただけましたか?」
「借りって……?」
白雪の顔が、一気にまずい表情になる。上目遣いにじっと見つめると、大きな溜め息がこぼれた。
「昔、付き合ってた女の子がいて――枝葉院に入院する時に、別れたんですけどね? いや、俺は、綺麗さっぱり別れたつもりだったんです。だって、あいつ、俺が区長の息子だから選んだだけなんで。俺も、あいつの家が騒いだら、父さんに迷惑がかかるってわかってたから、応じただけですし。――でも、退宮して実家に帰ったら、待ってたんですよ。それで、結婚するなんて言い出すから、セペフルに代わってもらったんです」
あまりの話に、唖然とする。
いろいろ前提があったとはいえ、物を貸し借りするように扱われた女の子の心情は、いかばかりか。
「わかってますよ。酷いことをしたって。でも、あいつは、もっと最低なことを言いましたから。そんな奴のために、せっかくジャハーン師が教えてくれたことを、無駄にはできなかったんです」
青い瞳に、痛みをこらえるような光が浮かぶ。どこか、涙の混じった声が語る。
「因果応報〈カルマ〉――俺は、何もせずにいたくはなかった。せめて、少しでも、あなたに資することを為したかったんです。そのために、あの時、結婚して、不自由になるわけにはいかなかった。俺は、あなたのことだけを考えて、生きたかったから」
その、真摯な思い。
無情に壊された心。悲泣の声。引き離された日々。
胸が詰まって、たまらず腕を首に回す。きつく抱き締めて、心から告げる。
「ごめん、アフシン……僕が馬鹿だった……君は、いつだって、真っ直ぐなのに……」
「兄上だから、許します。本気で格好つかないから、黙ってるつもりだったんですけどね」
淡い苦笑。
促されて顔を上げれば、優しい声が問いかけてくる。
「ご機嫌は直りましたか、尊き兄上様?」
「うん、ごめん……本当に……」
消沈して呟く。なんて浅慮だったのか。
ふと、思いついたように、軽く首が傾ぐ。おもむろに、悪戯っぽい笑みが広がる。
「そうしたら――兄上。たっぷり遊んで、あなたの可愛いところを、たくさん見たいんですが、いかがでしょう?」
言いながら、白雪の顔が迫ってくる。わざとらしい口調が通告する。
「――あ、嫌なら、今のうちですよ?」
混ざり合う吐息。かろうじて問う。
「……何を、するの……?」
「あなたの可愛い声が聴けて、綺麗な顔が見られることを――たくさん」
歌うような調子が、妖しく剣呑に微笑む。引けた腰を、すかさず捉える腕。
跳ね回る鼓動に熱く震えながら、甘く唇を重ねた。
遠く、午後の礼拝の時刻を知らせる呼び声が聞こえる。
もうそれほど時が経っていたのかと、おぼろげに思う。舌を溶け合わせる息継ぎの中、吐息をこぼす。
「……ねえ、いいの……?」
「兄上は――今、やめたいですか?」
そんな聞き方はずるい。焦れる呼吸を弾ませて囁く。
「……やめたく、ない……」
「俺もです。生まれてこの方、ファールサ人びいきの神を崇める信仰心なんて、持ち合わせていませんから」
再び、唇が降る。舌を合わせ、甘く食み合う。
掌の中の、互いの熱を感じれば、ぞくぞくと、腰から官能が這い上ってくる。
「愛しています、兄上……本当に、可愛い……」
「……ああ、アフシン……アフシンっ……!」
神ホダーを讃える詠唱が、朗々と響く。
逞しい背中にしがみつきながら、いとおしい人の声を聴いた。




