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帰還の蝶【長編・本編執筆済み】  作者: 清水 朝基
第五章 青き大輪
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灼熱

 奥湯殿の裏手――王〈シャー〉の庭園を、さらに北東に行ったところに、離宮はある。

 後宮は原則、男子禁制で、寵童でも、立ち入ることは許されない。

 その規律は徹底していて、王〈シャー〉の血族も例外ではなく、男女の別が明確にされる十五歳になると、居住の資格を失う。

 現在は、ベフナームの二人の弟とその家族、そして、太子パルヴィーズが暮らし、メフルダードが、シャフリカシャンを訪れた際の滞在先としていた。

 そして今日は、ノウルーズの五日目。文官も軍人も、ほとんどが休暇に入り、家族との団らんを過ごす。

 だから、王〈シャー〉の身内として扱われる寵童が、その兄である太守〈アミール〉を訪問しても、何ら違和感はない。

 ベフナームにも予定を話したが、はるばるやって来た兄をもてなせると、むしろ喜んでいたほどだ。密談には、ちょうどいい日取りだった。

 門扉の前に立ち、その壮麗な景色を眺める。

 宮殿の意匠もなかなかものだが、離宮とはいえ、王〈シャー〉の一族が居を構えるだけあって、贅沢に趣向を凝らしている。

 もうずっと、外出といえば、限られた範囲でだけだったから、少しだけ心が躍る。

 スヌンゴが先に行き、守衛に取次を頼む。しばらくすると、侍従の身なりをした男が出てきて、中へと案内された。

 ずいぶん奥へと廊下を進んで、ようやく到着の旨が告げられる。

 スヌンゴを残し、開いた扉の先へと進むと、はたしてその姿があった。

「待ちかねたぞ、シャーグル」

 鋭利な刃のような、精悍な佇まい。居間まで歩み寄り、(こうべ)を垂れる。

「本日は、お招きいただき、誠にありがとうございます、メフルダード様」

「うむ。――では早速、観せてもらおうか」

 頷いて、腰を上げる。絨毯の中央に立つと、深呼吸をして、足を踏み出した。


 深く礼をしながら、力強い拍手を聞く。よく響く低い声が、上機嫌に語る。

「シャーグルよ。やはり、其の方の舞いは素晴らしい。何度観ても飽きぬ」

「お褒めにあずかり、光栄にございます」

 さらに頭を下げ、恐縮する。手招きに従い、上体を起こして、茶を供せる位置につく。

 メフルダードは注がれた茶に口をつけると、息をついて言った。

「せっかくだ。何か、褒美をやろう」

 印璽庁で読んだ記録が、心に浮かぶ。一呼吸置いてから、言葉を発した。

「――ひとつ、お伺いしたいことがございます」

「何だ、申してみよ」

 精悍な顔が、促すように微笑む。

 震えそうになる喉を抑え、静かに尋ねる。

「甥のスクワトは、マタラム遠征の愛の遊び〈エーシュキ・バーズィー〉にて、あなた様に選ばれたと伺いました。できましたら、その後を、お聞かせいただけますでしょうか?」

 薄茶色の瞳が、一瞬、宙を眺める。

 思い出したように、ああ、と呟くと、鼻を鳴らした。

「あの小生意気な小童(こわっぱ)か。腹が破れて死におったわ」

 胸が詰まる。

 やはり、ただの病死などではなかった。ただ平静に、相槌を打つ。

「ちょうど、ターングより取り寄せた器具が届いていたのだがな。まったく、もっと楽しめたであろうに、脆いものよ」

 数々の暗い噂。カースィムの苦い言葉。

 どれほど残忍な仕打ちを受けたのか。どんな思いで、日々を過ごしたのか。たった十一年の、短い生涯の最期は、どんな有り様だったのか。

 せり上がる喉を飲み込む。そっと、言葉を押し出した。

「……よくわかりました。お話しいただき、ありがとうございます」

 侮る溜め息。メフルダードは茶器に手を伸ばし、一息にあおった。叩きつけられた受け皿の硬質な音が、室内に響く。

「して、シャーグルよ。アースマーンには会えたか?」

 何事もなかったような、平静な声音。落差に、メフルダードという男を、おもむろに理解する。

 ゆっくりと呼吸し、悲しみを仕舞い込む。

 目を上げると、明瞭に答えた。

「はい。昨日、お話を――素晴らしい方ですね」

「そうであろう。あれほど気持ちのよい男を、(われ)は知らぬ」

 整えた短い髭の口元が、快く笑みをつくる。杯に茶を注ぎながら、話を付け足す。

「息子のペーローズ殿は任務に就いていたので、具体的な話は、まだできていませんが――いずれ、時が来るでしょう。まずは、アースマーン殿より話を通していただき、折りを見て、話そうと考えています」

