08 フランツ先生
翌日、午前の授業が終わったあと、私はハムとスライスしたチーズを挟んだパンを取り出し、食事をしていた。
それを牛乳で流し込むだけの簡単なものだ。あとはオレンジをひとつ持ってきた。
以前はシェフが作ったハンバーグや焼きソーセージ、それに具沢山のスープなどの手間暇掛けたものだったけれど、今はこれで十分だ。
自分で作るのだから、そこまで時間を掛けていられない。
クラスメイトたちは私のことを遠巻きにして、誰も話しかけてこない。
チラチラと私のパンに視線を向けているだけだ。
食べ終えた後、教科書を出して次の授業の範囲を確認していると、肩を叩かれる。
「リディアさん、フランツ先生がお呼びです」
「あら何かしら。ありがとうございます」
そう言って伝えてくれた事務員に頭を下げた。
私は立ち上がり、ちょっと考えてノートとペンをサブバッグに入れると、教室を後にした。
「先生、お呼びでしょうか」
ドアをノックした後、カチャリと開ける。
様々な資料が並んでいる部屋の一角に、テーブルと椅子が四つ置かれていた。
この部屋にはいつも圧倒される。
図書室も本が多いけど、ある程度の空間は確保されている。
ここは天井まで隙間なく本と資料が並べられ、まるで蔵書の森だ。
窓まで本で隠されて、昼なお暗い密林のように感じられる。
「リディア・フォン・エルツベルクさんいらっしゃい。お好きな場所に座ってください」
どこからか、嗄れた先生の声がした。姿は見えない。
辺りを見回してから仕方なく、私は一番手前の椅子に腰を下ろす。
「キャア!」
悲鳴をあげてしまった。クッションだと思っていたものが、突然ニャアと言って飛び上がったのだ。
「ああ、すみませんな。ネイオウ、こっちへ来るんだ」
言いながら先生が姿を現した。
ピョンと飛び上がった白黒の猫が抱きついたのは、壮年の白い髪をした進路相談も担当する教師だった。
「さて」
フランツ先生は温かいお茶を二つコトリと置いて、私の前に座った。
カップを手に取り、ゆっくりとお茶を飲み下す。
「最近、何か困っていることはありませんかな」
私はビクリと肩を震わせて、黙って視線をテーブルの上に落とした。
「お家の噂は耳にしています」
そう言ってまっすぐ視線を私に向ける。
ジークのことだろうか。それとも部屋を追い出されたことか。
――いや、もしかすると魔石が採れず収入が落ちたから、学費が納められていないのかもしれない。
身を固くしていると、先生の声色が変わった。
「本日来ていただいたのは、進路相談についてです。先日アンケートを出していただきましたが、卒業後の進路が変わられた」
そのことか。私は顔を上げた。
「はい。高等部を卒業したら行儀見習いに入り、それから結婚をする予定でした。でもそのお話が無くなりまして、あの――」
書いたのは、ジークとの婚約破棄後だ。しかしその後、また事情が変わった。
「私――わたしとしては、勉強を続けようかと。専門の学校へ行くか、学問の国セリオンに留学をしたいと思ったのですが、でも……」
言葉が止まる。
できればこの国フロスケイルを離れ、外国へ行きたいと思っていた。嫌なことから解き放たれ、知らない世界で勉強に打ち込むためにも。
ライアー男爵家との話は外に漏らすなと、父から厳命されている。
あの家に、嫁がなくてはならなくなった。けれど今の私にはまだその覚悟が、できていない。
そのことは考えないようにしていた。
どうしても苦しくなって、息ができなくなってしまう。
「ふむ。あなたには魔法力学の資質がある。特に鉱山や魔石については非常に詳しい。なのでその道の研究に進むのがお勧めですな」
先生は何も気づかなかったように、私の未来の話をしてくれる。
そして、棚から魔石や魔力についての本を取り出し、テーブルの上に積み上げた。
「こちらをお貸ししましょう。とても助けになるはずだ」
今の学年ではまだ学ばない専門の本だった。
表紙の絵は力を秘めて輝く魔石だ。
天に近い空の色、燃え盛る火の色は吸い込まれそうに美しく、私をすっかり魅了した。
「あなたのことを心配しておりますぞ」
言いながら優しく猫を撫でている。
ゴロゴロと鳴くネイオウは、青と金の瞳の色をしていた。左右が違うオッドアイだ。
その目に見つめられてドキリとした。
まるで魔石のように光っている。
「ありがとうございます。あ――」
その時授業の前の予鈴が鳴った。
「また帰りにいらっしゃい。お菓子を用意しておきましょう」
私は立ち上がると頭を下げて部屋を出た。
後に残ったのはしんとした静寂。
それにネイオウが尻尾を振るパサリという音。
「フランツ先生――」
棚の影からスラリとした影が姿を現す。
「あれが、エルツベルク家のご令嬢ですか」
「全く、悪趣味ですぞ。レオンさま」
レオンと呼ばれた男性は、先程までリディアが座っていた椅子に視線を投げた。
「しかし彼女は――」
「あれは、間違いありません」
目を細め、手を伸ばして猫を撫でながら唇を動かす。
「あの色、彼女の通った後に伸びる光り輝くあの軌跡――」
見えないものをその瞳に映して、クスリと笑った。
「面白いことになりそうだ」
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