出航
ピーヒョロロロー………!!
コウッ、コウッ、コウッ!!
ギャーッ、ギャーッ、ギャーッ!!
シャンシャンシャンシャンシャンシャン…………。
海辺の朝は思ったより騒々しい。日が昇ったばかりだというのに今までどこにいたのか、海辺にわんさかといる水鳥達は餌を求めて忙しなく飛び回っていた。蝉の声が降り注ぎ、動き出した昆虫と魚を目掛けて鳥達は更に激しく行き交っている。リアはそんな島の様子を静かに見守っていた。
マーシューブの民達との話し合いで、ジョナサン号は夜明けと共に出航することになった。彼等とサニーによれば、夜の出航は日がない時よりも格段にリスクが高いと言う。リアは意見に従い、前夜はたっぷり栄養と睡眠を取った。憔悴し切っていたクララも大分回復したようだ。
船は見る見るうちに無人島を離れてゆく。リアは甲板に立って大海原を見渡した。マーシューブの民達は全速力で船を漕ぎ、六人漕ぎの船に通常時は舵取りを置かないのだが、サニーは自ら買って出て前列の間に収まっている。リアは甲板の上から海の様子を注意深く観察していた。この後更に追撃、ということはないだろうが、前回の二の舞になるのはごめんだった。
「こんな風に帰れる日が来るなんて思いもしませんでしたわ。」
傍らにいるクララがそう呟いた。
「ああ、そうだな。」
リアは周囲から目を離さず答えた。クララに言われるまでもなく心からそう思う。
「リア様はいつもこんな感じですの?」
「え……?」
不意を突かれてリアは言葉に詰まった。クララの質問の意図がよく分からない。
「ん、うーん。そうであるような?ないような……?」
海を観察している為目を合わせていないが、リアの耳にはクララが溜息をつくのが聞こえた。
「責めている訳ではありませんの。何と言うか……少しショックで。」
「…………。」
「リア様がいつもこうやって立ち働かれておられるのだと思うと胸が痛みます。本来なら王宮の奥で大切に育てられている美しい花ですのに。」
「まあ、私にそういう適正があったのならそうだったんだろうけど。」
「お父上様はご存じですの?」
「え?」
「リア様がここまで危ない橋を渡っておられることに……いえ、命の危険があるということをご存じなのでしょうか?」
「うーん、流石に今回のことは予測不能だとは思うけどね。しかしそれなりに。父上だって王子時代は自ら前線に出て戦ってらしたんだ。戦えない飾りだけの兵士なんて足手纏いになるってよくご存じの筈だよ。」
「そうですか……。国を治められるって本当に大変なことですわね。頭が上げられませんわ。リア様もダンガラール様も、あなたをいつも笑顔で送り出して来られたアイーシャ様にも。」
「そんなに大袈裟なもんじゃないと思うけど。それともいっそのことクララもこっち側へ来る?前線に付いて行く侍女。」
「ほほっ、ご冗談を!とても務まりませんわ!」
「そうかな、案外いいと思うけどな。」
「私なぞとても、とても……。」
クララが小さく笑った声がして、その後沈黙が落ちた。
「また……当分お会い出来なくなりますね。」
「そうだな。この船がエクリスタへ着き次第セインティアへ向けて立つ。お前はゆっくり帰って来いよ。」
「ご一緒したいのは山々ですが却って足手纏いになってしまいますものね。そうさせて頂きます。」
「お前が戻って来た頃には――うん?あれは……何だ?船?」
リアが異変に気付いたと同時に、ジョナサン号も進行を止めたようだ。そして、転がるようにサニーが甲板へと飛び出して来た。
「おう、サニー!随分でかい船のようだが。あれは何だ?」
「エクリスタ船です!!エクリスタが誇る軍船ジェシカ号です!!」
「何だって!?間違いないのか?」
「エクリスタが所有する至宝の軍船ですよ!?間違えようがありません!!」
「そうか!」
そう言っている間にも、巨大なジェシカ号はぐんぐんとこちらへ近付いて来た。ジョナサン号と相対すると、それはまるでそそり立つ城のようだった。
どこから人が現れるのか……。リアは船に注目していたが、水面部分にはずらりと果てしなく並んだ長いオールが見えるだけ。しかも鋼鉄の穴からオールしか出ない仕様になっているようで中の様子すら伺えない。暫くすると、船の高い位置から頑丈な縄梯子が海に投げ込まれた。それに続いて、滑るように兵士が下りて来る。いち早く下りて来た兵士は梯子の下段で、こちらへ来るようにと手招きしていた。
「サリエント!!」
リアは海へ飛び込んだ。
「リア!!」
エクリスタ海軍大将のサリエントはリアをキャッチし、ぐっと抱きしめた。
「リア、ご無事で……!!よくご無事で!!」
リアは今にも泣きそうな目をしているサリエントの目を見つめながら、自分はこの人に告げなければならないことがある、と心に思った。
「サリエント、私はお前に謝らなくてはならない。私は借り受けた兵士の殆どを亡くしてしまった。すまない。」
「そう……だったんですか。ピズロ様は?」
リアは静かに首を振った。
「そう……。しかしあなたがご無事だったのは何よりだ。さ、早くこちらの船へ。小型船に乗っているのは何人?」
「私を含めて十人だ。」
「分かりました。」
「申し訳ないがエクリスタ兵ではない。マーシューブなんだ。」
「マーシューブですって!?」
「それから捕虜が一人。」
「捕虜!?」
「事情は後で説明する。皆こっちへ!!」
リアが声を掛けると、ジョナサン号に乗っていた男達は次々と海へ飛び込んだ。そして皆で一人の女性を背負うように泳いで来る。
「おう、そうだった。クララも無事だよ。」
リアもジョナサン号へ戻り助太刀する。
「これで全部か?ん?何だ、ヤンジ?」
ヤンジが梯子に手を掛けたものの、煮え切らないような顔をしていた。
「や、そのう……ですね。あいつを作るのに随分手間暇かけたし愛着が沸いて……。あいつを廃棄するのがどうにも……。」
ヤンジは軽くなってプカプカと浮いているジョナサン号を見ていた。
「なるほどな。」
「何でしたら私一人であいつに乗って帰っても……。」
「それはならぬ。危ないし、お前にも速やかに事情聴取せねばなるまい。サリエント、あの小型船をロープか何かで引っ張ってくことは出来ないのか?」
「出来ますけど……しかしこちらの船の速さに耐え切れないかもしれない。それならこちらから兵士を出しましょう。彼等はそれに乗って帰って来る。それでどうですか?」
「ありがとうございます!!」
サリエントが適当に六人を指し示すと、兵士達はぽんぽんと海へ飛び込みジョナサン号へと乗り移った。
ジョナサン号を目で見送った後、リアは黙々と縄梯子を上って行った。下を見ると海面は遥か遠くに見えて、まるでちょっとした山を登っている気分だ。クララは大丈夫だろうかと上に視線を遣ると、何とか頑張って上っているようだ。
辿り着いた先はグラウンドのように広いフラットな甲板の上。そこでリアは、見慣れぬものを見たような気がした。
サテンの真紅のドレス……?いや、合図の旗か何かなのか……?
リアが目にした真紅の旗は、リアを目掛けて突進して来た。そしてそれは、嘗て起きたデジャヴュのような感覚をリアに与えた。
「リア!!」
真紅のドレスはリアの胸をドンと突く。リアは衝撃でひっくり返りそうになりながらも、驚愕で目を見開いていた。
「ヴァ、ヴァネッサァアアア――!?」
涙交じりの瞳は、以前と同じようにリアを見上げていた。




