↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帰還の蝶【長編・本編全話登録済み】  作者: 清水 朝基
第七章 薔薇の散り時
38/47

君がために

 そこは、まさに別世界だった。

 金曜日の礼拝を終えた男達が、連れ立って道を歩き、華美な衣をしどけなく纏った少年達が、なまめかしく誘い文句を謳っていた。

 昼間だというのに、この盛況ぶり。ファールサ人にとって、遊び〈バーズィー〉が、いかに一般的な娯楽なのか、まざまざと知る。

 客引きをする少年を冷やかしていた一団が、ふと、こちらを向く。

 野卑な笑いを浮かべて、しかし、首に提げた柄(え)を見た途端、素早く目をそらした。

 まるで、恐ろしいものでも目の当たりにしたような色。

 隣を歩くジャハーンに寄ってきた男も、鞘に収まった剃刀に気づくや、はっとして去っていく。

 髭を生やす年齢でありながら、紅顔のまま生きる。

 それが、どれほどむごいかを、今まで実感したことはなかった。聖典ハーンが人生の規範の全てであるファールサ人からすれば、〈庭師〉というものは、気味の悪い存在なのかもしれない。

 そっと、繋がれた手に視線を落とす。

 安全のためだと、ジャハーンは頑として譲らなかった。

 はぐれたら、大変なことになる。

 いつもは平静な面立ちに、忌々しさが滲んでいた。

 そして、〈庭師〉見習いの証である、刃も鞘もない模造品の柄。今、首に提げているものは、ジャハーンが、その時分に身につけていたものだ。

 本来、見習いは、花街を訪れることはないそうだが、何もないよりいいと渡された。

 意外なほどの、念の入れよう。

 多くを語らないこの男も、既知の事実以上に、苦労してきたのかもしれない。

 大通りを奥へと進んでいくと、次第に喧騒が薄れ、落ち着いた雰囲気になっていった。

 旧家の屋敷と遜色ないほどに、瀟洒な家並みが延々と続く、よく整備された小路。玄関扉は、どれも精緻な木彫りが施されていて、一目で相当な屋敷だと知れた。

 客引きの少年はおらず、道ゆく男達も、身なりのいい者ばかりだ。そこかしこに、守衛も立っている。高級花宿の区画に入ったのだと知る。

 ジャハーンは、その中でも、ひときわ豪奢な装飾の両開きの扉の前で、足を止めた。

 そのまま、片側に開いた通用口をくぐっていく。そうして曲がり入口まで行き、訪いを告げた。

 少しして返事があると、淡々と名乗った。

「〈庭師〉のジャハーンだ。宿主はいるか」

「へえ、お待ちしておりました、ジャハーン師」

 独特な口調の返答とともに、木扉が、ゆっくりと開く。

 ともに入れば、下働きのなりをした小男が、恭しく頭を下げていた。

 ジャハーンは男を一瞥すると、案内も待たず、履物を脱ぎ始めた。そして、

「部屋は、予約の通りだな?」

 と、尋ねて、さっさと奥へと進んでしまった。

 慌てて、同様に短靴を揃え、あとを追う。

「どの部屋か、わかるの?」

「見習いの頃から、往診に来ている。勝手など、聞かずともわかる」

 それでも、宿主とやらに、挨拶しなくてもいいのだろうか。戸惑いつつも、大股で進む背中についていく。

 ずいぶんと奥まで進んで、ようやく、ジャハーンは歩みを止めた。そして、無造作に、扉を開いていく。

 促されて入った先、絢爛な光景に感嘆する。

 目の詰まった、上等な絹の絨毯。精巧な彫刻の施された、数々の調度品。

 花宿だと言われなければわからないほど、質のよい空間が広がっていた。

「この宿の中でも、最上級の部屋だ。運がよかったな」

 淡々と語る声。〈追肥〉の用意をする横顔からは、何も読み取れない。しかし、心遣いと思って、有難く礼を言う。

 準備ができたのを認めて歩み寄り、下衣と下着を脱ぐ。

 〈花台〉に上がれば、おもむろに、細い管が入ってくる。水で腹が膨れる感覚。〈花壺〉が宛がわれ、下腹に力を入れる。

 噴き出す水流。そして清拭。香油の濃密な匂いが、鼻をつく。

 指の腹が、表面のひだを丁寧になぞり、ゆっくりと入ってくる。丹念にほぐされながら、ふと、思いが浮かぶ。

(……もし……この指が、アフシンだったら……)

