42 魔法陣印刷
「お父さま、お兄さま、状況はどうなっているのでしょう」
私は夕食を取るために、家に戻った。
最近はずっと学院に泊まり込んでいたけれど、情報を得るには家と行き来した方がいいと判断して、通学をしている。
幸い、表通りでは被害は出ていない。
領都も表面上は落ち着いている。
けれど人通りは少なく、それも足早に歩き、どこか警戒している様子だった。
「魔石不足に関しては、落ち着いている。貴族へ納める分は少なくなったとは言え、困るほどではない」
父はパンをスープに浸しながら、そう答える。
「庶民は昔の暮らしに戻っている。なに、祖父の代に魔石の価値が認められ、庶民の間にも広がったのだ。魔石を使わずとも生活する術はある」
それは、そうかもしれない。
けれど今の働き手は便利な魔道具にすっかり慣れて、重労働で困っている。
父の言葉は私に対する気遣いでしかないだろう。
「魔獣は、被害が出たわけじゃないが、目撃情報や小競り合いは少し増えている。今日も魔犬が騎士に飛びかかってきた。だが、我が騎士団は強い。お前が心配するほどじゃない」
一撃で切り捨てたんだぞと、ルーカスお兄さまは笑っていた。
「リディア、あなたもお気をつけなさい。馬車に乗っているとは言え、移動の際に何かあるとも限りません」
お母さまは少しやつれた顔で、私の身を案じてくれた。
その心遣いがとても嬉しい。
ふと、見慣れない物が食堂にあることに気がついた。
壁にこの地方の地図が掲げられている。
確かどこかで――、学院のどこかの場所で、同じ物を見たことがある。
「あれは?」
「ああ」とルーカスお兄さまが声をあげる。
「これは騎士団で使われている地図だ。ここは作戦会議でも使っているから、貼りっぱなしになってる」
大きなテーブルがあるから、打ち合わせには都合がいいのだろう。
地図には赤いバツ印がいくつも付けられている。
「あれは、襲われた場所だな。魔獣の動きを読んで、一掃するのに最適なポイントを探っているところさ」
廃坑道へと続く一本道が一番多い。
山と山に囲まれて、不意を突いて襲うのならば一番狙いやすいからかもしれない。
「研究は進んでいるのか」
突然エーリヒお兄さまが口を挟む。
見るともう食べ終えて、口元をナプキンで拭っていた。
「はい。随分と皆さんに助けられました。先生にアデレイドさま、レオンさま、そしてルーカスお兄さま」
「俺?」
名前を挙げられ、隣に座っていたルーカスお兄さまが声を上げる。
「俺は何もしていないが……」
「あの魔石です。氷狼の魔石が大きなヒントになりました」
「そうだったのか! 力になれてよかった。それでそれは……」
「申し訳ありません、まだ確信が持てることではないので、お話ができなくて」
「研究とは積み上げだ。時には間違うこともあるだろう。しかしそれは無駄にはならない」
意外にも、エーリヒお兄さまが理解を示して下さった。
「あの子も昔は学者になりたいと言っていたのよ」
お母さまが柔らかな笑顔でそっと囁く。
だからあなたのことも心の奥では応援しているのです、そう付け加えた。
「お兄さま……」
エーリヒお兄さまの顔を、ジッと見つめた。
何も知らないと言うように、黙ってデザートのフルーツを口に運んでいる。
少し酸っぱかったのか、口元が歪んでいるのが微笑ましかった。
「そう言えば父上、ブルクハルト・ライアーの話はどうなったのです」
食後のコーヒーを飲んでいたルーカスお兄さまが、ふと口にする。
「リディアとのことか。先方からは手紙が何通も届いているが、卒業までは待てと伝えてある。今は緊急事態でそれどころではないともな」
一瞬、部屋に緊迫した空気が漂った。
私の結婚話は立ち消えていない。
「心配するな。お前は研究生としての道を歩み始めている。この先困ることがあったら、俺がなんとかしてやる」
ルーカスお兄さまはそう言いながら、無理に笑っていた。
「あの男は強引だからな……」
エーリヒお兄さままで眉をひそめ、難しい顔をしている。
結婚については、まだ考えたくない。ブルクハルトさまを思い出すだけで思考が止まる。
私はよりいっそう研究に没頭していった。
私は研究室で魔法陣を描いていた。
「これは、火魔法。こちらは光。どちらも比較的安定している」
手で写し取ったものを眺め、その出来に満足する。
「風と水は……実験が足りないのかまだまだね。土は全然動かない。難しいのかな」
組み込む型が違うのか、属性によって出来が違う。
レオンさまは補助の魔法陣も組み込んで下さったけれど、インクの相性もあるのかもしれない。
一応の目処が立った火と光の魔法陣を先に進めよう。
そう考えて、大きさや紙も変え、魔法陣を何枚も描いていた。
「できた! これをベースにして、えぇと……」
私は辺りを見渡した。
「本……はダメね。これは活字を使った物だもの。とすると」
不意に頭の中に閃いた。
「あ、地図! 同じ物があるのならきっとあれは印刷だわ!」
私は椅子を押しのけ立ち上がり、研究室の外に出る。
教室、職員棟、談話室と色々回る。
「あ、すみません!」
私が研究生になる時に、力を尽くしてくれた事務局長の姿を見掛けた。
「リディアさん。研究は進んでいますか」
穏やかに微笑んで、私の様子を確認してくれる。
「ええ、試行錯誤していますが、段々と形が見えてきた気がします。少しご相談があるのですが」
「はい、なんでしょう。必要な物があるのでしたら取り寄せます」
そう答えてくれる。
「あの、印刷をしたいのですが、どうすればいいのでしょうか」
「印刷? 本を作られるのですか。それとも資料やチラシですか」
「魔法陣です。大きな物を何枚も作りたいのです」
事務局長は、驚いたように手にした書類を落としそうになる。
「魔法陣を印刷、ですか。それは珍しい。通常は一枚一枚魔力を注ぎながら手で描きます。なので、印刷という発想自体あまりありません。動くとは思えませんから」
眉をひそめ、難色を示す。
「魔法陣は魔力の流れを使います。線のかすれや途切れがあると発動しなくなるのです」
「インクは自作の物を使っています。上手く調整すれば、動くかもしれない」
私は必死に訴え掛ける。
「わかりました。研究で必要なのでしたら協力は惜しみません。後ほどご案内致しましょう」
「ありがとうございます!」
魔法陣が量産出来るかもしれない。
その希望に目の前がパァッと明るくなった。
高鳴る鼓動が耳に響き、血が巡るのがハッキリとわかる。
私は頭を下げて、事務局長を見送った。
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