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帰還の蝶【長編・本編執筆済み】  作者: 清水 朝基
第五章 青き大輪
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星の距離

 枝葉院の瀟洒な木扉を押し開け、外へと踏み出す。

 途端、初冬の冷気が、肌を鋭く刺していく。身震いして、白い息を吐く。

 四年経っても、この寒さには慣れない。縮こまっていると、隣で、快活な声が弾む。

「やっぱり、兄上の詩は最高ですね! いつ聴いても感動します!」

「ありがとう。アフシンも、ずいぶん上達したよ」

 息を白くたなびかせながら、上気した顔が、得意げに笑う。いとおしく、微笑みを返す。

 アフシンが口を開きかけ、背後で、甲高い声が投げかけられる。

「寵童は、王〈シャー〉をお慰めしてこそ。あのくらい、当然にございます」

 つんと、鼻を上向けた横顔。通り過ぎて、さっさと前へと進んでいく。

 妙に感心した口調が、のんきに呟く。

「上級官吏の子ってのも、大変ですね――」

 目を瞠って振り見る。

 どうして知っているのか。察して、アフシンが答える。

「この前、食堂で見かけて、一人だったから、声をかけたんですよ。そしたら、改宗者などとなれ合うつもりはない、とかなんとか。でも、なんか、同級生っぽい子達は遠巻きに見てるだけだし、のけ者にされてるのかなって」

 まあ、やってることは、花童と変わりませんもんね、と何気ない口調が付け加える。

 花童――男娼宿である花宿で働かされている、少年達。

 どれほど言葉を飾っても、女のように男に組み敷かれている、という事実は消えない。都合よく食いものにしながら、差別はしっかりするのだ。

「それで、いろいろ聞いてみたら、ダスティヤール家のペズマーン宰相補佐官の息子で、改宗者からベフナーム様を守るために、宰相直々に入宮するよう頼まれたって――得意げに話してくれましたよ」