 きゅっと締まって、吐息が震える。顔から火が噴いた。

 背後で、淡く微笑む気配がする。

「もう、〈水やり〉は不要だな」

 振り返れば、黒い瞳と出会う。穏やかな面持ちが語る。

「渇きを覚える夜には――幸せだった時を、思い浮かべればいい」

 つきん、と胸に痛みが走る。前を向くよう示されて、体勢を戻す。

「……ジャハーン、ごめん……」

「薔薇が最も美しく咲くよう世話をするのが、〈庭師〉の仕事だ。……強いて開かせた蕾が、咲き場所を見つけたのなら、それに越したことはない」

 淡々と――しかし、温かさと苦しさの宿った声音。

 指が抜けて、綿(わた)で柔らかく拭われる。

 〈花台〉から降り、男物の衣から寵童用の揃えに着替える。

 この日のために、心悩ませながら選んだ衣装。一番お気に入りの――アフシンが褒めてくれた、思い出の詰まったものだった。

 敷き綿を置き、座ってジャハーンと相対する。

 化粧を施す、丁寧な所作。

 こうして手ずから為されるのは、最初に出会った時以来だった。

 四日後、高等四年を修了して、〈緑の学院〉を卒院し、〈薔薇の宮〉を退宮する。

 だから、寵童として〈庭師〉の世話を受けるのは、これが最後だった。

 鏡を渡されて、仕上がりを確認する。あでやかで色香が漂いながらも、上品な顔立ち。さすがはジャハーンだった。

 道具を片づけ終えるのを待ち、名を呼びかける。黒い瞳を、真っ直ぐに見つめて告げる。

「長年、世話をしてくれて、ありがとう。優しい世界〈ジャハーン〉――君が、僕の〈庭師〉でよかった」

 淡く息を呑む声。微かに震える口元。宵闇の瞳が、晩冬の光に滲んでいく。

 ジャハーンは、おもむろに姿勢を正すと、丁重に恭しく礼をした。


 敷き綿に座して、待ち人を望む。

 アフシンには、日時と場所、それから金色の付け髭を送ってある。何事もなければ、もう到着してもいい頃だった。

 綺麗だと、可愛いと、言ってくれるだろうか。

 早くも二年が経った。声変わりの落ち着いたその声は、どんな音色なのだろう。

 心が、きゅんと疼く。顔が熱い。背後の寝台の気配が、やけに生々しく感じられた。

 長く短い時が経った頃、訪いを告げる音がする。返事をすれば、扉の淡い軋みとともに、その人が現れた。

 陽光に透ける、白雪の肌と輝く金髪。冴えた青い瞳。すらりとした長身。軍人らしい、凛々しい佇まい。

 立派に成長した姿。打ち震えて、たまらず駆け寄る。

「――アフシンっ!」

 抱きつけば、引き締まった感触がした。

 しかも、以前より、肩の位置が高い。嬉しさに微笑む。

「また、背が伸びた? どこまで伸びるか、楽しみだね」

「……このような振る舞いをなされては困ります、青薔薇様」

 冷たい声音。

 見上げれば、色の失せた瞳と目が合う。首を振り、腕に力をこめた。

「外帝将から聴いたよ。君が行動を起こしてくれたおかげで、一人も死者を出さずに、勝利できたって」

 協力を申し出た理由として、因果応報を、ひとつに挙げたという。

 詳しい出自を語ったことはない。そして、教えの概要は、教養として〈緑の学院〉で学ぶものの、そんな知恵を授けるのは、一人しかいない。

「ありがとう、アフシン。君のおかげで、無用な血を流さずに念願が叶った。これほどの行いはないよ」

 おもむろに、瞳に光が灯る。耐えるように、目元が切なく歪む。

「……それでも、やはりなりません。どうか、お座りください。私の理性が、保っていられるうちに」

 あくまでも頑なな態度。

 淡く苦笑を漏らす。小首を傾げて、上目遣いで問う。

「それは、たまらなくそそるくらい、僕が綺麗だってこと?」

「――もうっ! 兄上は、本当に」

 はたと気づいて止まる。観念したように、溜め息が落ちる。

「……すごく、綺麗ですよ。だから困るんです。あんな酷いことをしたのに――あなたが辱しめられてきたと知っているのに、俺のためだなんて……身勝手な欲を抱(いだ)いてしまう」