 アースマーンの長男であるペーローズは、側近軍団親衛隊の薔薇付隊の親衛軍人で、入宮以来、警護に就いてくれている。二人きりになる機会は、十分につくれる状況だった。

 茶器に口をつけ、喉を湿す。芳しい香りに少し息をついて、言葉を継いだ。

「それから、側近団長については、さして労力はいらないでしょう。……ずいぶんと、僕に執心しているようですから」

 粘りつく感触。思い出すだけでも、怖気が走る。

 ふん、と、メフルダードが鼻を鳴らす。ゆったりと茶を味わいながら、冷たく笑う。

「ファルジャードの子飼いめが。己の立場も、わからぬとはな」

 薄茶色の瞳が、剣呑に光る。低く響く声が、不穏に鼓膜を震わす。

「しかし、確かに――」

 茶器が、受け皿に置かれる。硝子の硬質な音。

 武骨な手が、ゆっくりと伸びてきて、頬に触れる。

「実に美しい肌だ。ノール人は白雪だが、南洋の日差しで磨かれた真珠は、また格別であるな」

 恥じらうように顔をそむけ、輪郭をなぞる指先をかわす。しかし、絡みついて、顎を掴まれる。

「……お戯れを」

「吾らは、命運をともにするのだ。仲ようしようではないか」

 腹の底から響く声。身体の芯が震える。

 しかし、応じる義務も利益もないのだ。薄茶色の瞳を、真っ直ぐに見つめて告げる。

「お心は、有難く頂戴いたします。しかしながら、この身は、王〈シャー〉に捧げられたもの。どうか、ご容赦くださいませ」

 つまらなそうに鼻を鳴らし、手が離れる。

 目を細めて、見下ろす顔。冷酷な声が宣告する。

「ならば、吾は手を引こう。残念であるがな」

 意図を図りかねて、眉をひそめる。

 せせら笑いを含んだ声が、緩慢に語る。

「あの高慢な学識〈ファルジャード〉も、今や六十二。老い先は短ろう。彼奴(あやつ)が死ねば、虚飾なる名声〈ベフナーム〉が誰を頼るかは、明白ではないか」

 すーっと、背筋が冷えていく。思考の糸が、嫌というほど、明確に繋がっていく。

 武芸で鳴らした精強な体躯には、老いの影は微塵も見られない。五十を間近に控えているとは、とても思えなかった。

 察したように、鋭く低い声が囁く。

()がいとしい野薔薇〈ナスリーン〉が奪われて、二十余年。今さら月日が延びたとて、変わりはない。――しかし、ノールの狼どもは、どうであろうな?」

 あのファルジャードが、関税の撤廃をそのままにしておくはずがない。

 約定を反故にされたところに、熱病が再び猛威を振るえば、スティンヴァーリは多大な痛手を被る。再起を図るまでに、どれほどの歳月がかかるか――。

 燦々と降り注ぐ、常夏の日差し。豊かな紺碧の海。陽気に笑う、素朴で温和な島民達。

 かすれた声が、こぼれた。

「……跡が、残るようなことだけは……」

「当然だ。心を等しくする者同士、末永く在ろうではないか」

 長躯がにじり寄り、耳に息が吹きかかる。羽織が、肩から滑り落ちる。

 帯の解ける、緩慢な音を聞いた。


 全身が、だるくて重い。腰に体重がかかる度に、骨が軋むようだ。

 それでも、放っておけば、凝り固まって歩行に支障が出る。呻きながら、スヌンゴの丁寧な施術を受ける。

 座るよう声をかけられて、肩を叩かれる。一定の調子で弾む音。

 手ぬぐいが取り払われ、丁重な声が告げる。

「――お粗末様でございました」

「ありがとう、スヌンゴ」

 思いきり伸びをし、首を回す。

 倦怠感は抜けないものの、腰回りは、だいぶましになった。ほっと息をついて、上掛けをはぐる。

「明日も、離宮に行くから。供を頼むよ」

「どうしても、お行きになるのですか……?」

 静かな問いかけ。

 黄褐色の口元が、引き結ばれて震える。滲んだ濃茶色の瞳。悲しい理解が、胸に降りてくる。