 情報量の多さと正確さに仰天する。

 そもそも、内密にすべき話を、敵ともいうべき相手に明かしてしまって、大丈夫なのだろうか。

「……よく、聞き出せたね」

 金色の眉を下げて、アフシンが苦笑する。

「興味を持って、話を聴いてくれる人なんて、こういう環境だと貴重ですからね。特に、入宮した途端、友達が他人になったとなれば、寂しいにちがいありませんから」

 何のてらいもない口調。同情や憐憫でもなく、ただ寄り添いたいという、純真な思い。

 こういう他意のなさが、人の心を柔らかくするのだろう。聡く気づき、自然と合わせられる。そして、そのことに、当人は微塵も負担に感じていないのだ。

 寒風が、頬を撫でていく。枝葉院から〈薔薇の宮〉までの短い距離なのに、やけに冷たく思えた。

 十五歳の誕生日から、もうすぐ二ヵ月。

 あれ以来、アフシンから、花遊び〈グリ・バーズィー〉の誘いはない。

 明日も休みだというのに、特段、予定は尋ねられなかった。

 立ち止まっている暇はない。わかっていても、ぬくもりがほしかった。清らかな微睡みが、恋しかった。

 どれほど媚びを売っても、もはや家族は帰ってこないのだから。

 〈薔薇の宮〉の回廊の分かれ道。挨拶しかけたアフシンを、思わず呼び止める。青い瞳が、輝いて応える。

「……ぼくは、何か――きみの気に障るようなことを、したかな……?」

「兄上が……? まさか」

 きょとんと首を傾げる、白雪の顔。見上げて、よけいに不安に駆られる。

 絡みつく影が、足元から這い上ってくる。締めつけられた喉で、かろうじて言葉をこぼす。

「最近……遊ぼうって、誘ってくれないから……」

 意外に思う顔に、納得の色が広がっていく。

 少し困ったように、慮る微笑が浮かぶ。

「兄上、ご存知なかったんですね――歳が違う場合、どちらかが十五歳になると、やめなければいけない決まりなんです」

 だから、あの時、あれほど惜しんでいたのか。あれが、最後だから。

 お伝えすればよかったですね、と呟く声。おもむろに、白い顔がぼやけていく。たった二歩の距離が、やけに遠く感じられた。

 気遣う口調が、優しく告げる。

「お話なら、いくらでも聴きますから」

 話すことなどできない。

 これから為すべきことは――もう、為さなければ、本当に、全てが無意味になってしまう。

 そっと、両肩に、温かな重みが乗る。

 少しだけかがんで、優しい声が降ってくる。

「……兄上。無理したら、だめですよ」

 それでは、と丁寧に挨拶して、ぬくもりが去っていく。

 滲む視界の中、ただ茫然と、その丈の高い後ろ姿を見つめた。


 傾きかけた冬の陽光に照らされた紙面。連なる名と所属を眺める。そうそうたる顔触れに、身が引き締まる。

 薔薇局長から受け取った、来賓の一覧。

 太子パルヴィーズの初公務と、最上寵童の披露目とあって、その祝宴の規模は、前例にないほど、豪華絢爛なものになる予定だった。

 結局、ファルジャードの思惑は外れ、ベフナームは意思を曲げなかった。

 青薔薇の授与は、正式に決定され、十月一日の今日より、緑玉の間から青玉の間へと移るために、本格的な準備を始めることとなったのだ。

 来賓名簿の確認と采配は、その手始めで、正后の名代としての重要な初仕事だった。

 東は、ヒンドゥシュからターングの外交官に、ファールサに恭順している古い民族の長。北は、スティンヴァーリの外帝将。そして、西部の各地からは高位の行政官が、中央は主だった上級官吏と親衛軍人と始めとする側近軍団の高官が、一同に集う。

 その席次と挨拶回りの順。談話の時間。

 初日の祝宴はもちろん、二日目の外交官らとの会見、三日目と四日目の各会合まで、緻密に予定を組まなければならない。

 こういうものは、たかが順番、されど順番だ。

 例えば、関係の芳しくない者同士で隣合えば、それだけ雰囲気も悪くなる。

 そして、悪い空気ほど、伝播しやすい。たとえなんとなくでも、悪い印象は、あとあとも、しつこく残るものだ。

 また、話しかける順序も重要だ。人は、そのまま優劣と受け取る。馬鹿馬鹿しくても、決して、侮って軽んじてはいけない項目だった。

 まさに、ファールサの威信を賭けた一大行事。

 この祝宴の印象が、最上寵童への評価に直結する。各要人と内通するためにも、絶対に、礼を失したと思われてはならない。

 頭に叩き込んだメフルダードの名簿と突き合わせながら、自然な流れになるよう、指示をまとめていく。関係の深い大国から順に、上座を埋める。

 あらかた作業したところで、葦筆を置く。灯心に火を点け、改めて名簿を眺める。

 マタラム支庁現地代表、アナ・アグン・グデ・オカ・スセハト・ウォンラナンプティ。

 その左には、前国王ウィカックサナラジャの第五子、シワ教導師、と注釈が添えてあった。

 ディーダム教徒である最上寵童が、未開の異教徒と親しく言葉を交わすなど、あってはならない。

 しかし、聖なるクヌニ山で暮らし、教えに直向きに生きてきた人なのだ。広大な大陸の真ん中で一人、どれほど心細いだろう。

(この寒さで、お風邪を召されていないといいけれど……)

 季節風の関係で、ファールサ航路は乾季に限られる。ノウルーズに間に合うためには、雨季に入る前に出航しなければならない。そうなると、必然、到着は九月の下旬頃になる。

 いくらノール人の血が混ざっているとはいえ、常夏の気候に慣れた身では、冬の寒風はこたえる。特に、今年の冬は厳しく、早めの降雪があったほどだ。

 兄に敬意を表しつつも、角の立たない位置。

 席次表に、葦筆をつける。名簿に付された番号を書き込みながら、軽い病でも得てくれたらと、邪心が渦巻く。

 当日、欠席してくれるだけでいい。一度も顔を合わさず、島に帰ってくれれば。

 女のように化粧をし、女物の衣装と装飾品で着飾り、煽情的に腰を振って舞い、しなをつくって、王〈シャー〉と睦まじく語らう。

 そんな弟の姿を見る兄の目は、どんな色を宿すのだろう。

(……兄上……お恨みします……ぼくは、もう、これ以上――それなのに……)