 今にも泣きそうな、青い瞳。

 手を伸ばして、そっと頬に触れる。

「そう――君のためだよ、アフシン。僕は、ノールに行く。もう、薔薇として、咲く機会はなくなるんだ」

 凛とした面立ちが、はっとする。微笑んで、優しく語る。

「だから、僕が咲くのは、これが最後。君が、最後――アフシン」

 おもむろに、ためらうように、白い手が重なる。苦しく滲んだ声が問う。

「……本当に……俺なんかで、いいんですか」

「君の他に、誰がいるの?」

 誘(いざな)うように笑んで、宣言する。

 途端、切なく息を呑む声が、耳をかすめた。

 きつく抱き締める、逞しい両腕。見つめ合い、降りくる唇を受ける。

 食んで、なぞり、絡んで、吸って――優しい所作の中に潜む、危うい激しさ。

 この唇が、舌が、これから全身に降るのだ。想像が巡って、身体の奥底が跳ねる。膝が砕けて、広い背中にしがみつく。

 しっかりと支える、力強い腕。低く響く声が微笑む。

「口づけで果てるなんて――お好きですね、兄上?」

「……そんな、言わないで……っ」

 顔が熱い。

 そむけた顎を掴まれて、再び口づけが落ちる。軽々と抱えられ、寝台に下ろされる。

 広い肩幅から滑る羽織。帯を解く音。上衣を脱いだ、肌着と下衣だけの姿。それだけで、鍛えた体躯だとわかる。

「……本当に、軍人になったんだね……アフシン……」

「まだまだ細い方ですよ。でも、兄上のお好みに沿っているようで、よかったです」

「もう、またそんなこと――あっ……!」

 唇が、耳朶を食む。涼やかな低い声が、鼓膜を甘く震わす。

「すみません。あんまりにも、可愛い反応をするから――つい」

 そして、舌とともに、熱い吐息。手が、おもむろに胸を撫でていく。

「……ああ、兄上……」

 かすれた甘い声。

 耳と舌なのに、きゅうきゅうと、身体の奥が締まる。衣擦れの音だけで、肩が跳ねてしまう。

 嫌ではないのに、逃げたくなる。それなのに、肌着越しに周囲をなぞる指先に、期待している。すれる感触だけで、息が上がる。

 ちょんと、指の腹でつつかれて跳ねる。舌が首筋をなぞり、吐息が囁きかける。

「ここ、食べてほしいですか?」

 ただそれだけなのに、声が甘くこぼれた。

 腹から胸を撫でながら、肌着がたくし上げられる。

 近づいては遠ざかる指先。たまらず、胸を突き出してしまう。

「……い、意地悪しないでえ……」

 低い声が、くすりと笑う。耳朶を食みながら、熱い吐息が吹きかかる。

「おねだりして、可愛い……」

 首筋に口づけ。そして、白い指が、きゅっと粒を摘まんだ。びくっと、肩が跳ねる。

「こっちは、触っていないのに――おいしそうに膨れて……」

 震えて待つ一方に、息が、熱っぽくかかる。

 軽やかに叩いて、転がす舌先。甘く食んで含み、淡く吸いついてくる。

 やわい刺激なのに、あっという間に、果てへと昇り詰めていく。濡れた声が、絶え間なく溢れていく。

「兄上の声、可愛い……もっと聴かせて?」

 恥ずかしいのに、声が止められない。

 視線を下に向ければ、笑んだ青い瞳に出会う。

 その澄んだ景色に映る、濡れて溶けた顔。

 たまらず、そむけて枕にうずめる。すると、途端に、たしなめる声が降ってくる。

「また、そうやって隠す。至ってる顔、すごく可愛いのに。ちゃんと見せてください」

 握った手を、柔らかく剥がされる。

 いとしく微笑む、白雪の面立ち。低く優しく囁く。

「たくさん、見たいんです。聴きたいんです。俺のために咲く――あなたを」

 両手で枕の角を握る。そして、正面を向き、青い瞳を見つめた。

「……これで、いい……?」

 瞪って、おもむろに笑みが広がる。眉尻を下げて、甘く悶える声が降る。

「もう――兄上、本当に可愛いすぎ」

 頬に触れる白い手。寄る唇に応える。

