37 魔法陣、完成
「フランツ先生!」
翌朝、私はフランツ先生の研究室に駆け込んでいた。
ゆったりと朝食のスープとパンを口にしていた先生は、驚いて目を丸くする。
「リディアさん、あなたはいつも私を驚かせますな」
「昨日、エルツベルク領の記録を調べていて、とんでもないことが分かったんです」
私は息を整えながら、先生に訴えた。
「『魔食いの魔獣』ってご存知ですか?」
「魔食い?」
先生は持っていたスプーンを取り落とし、そのまましばらく黙り込んだ。
「魔力を糧とする魔獣、ですかな」
重々しい言葉が先生の口から絞り出される。
「あれは――」
先生は遠い目をして、視線を宙にさまよわせている。
しかし次の瞬間、カッと目を見開いた。
「先生?」
私は不安になって声を掛けると、先生は立ち上がり、本棚に立て掛けられていたはしごによじ登った。
「これですな」
先生が手に取ったのは、表紙も取れかけた古い本だった。
ページを開き、指先で文字を追っている。
「魔食いとなった魔獣を食べた別の魔獣も、その性質を取り込んでしまう。――まるで病のように広がるのですかな」
私はヒクリと喉を鳴らした。
「……ふむ、これは仮説ですが、あなたの話を総合すると、魔石の採れなくなった坑道には、火ネズミや岩モグラといった魔食いの魔獣がいて、魔石の魔力を吸い尽くしたのでしょうか」
「はい。その魔獣を食べたヘビや鳥も魔食いになり、さらに凶暴な魔獣が食べていく、ということですか」
食物連鎖の図が頭に浮かぶ。
「その結果、頂点に君臨する魔獣が鉱夫を襲ったんですな。……いや、しかしこれは」
先生は言葉を濁す。
けれど、魔石から魔力が無くなっているのは確かなことだ。
「フランツ先生」
ゆらりと本棚の影が蠢いた。
現れたのは、レオンさまだ。
「れ、レオンさま。こんな朝からいらしていたのですか。心臓に悪いですぞ」
「昨日から、魔獣の出現が気になって眠れなかった。だから気を紛らわせようと、魔法陣を描いていた」
彼の目の下にはくっきりとした隈ができている。
「レディ、こちらを」
ツカツカと私に歩み寄り、ノートを開く。
「これならあなたの力を引き出せるはずだ」
そこに描かれていたのは、幾重にも重なった、薔薇の花束ように美しい魔法陣だった。
「これは……」
「ふむ」
フランツ先生は身を乗り出した。
「外側の魔法陣でエネルギーを捕らえ、クルクルと回りながら中央に集めておりますな」
指先で流れを追っていく。
「さらにいくつも組み合わせ、効率を上げている。補助の魔法陣がそれぞれ四つ、そして魔力へと変換する魔法陣を下に重ねている」
半透明な透かし紙を使い、二枚の魔法陣を重ね合わせていた。
「これは火の魔法用でございますかな」
「ああ。一番安定して試すことができたからな」
暖炉やストーブなどを使ったのだろう。
太陽の光では、曇りや夜に試せない。火属性が最も扱いやすかったに違いない。
「この魔法陣で試してくれないか、レディ」
「はいっ! 早速やってみます」
私は深く頭を下げた。
それから私は学院に泊まり込み、何日も魔法陣の改良を続けた。
魔石を削り、樹脂と精油を混ぜ合わせ、ゆっくりと温める。
配合表を作り、少しずつ量を変え記録した。
何回も。
何回も。失敗しては作り直し、また試す。
パンの袋が積み重なり、ゴミ箱からあふれている。
カレンダーの日付はバツ印で消されていった。
机の上は紙の山で埋め尽くされ、私はそこに沈んでいく。
魔法陣を描いた紙が散らばり、床の模様に溶け込んだ。
やがて日付の感覚が無くなった頃、嫌な知らせが飛び込んできた。
「エルツベルク領都で、騎士が魔獣に襲われた」
まさか、ルーカスお兄さまが?
優しく笑うお兄さまの顔が目に浮かぶ。
怪我をされたの? それとも、もしや……
私の心臓は凍りつき、動けなくなってしまった。
「いえ、別の方です」
知らせに来た使用人は、慌てて首を振った。
「ルーカスさまは、引き続き調査を続けておられます」
力が抜け、ストンと椅子に腰を落とした。
けれど、安心はできない。
いつ家族が襲われるか、領民に被害が出ないか、気が気ではない。
「ネイオウ」
鳴き声に目をやると、ネイオウがしきりと足を気にしている。
まだ乾いていない魔法陣を、踏んでしまったらしい。
紙の上に足跡が点々と付いていた。
魔法陣の線も擦れて途切れている。これでは使えない。
「私が書き直しますわ。紙を貼り上から書き直せばよろしいんですの?」
部屋を訪ねて来ていたアデレイドさまが、申し出てくれる。
成績もトップで全属性が使える完璧な令嬢は、複雑な魔法陣もあっさりと写し取る。
「何か違いますわ」
ネイオウの足の裏を拭いてやっていると、アデレイドさまは自分の描いたものと私のものを見比べて、困惑していた。
「形は同じ。インクもリディアさんが調合したものを使ってる。なのに少しも反応しませんの」
他の魔法陣は問題なく動いている。
まだ数値は低く、ばらつきはあるけれど、確実に空の魔石に魔力を込められていた。
「私の力が混じってしまったんですの?」
うぅんと唸り、腕を組んで考え込んでいる。
「そうですわ!」
アデレイドさまは小さく声を漏らした。
そしてバッグの中から一本のインク瓶を取り出す。
「リディアさん、このインクでサインをしてもらえませんこと?」
「サイン?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
けれどアデレイドさまの手の中のインクの正体に気づき、あっと声を出してしまう。
「魔法カードに使われている、魔法インク」
「そうなんですの。最近は父の手伝いで契約書に署名する機会が増えましたので、持ち歩いていたんですのよ」
私はそのインクを借り、アデレイドさまが直した魔法陣に自分の名前を書き込んだ。
乾くのを待って板に乗せ、さらに空の魔石を添えてストーブの前に置いてみた。
魔法陣が光り出す。赤い炎が渦を描きながら走り、空の魔石に流れ込む。
透明だった石は、赤い光で満たされていく。
まるでストーブの炎そのものだ。
さらに輝きは勢いを増し、みるみるうちに力強くなっていく。
やがて市場で売られている、ストーブ用の魔石と同じぐらいに輝いた。
私はそれを手に取り、観察器に掛けた。
「十分な魔力量、しかも短時間で。これは……」
「リディアさん」
アデレイドさまが声を上げる。
「できましたわ! あなたのサインこそが、鍵だったのですわ!」
私の力が触媒となり、魔法陣が動き出したのだ。
私たちはお互いに顔を見合わせた。
ネイオウも顔を上げ、じっとこちらを見つめている。
「やったわ!」
これでパン屋の店主も粉挽きの重労働から解放される。
街に灯りが灯り、疲れ果てていた領民たちが救われる。
私たちは思わず手を取り合い、そして声を上げて喜んだ。
騒ぎに気づいてレオンさまとフランツ先生がやって来た。
「レディ、よくやった」と、わずかに震えた声で褒めて下さった。
先生も、目元を袖で拭っていた。
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