 この三日間、戸口で控えていたスヌンゴには、聞こえていたのだろう。

 ただ、あんなふうに責め苛まれて、泣き叫ばずにいられる人間が、どれほどいるのだろうか。

「……今は従うしかないよ。僕は、サトリアなのだから」

 この機会を逃したら、全てが本当に無意味になってしまう。せめて、島民達の安寧が保障されなければ、念願が叶ったとはいえない。

「ですが、それならば、バガワド様がいらっしゃいます。何も、あなたでなくても――」

「……スヌンゴ」

 言葉が、ぴたりと止まる。静かに、しかし確固として告げた。

「もう、寝るから」

 息を呑む気配。わななく口元。

 深く(こうべ)を垂れて、滲んだ声が挨拶する。

「……おやすみなさいませ。どうぞ、よい夢を」

「うん、おやすみ」

 一呼吸置いて、スヌンゴが上体を起こす。訴えかける瞳を、ただ見つめ返す。

 悟って辞する背中を、沈む思いで見送った。


 訪れの合図があって、扉がゆっくりと開く。現れた姿に、声を弾ませて出迎える。

「――ベフナーム様っ……!」

「おお、シャーグルよ。待たせたのう」

 張り出した腹に押し戻されかけて、短い腕に抱き締められる。見上げれば、丸い顔が鷹揚に微笑んでいた。

「たった四日ぶりでも、恋しいものよ。――して、兄上に、舞いは披露できたかの?」

 腕にすり寄りつつ、居間へと歩む。

 並んで敷き綿に座ると、硝子の杯に、葡萄酒を注いでいく。

「はい――お気に召していただけたようで、大層お喜びでございました」

「おお、おお、それはよかった」

 黒い髭面が、にこにこと笑む。景気よく杯に口をつけると、溜め息をついて言った。

「そちが離宮におると思うと、気が気でなくてのう。兄上は、なかなかに激しい人であるゆえ」

 贅肉でたるんだ胸を撫でつつ、髭面を甘く見つめる。

「ご心配くださったのですね――慕わしいあなた様に、お心を留めていただけて、僕は本当に果報者です」

「我が可愛い小鳥よ。我が寵は唯一、そちのものぞ」

 打ち震えて名を囁く。腕を首に回し、迫りくる唇を受けた。


 果てて射る官能が突き上げ、高く声を上げる。わずかな唾を飲み込み、からからに渇いた喉を、かろうじて潤す。

 矢筒が閉じて、視界が反転する。目に飛び込んできた光景に、おののく。

 でっぷりと肥え太った腹の下で、白矢を滴らせる、硬く張り詰めた弓。

 最近は、歳のせいか、一度きりで済むことが多くなっていた。三度も射たというのに、どうしたことだろう。

 宛がわれて、悲鳴をこぼす。

「……ベフナーム様……っもう……!」

「シャーグルよ。今日のそちは、妙よのう?」

 やけに間延びした口調。

 緩慢に丸い顔が傾いで、底冷えした低い声が、鼓膜を這う。

「せっかく、そちが喜ぶと思うて、ターングの秘薬を取り寄せたというに」

 荒い呼吸の中、喉を鳴らして、唾を呑む。

 なんとか声を整え、憐れにしなをつくる。

「慕わしいベフナーム様……今、あなた様のご覧になっている光景が、全てにございます……」

 脚を大きく開く。高く掲げて、ひりつくそこをひくつかせる。

「これほどにも、薔薇は悦びに打ち震えて、あなた様の弓と白矢を欲しておりますのに……そのような意地悪を仰いますの……?」

 しかし、ベフナームは答えない。

 砕けた身体を叱咤し、身を起こす。そして、埋もれた首に手を回した。腰を揺らめかし、怒張した弓にすりつける。

「ああ……ベフナーム様……」

 甘く喘ぎながら、黒い髭面を見つめる。

 丸い手が伸び、太く短い指が、青薔薇の耳飾りを揺らす。

「……兄上は、丈も高く、武芸にも優れた偉丈夫。それに比べて、わしは凡夫ゆえのう。残念であるが……仕方あるまい」

 疑念の灯った眼差し。

 手を取り、頬に添わせて囁く。