 溶け合わせながら、すりつけて、互いの熱を感じる。

 胸から脇腹、腰へとたどっていく指。張り詰めた弓をなぞり上げられて、全身が跳ねる。

「すごい染みてる……」

 濡れそぼった衣が、湿った音を立てる。たまらなくて、腰が揺らめく。青い瞳が、悪戯っぽく笑う。

「今日のあなたは、ずいぶん欲しがりですね?」

 しゅるりと、紐がほどける。下着ごと引き下ろされて、全てが露わになる。

 空矢で光る弓。青い視線。思わず、言葉がこぼれる。

「……そんな……見ない、で……」

「積極的になったり、恥ずかしがったり、忙しいですね――兄上は」

 歌うように笑って、アフシンが、肌着や下を脱いでいく。

 割れた腹筋の下で、大きく張った弓。目にするのは初めてではないのに、やけに鮮烈に映る。身の内が、きゅんと締まって、顔から火が噴く。

「……だって、身体が……勝手に……」

「本当に、身体――だけ?」

 太く膨らんだ末弭(うらはず)が、空矢をこぼす弓を撫でる。

 たったそれだけなのに、溶けた声が溢れる。

「……わかって……いる、くせにぃっ……!」

 きゅむと、粒を摘ままれる。腰が、止まらない。

 抱き締めて、低い声が甘く囁く。

「可愛い、兄上……本当に、綺麗だ……」

 心が疼く。渇きを癒すように、口を淡く開ける。アフシンが、いとしく笑んで、口づけが落ちる。

「……だめ……射、たい……っお願い……もっと、アフシンっ……」

 意を得て、目顔が頷く。しかし、速度は、一向に上がらなかった。

 怪訝に見つめていると、矢袋をすり抜けて、本弭(もとはず)が押される。やわやわと揉まれて、身体が跳ねる。

「俺はまだ、射られないので。一緒に射るのは、このあとのお楽しみです。――それとも」

 ぴたりと、動作が止まる。

 少し、不安そうな面立ち。真摯な声音が問う。

「……早かったですか……?」

 浮かんだ答えに、顔が火照る。

 それでも、今は言わなければ。消え入りそうな声を振り絞って囁く。

「……もう、少し……下……つ、強めの……方、が……」

 青い瞳が瞬く。おもむろに笑みが広がり、楽しげな声が語る。

「これは失礼いたしました。――ここ、ですかね?」

「――やぁんっ!」

「あ、正解」

「もうっ、アフシン! あっ、だめ……!」

 脈動するのに、射られないもどかしさ。

 青い瞳を見つめれば、悪戯っぽい笑みが返ってくる。

「どこ、欲しいですか、兄上? 教えてくれたら、俺、もっと頑張れるんですけど」

「……そんなのっ言えないぃっ……!」

 あれでも十分、羞恥を振り絞ったのだ。そのせいで、感度が上がっているのに、これ以上吐いたら、おかしくなってしまう。

 青い瞳が、考えるようにそれる。そして、左手が、耳に伸びてくる。

「ここ――は、違いますね。じゃあ、ここ?」

 粒が、つんと、つつかれる。やっぱり違うか、と悠長に呟いて、長い指が、胸から腹へと下りていく。

 弓へと近づいて、しかし、矢袋さえかすめず、内腿をたどる。そして、

「――あっ!」

 指の腹が、薔薇を撫でる。嬉しそうな、楽しげな笑みが告げる。

「これ、香油だけじゃないですよね。もしかして――ずっと、欲しがっていたんですか?」

「……っもう、いちいち、言わなくてっ……いい、からあぁっ……!」

 つぷん、と指の感触。待ち望んでいたと言わんばかりに、身の内が締まってしまう。

 しかし、アフシンは、何も言わずに微笑むだけだ。

 それが、よけいに恥ずかしくて、彼のために咲けるのがいとおしくて、まぜこぜな思考の中、その愛撫を感じる。

 空矢が丹念に舐め取られ、末弭が含まれ、淡く吸われる。矢袋はさすられて、本弭が揉まれ、胡桃は押し上げられた。

 見下ろせば、青い瞳と目が合う。

 その、昂った色。剣呑な色香に、息を呑んで悶える。

 たまらず弾け、高く声を上げる。