 下書きを終えて、息をつく。

 〈花見〉を知らせる、ジャハーンの声。控えていたスヌンゴに振り向いて頷き、〈花台〉へと足を向けた。


「休みだ、休み、春休みー! 火祭り、ノウルーズ! スィーズダ・ベダルーっ!」

 韻もへったくれもない歌が、晩冬の青空へと抜けていく。寒さはすっかり緩み、春の陽気を感じられる日が多くなった。

 十二月二十七日、火祭りを翌日に控えて、中等三年を修了した。

 ファールサでは、身分を問わず、誰もがこの学年までマドレセ(学院)に通うから、大きな節目だった。

 せっかくなら、筆頭の成績で修めたかったが、過去を悔やんでも、どうしようもない。反省は、あとでたっぷりすることにして、今は休暇を楽しもうと決めていた。

 年が明ければ、最上寵童となる。のんびりする時間は、もう持てないだろう。

 それでも、ようやく、始まりに立てるのだ。ノウルーズの準備も、つつがなく済んだ。本当に長かったと、改めて思う。

 曲線を描く道を軽快に進む馬車。

 下座に腰かけたラーミンの、苛立った声が飛ぶ。

「紅玉様。おひかえなさいませ。こんな往来で、はしたのうございます」

 思いきりしかめた顔も、どこ吹く風で、アフシンが腕を広げる。

「だって、黄玉様。春休みですよ? 待ちに待った、長ーい休みなのに、喜ばないなんて、おれには無理です。――ですよね、緑玉様?」

 急に水を向けられて、はっとする。

 おぼろげに聞いていた内容を、とっさに手繰り寄せる。

「そうですね――きちんと休息を取ることも、〈花見〉にお越しいただく身では、大切なことです」

 途端、ラーミンの顔が強ばる。

 青ざめて、わななく幼い面立ち。アフシンが気遣うように一瞥してから、慎重な口調で言った。

「緑玉様は、お忙しい御身なれば、無論にございましょう。咲く夜を、ただ待ちわびる身では、お察しすることも、はばかられますが――どうぞ、ご自愛くださいますよう」

 背筋から、体温が引いていく。アフシン、と呼びかけそうになって、静かな青い瞳にとどまる。

 二ヵ月ほど前からだろうか。〈花見〉の頻度が、急激に増えた。

 これまでは、アフシンと役割を分け合っていた。だから、負担も、それほど重くなくて済んでいたのだ。

 激しい官能は、それだけで体力を消耗する。

 寝不足と倦怠感を抱えたまま、授業と期末試験の勉強に励み、印璽庁で調査をし、ノウルーズの采配を務めた。

 あまりに忙しくて、この三ヵ月は、ほとんど記憶がない。

 しかし、〈花見〉が集中しているということは、つまり、他の二人には通っていないのだ。完全な失言だった。

 ベフナームは非情だ。ファルジャードに従って選んだ寵童を、大切にするはずがない。

 唇を噛んで俯く、この気位の高い少年に、どうして慰めの言葉などかけられるだろう。

 そして、それは、アフシンも同様なのだ。それなのに、助けを出してくれた。寄越してくれた舟に、乗るしかなかった。

「……お気遣い、感謝します、紅玉様」

 にっこりと、白雪の顔が微笑む。

 そして、大きく手を叩いて景気づけると、再び、調子外れな歌を歌い始めた。


 巻きついた留め紐を解き、紙を広げる。ぼろ布をすいたファールサの普及品ではない、ターングの高級紙の、なめらかな手触り。

 瀟洒な意匠の施された枠内の文面を、ベフナームが、まじまじと眺める。

「――ほう! 同学年内で四位とは。まっこと、そちは優秀だのう」

「一位でなく、お恥ずかしゅうございます」

 口元を袖に当て、目を伏せる。

 〈花見〉がなければ勉学に励めたのにと、半ば八つ当たりのように思う。