「そのようなこと――あなた様ほど、素晴らしいお方はおりませんのに」

 末弭(うらはず)を宛がい、腰を、ぴたりと止める。涙が、頬を伝っていく。

 焦茶色の瞳をひたすらに見つめて淡く微笑むと、一息に腰を落とした。


 朦朧とする意識の中、焦った色の混ざる声が反響する。

「王〈シャー〉よ。これよりは、どうか、穏やかに愛でる時をお楽しみくださいませ。無理を続ければ、薔薇は、二度と咲けなくなってしまいます」

 もう、昼夜も――幾日経ったのかすら、わからなかった。

 最後に食事と睡眠を取ったのは、いつだったか。

「残念よのう。せっかく、よき秘薬に出会えたというに」

 抜けていく感触。腰から手が離れ、崩れ落ちる。

 暗闇に閉ざされた視界が、急激に明るくなる。

「青薔薇様、しっかりなさいませ! 青薔薇様!」

 身体を診る、丁寧な所作。よく知った、柔らかな体温。

 安堵とともに、意識が滑り落ちていった。


 寝そべったまま、小鳥が初春の青空を羽ばたく風景を眺める。

 軟膏を練る、湿った音。静かな早い朝だった。

 断りがあって、淡く返事をする。ひだをなぞり、指が、ゆっくりと入ってくる。平静な低い声が、淡々と尋ねる。

「今朝、厠は?」

「……大丈夫……いつも通りだった」

 少し腹が緩かったが、メフルダードに始まり、〈薔薇始め〉を受けたのだ。それだけで済んだのは、むしろ幸いといえる。

 ただ、もし昨日、ジャハーンが制止に入らなかったら、もっと悲惨なことになっていただろう。〈庭師〉が立ち会う意味を、まざまざと思い知った。

 そして、律儀なこの〈庭師〉は、早朝の〈手入れ〉を申し出た。

 〈追肥〉で多数の裂傷を認めたのに、止められなかったと、忸怩を眉間にこめて。

 まさか、ベフナームの面前で、真実を話すわけにはいかない。有難い分別(ふんべつ)に助けられたものの、為された仕打ちを思えば、砂を食むような思いに駆られた。

「離宮に行ったと言っていたな。……何か、異物は使っていないか?」

「……どうして……」

 どこか、ためらう息遣い。

 一瞬の間を置いて、静かな声が語る。

「お師匠様の日誌に――記録が、残っていた。離宮で乱暴されたようだ、と」

 誰と言わずともわかった。

 忠告を語る、切迫した声音。その、深くえぐれた傷を思う。

「……かのお方について、いい噂は聞かない。特に、酌人にまつわることはな」

 そっと頷く。

 四日間の光景が、心に浮かぶ。涙が滲んで、静かに鼻梁を伝っていく。

「……棒を、差し込まれたんだ――その……弓に……」

 深い溜め息。苦い声が落ちる。

「〈胡桃刺し〉、か――」

「……知っているの……?」

 黄土色の細長い棒。

 メフルダードは、丸めた紙を蝋で固めて磨いたものだと、話していた。あんなものに、まさか、きちんと名称があるとは。

「花街に行けば、一度は目にする。追加の銀を払えば、誰でも行えるからな」

 叫ばずにはいられない、激烈な官能。

 それが、終わりの見えないほど、延々と続く。身体を売るということは、本当に残酷で悲惨だ。

 指が抜け、指袋を外す千切れた音が響く。静かな声が問う。

「排尿時に痛みは? 血尿は、出ていないな?」

「……うん……大丈夫、だと思う……」

 自信はなかった。心身が砕け散るほどに、快感を叩き込まれてきた。朦朧としていて、記憶が判然としない。

 淡々と、しかし苦みの混ざる口調が告げる。

「何か違和感を覚えたら、すぐ呼ぶように。――いいな?」

 承知の意を呟いて、頷く。

 手を洗う水音の中、平淡なヤワ語が告げる。

「……クラムビル水を持ってきた。刻限まで、まだ少しある。飲んで(やす)むといい」

 下着と下衣が引き上がる。