 飲み込んで上下する、隆起した喉頭。果てて射た残響に惚けながら、末弭への口づけを受ける。

「敏感で、可愛い弓ですね。――にしても、こんなに感じやすいなんて、ちょっと意外です」

「……だって……アフシンが……変な、こと……ばかり、言うから……それに――」

 空矢を滴らせた、大きな弓。視線を上げれば、いとおしい人の顔がある。

 どれほど指折り数えて、この日を待っていただろう。

「……会いたかったんだから……」

「兄上……」

 そっと抱き締められる。広い背中に、腕を回す。優しい声が、降り注ぐ。

「俺も、ずっと会いたかったです……あんなに傷つけたのに――諦められなかった……」

 力いっぱい、首を振る。青い瞳を、一心に見つめる。

「愛しています、心から……初めて会った時から、ずっと――あなたこそが、俺の心です」

「アフシン……ああ、アフシン……」

 指が絡み合い、深く繋がる。唇を重ね、甘く食み合う。

 ゆっくりと、いとおしい人を受け入れる。強い官能が押し寄せ、たまらず喘ぐ。相手が誰であれ、この苦しみは変わらない。

 肌が当たって、ほっと息をつく。

 耳をなぞり、頬を撫でる手。口を引き結んだ顔。

 青い瞳を見つめて微笑む。

「……少し、苦しいけれど……でも――」

 この身の内に、アフシンがいる。

 たった一部でも、一瞬だとしても、確かに、その存在を感じている。

「……すごく、嬉しい……幸せ……」

 涙が滲んで、はらはらと伝い落ちる。

 きつく抱き締める、逞しい腕。苦悩の混じる声が、鼓膜を震わす。

「俺も幸せです。できるだけ、優しくしたいけれど……」

 緩やかに、首を振る。

 無理なのは、よくわかっている。だからこそ、このいとおしい苦しみを覚えていたかった。

「いいよ、アフシン。君の思うようにして」

「でも……」

 優しい瞳。

 大切な心を壊した、かの人は、もう土の中だ。

「全部、忘れさせて――君だけを、思い出せるようにして……?」

 息を呑む声。滲んだ言葉が呟く。

「もう、俺達だけ……なんですね」

「そう……僕達だけだよ、アフシン。だから――」

 淡く唇を開く。重なって、食み合う。

 おもむろに、身体が引きずられて、また押し込まれる。きつくしがみついて、いとおしい人の体温を刻みつける。

「……ッ兄上……ああ、熱い……たまら、ない……」

「アフシン……! アフ、シンっ!」

 とんっと一点に当たって、のけ反る。そして、もう一点。打ち震えて、高く声を上げる。

 突かれ、こすられ、押し込まれて、身悶える。鼓膜を震わす、低くかすれた声。耐える音色が色香となって、耳を愛撫する。

「可愛い……兄上……あ、また――ああ、もう射そう……ッ」

 確かに、もう限界だった。

 たまらなくて、一層きつくしがみつく。押し寄せる官能を掻き分け、振り絞って叫ぶ。

「お願い、アフシン! 奥まで来て! もう、十分果てたからっ! ちゃんと全部――!」

 的確な打撃。耐えきれず、解放感が突き抜ける。

 そして、深く、重い響き。苦しく悲鳴を上げ、それでも重なり合った肌に歓喜する。

 耳元でかすれる、荒い呼吸。

 起き上がる気配を、すがりついて阻む。

「……兄上、出さないと」

 思いきり頭(かぶり)を振る。あとあと腹を下しても、今は、この繋がりを感じていたかった。

 ためらうように、揺れる吐息。しかし、おもむろに離れていく。

「嫌っ! アフシン、まだいて……っ」

「だめです。これ以上、あなたに負担はかけられない」

「お腹のことなら――んっ」

 唇が落ちて、淡く食まれる。

 苦笑した面立ち。アフシンが、困ったように、眉尻を下げて告げる。

「俺のために、ありがとうございます。でも、おわかりでないなら、やっぱりだめです」

「どういうこと? ちゃんと説明して」

 切ない微笑みの残像。意味を考える間もなく、後ろから抱きすくめられる。