「なかなかどうして。歌舞詩楽の芸事全てに通じ、学問にも秀でているとなれば、褒められたものであろうに」

 励ますように、丸い手が、ぽんぽんと背中を叩く。喜び祝う口調が、にこやかに告げる。

「まずは一区切りよの、シャーグル。めでたきことよ。この〈薔薇の宮〉に、そちを迎えたこと、心より幸甚に思うぞ」

 そっと、横目で様子を窺う。

 満足げな髭面。謙虚に憚りつつも、微笑んですり寄る。

「有難いお言葉、誠にうれしゅう存じます。これほどの出会いは、きっと、この先もございませんでしょう」

「まっこと、わしは幸運だのう。そちのような素晴らしき薔薇に、巡り会えたのであるからの」

 腕を回して腰を抱く、太い腕。

 贅肉で膨れた胸から帯へと、手を滑らせていく。途端、忍耐が切れたように押し倒される。

 濡れた吐息をこぼし、腰を揺らめかしながら、その皮肉を思う。

 家族のために志願したアフシン。策謀に期待されたラーミン。

 それぞれに事情を抱えてはいても、ベフナームのことは、()しからず思っているはずだ。

 そもそも、肌を重ね、相手を深々と受け入れて、何も思わずにいられる者など、はたしているのだろうか。

 そして、この時を――汚穢にまみれていくとしか思えない、この時を、二人が待望しているのなら、なんて残酷なのだろう。こんな出会いなど、ほしくはなかったのに。

(……ああ、でも――)

 兄上、と呼ぶ、人懐っこい笑顔。まばゆいばかりに光を放つ、金色の髪。血色のよい、白雪の頬。その名の通り、輝く星のようにきらめく、青い瞳。

(……アフシン……)

 あの、清らかなぬくもりが、恋しかった。好きだと、綺麗だと、抱き締めてほしかった。深く手を繋いで、あの腕の中で、温めてほしかった。

 のしかかる重みに、息を詰める。

 臭い汗に濡れた肩に埋もれながら、暴かれるままに果てた。


 燃え立つ炎に照らされる横顔。朗らかな声が、はやし立てて叫ぶ。

「行けえっ! 跳べー! おっ、すごい、すごい!」

 白雪の顔を燦然と輝かせて、アフシンが指を差す。

「兄上! 今の見ました⁉」

「うん、すごかったね」

 うずたかく積まれた(まき)の炎。

 その燃え盛る中を、列を為した人々が、次々に跳び越えていく。

 一息に跳べる者もいれば、慌てて通り過ぎる者もいる。うまく跳ぶ者がいると、その度に、歓声が上がった。

 火によって、一年の穢れを落とし、新しい年を迎える。年末最後の水曜日に行われる恒例行事――それが、この火祭りだった。

 臆面もなく火に飛び込むのだから、うっかりすると、怪我人や死者が出る。

 まさか、寵童が燃えるわけにはいかない。本格的な火祭りは露台からの観覧にとどめ、小さな灯明皿を跨ぐのが慣例だった。

 そして、アフシンが入宮してからは、中庭がよく見える緑玉の間に(つど)うのが、毎年の楽しみとなっていた。

 一昨年は、はしゃぐアフシンをいとおしく眺めた。昨年は、手を繋いで寄り添いながら、時を過ごした。

 穏やかで、幸せな心地で。好きだと口づけを受け、温かに抱き締められて。

(……ぼくは、愚かだ)

 どうして失ってから、大切だったと気づくのだろう。今、こんなにも不安で、この輝く光に、すがりつきたいのに。

 くつろいで、絨毯につかれる手。そっと隣に置いてみても、繋がる気配は微塵もない。

 不意にどよめく、観客の歓声。ともに弾ける、溌剌とした喝采。純真な笑顔。拳が降り上げられ、立てた膝へと帰っていく。

 興奮冷めやらぬ顔に笑みを返しながら、ゆっくりと、手を腿の上へと戻した。

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