 ふわりと包み込む、毛織の上掛け。その、柔らかな温かさ。たまらなくて、背を丸めて泣きじゃくる。

 陶椀に注がれていく、澄んだ音色。盆に置く静けさと、立ち上がる衣擦れ。

 憚るように、音もなく、ジャハーンは辞していった。


 朝の身支度の終わった、麗らかな午前。予定通り、訪いがあった。

 紅玉の寵童付きの侍童が名乗る声。側に控えていた侍童が応えて、扉を引き開けると、絢爛な姿が現れた。

 燦々と降り注ぐ陽光の中、真紅の羽織を纏って、アフシンは輝いていた。

 居間に歩み寄り、用意された敷き綿に座して、深く礼をする。

「新年おめでとうございます、兄上」

 上体を起こした先に咲く、快活な笑顔。その、純真なきらめき。

 途端、はらはらと、涙がこぼれ落ちる。

「え、あ、兄上……?」

 驚いて、青い瞳が瞬く。

 伸びかけた手が、気づいて膝に戻る。たまらず、嗚咽をこぼす。

「……お願い、アフシン……君の……好きにしていいから……っ」

 肩から羽織を滑らし、帯に手を伸ばす。しかし、衝撃が来て、阻まれる。

 耳元で、真っ直ぐな声が語る。

「大丈夫……大丈夫です……どんなあなたでも、好きですから――あなたは、かわいくて、きれいで、素敵です」

 きつく抱き締める腕。活発な体温。

 しっかりとした背中に、しがみつく。泣きじゃくりながら、何度も名を呼ぶ。その度に、優しい声が応えてくれる。

「苦しいんだ、アフシン……君がいなきゃ――君と遊べないと、僕は……」

 カースィムは、確かに忠告してくれた。念願を叶えるためだと、黙認した。それも覚悟のうちだ、と。

 一人はわけもわからずに知り、二人目も知ってしまった。知らなくてもいい悦楽を、覚えさせられた。

 そして、この先も戦い抜くには、劣情にさらされ続けなければならない。

 覚悟だなんて、とんだ思い上がりだ。何が支えだったか、わかってもいないで。

 そっと、少しだけ、身体が離れる。間近の青い瞳を、潤んで見つめる。

 前髪を丁寧に梳いて、のけてくれる指先。囁く声が、鼓膜を震わす。

「おれも、ずっと……兄上と、遊びたかったです……」

 おもむろに、頬に口づけが落ちる。

 額に、鼻に、輪郭に、優しく降るぬくもり。泣きじゃくりながら、柔らかな所作を受ける。

 しかし、花遊び〈グリ・バーズィー〉は双方向なのだ。返さなければと、顔を巡らそうとして、白い手に阻まれる。

「今はいいですよ。兄上の方が、おつらいんですから。たくさん泣いて、スィーズダ・ベダルを一緒に楽しみましょう。――ね?」

 せき止められかけていた涙が、再び決壊する。細く白い指が、雫を丹念にすくい上げる。

 少し意地悪な口調で、アフシンが笑う。

「ああ、ああ――これじゃあ、お化粧が。ボルナーの力作が、台無しですよ」

 それは困る。何より、そんな崩れた顔を、アフシンに見られるのは嫌だ。鏡を見たい衝動に駆られて、あたりを見回す。

 そういえば、侍童達がいない。首を傾げかけ、顎を摘ままれて振り見る。

「よそ見しないでくださいよ。とっくに、みんな出ていきましたし、どんなお顔のあなたも、かわいいですから」

 見透かされて、顔から火が噴く。

 いろんな感情がない交ぜになる中で、確かに抱き締められる。

「大好きです、兄上。こうして、あなたと遊べて――これほど、めでたい新年はありません」

 そっと、耳に口づけ。くすぐったくて、幸せで、また涙が溢れる。

 しっかりと抱き返し、滲んだ声で告げる。

「ありがとう、アフシン……改めて、新年おめでとう」

 白雪の面立ちに咲く、とびきりの笑み。

 額を寄せ、互いの頬に、口づけを交わした。

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