 肩口に落ちる唇。もどかしそうな声が、耳をかすめる。

「……あなたが、可愛いことばかり言うから……」

 身の内が、ゆっくりと広がる。

 掻き出されていく度に、胡桃がすられて震える。残響に、吐息が濡れていく。

「……また、そんな声を出して……」

 冷めやらぬ末弭が、尻に当たる感触。胸に手を伸ばして、自ら豆粒を摘まむ。

 振り返れば、熱を帯びた瞳に出会う。

「……アフシン……」

 指が引き抜かれて、もう一方の粒がさすられる。空矢と白矢をこぼす弓に伸びる、白い手。

 腰を揺らし、張り詰めた弓を宛がう。たまらず、そのままうずめていく。

 すりつければ、存在が、より一層深く感じられた。喘ぎながら、夢中で腰を振る。

「……もしかして、兄上……こうして後ろから、たくさん触られるの、好き……?」

 応えるように、甘く声を溢れさせる。豆粒に爪が立てられ、弓をたどって、本弭が揉まれる。

「ああ、良いっ! アフシン……!」

 背後からなら、顔が見えない。多少痛くても、相手が誰であるか、まざまざ認識するより、ましだった。

(でも、今は……)

 この手も、声も、存在も、アフシンなのだ。背中に感じる体温も――全て。

 肩越しに、青い瞳を一心に見つめる。濡れて、甘く悶える。

 熱を帯びた低い声が囁く。

「……今のあなたは、艶めいてたまらない……」

 ねだって、身の内を締める。

 微かに息を詰める声。淡い苦笑がこぼれる。

「もう、どうなっても知りませんよ……俺、止まりませんからね」

 薄く口を開け、舌先を差し出す。這わせ合って絡め、唇を、深く溶け合わせた。


 心地よい微睡みの中、拾い集めた衣を抱える姿を眺める。

「兄上、大丈夫ですか?」

「……たくさん……果てたから……」

 微笑んで囁く。ほっとした表情。指が重なり、掌が合わさる。

「ありがとう、アフシン……人との交わりが、こんなにも幸せだなんて……知らなかった……」

 抱え起こされて、広い胸に収まる。

 素肌の温かさ。真摯な音色が語る。

「愛しています、兄上。ずっと……ずっと、あなただけを想っています」

 深い喜びに、心が打ち震える。しかし、緩やかに首を振った。

「それは、いけないよ。君には、君の生があるのだから」

「……そうしたら……髭が、生え揃うまで」

 微笑んで頷く。その伸びやかな行く末を思う。

「兄上は、これからどうするんですか……?」

「外帝将に、〈契り子〉――ファールサ語だと、養子が近いかな――そのお申し出を頂いたんだ。どうなるかは、まだわからないけれど……父祖の地で、やれることを見つけようと思う」

「……やっぱり、行ってしまうんですね」

 滲む、澄んだ青。切なく、しかし静かに告げる。

「薔薇は咲いたら、あとは散るだけ。ここに、僕の居場所はないから」

「花びらを翅(はね)に変えて――蝶となって、あなたはノールへと飛んでいくのですね」

 外帝将の言葉が響く。

 これからは、自由にどこへでも行けるのだ。

「知っている? マタラムの蝶は、とても鮮やかで美しいんだ。海を渡る種類もあって――」

 おもむろに手を伸ばす。晩冬の陽光に透けて、赤く輝く。

 重なるように伸びる、白雪の手。柔らかに捕らえて、おもむろに繋がる。

「舞いゆく蝶を、籠に押し込めてはいけない――でも、今は……あなたを、俺の中に閉じ込めていたい」

「アフシン……」

 繋がった手を、胸へと引き寄せる。

 その、大きく成長した白い手。あの日から、ずっと、愛してくれた手。

「僕も……まだ、ここにいたい」

 額に、優しく口づけが落ちる。すり寄れば、温かく抱き締められる。

 逞しい胸に収まって、いとおしい青を見つめ続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。