36 魔食いの魔獣
私は家に戻っていた。
徒歩で坑道を抜けるいつもの道は危険だと言われ、家の馬車で表通りを移動した。
本宅に入ると、懐かしい姿が目に入る。
「リディア! 久し振りだな」
「ルーカスお兄さま! どうして家に」
「我が領に魔獣が現れたので、父上――エルツベルク領主と打ち合わせをするためだ。情報収集は欠かせない」
兄の言葉からも、緊迫した状況が伝わってくる。
「今状況確認をしているところだ。父上が主導して、自警団や町の者に最近変わった点がないかを尋ねている」
エーリヒお兄さまも姿を現した。
「皆、魔獣の出現に動揺している。なに、冒険者も雇い、騎士団と力を合わせれば、すぐに片付くだろう」
大した問題ではないような口ぶりだ。
けれど、その言葉を耳にしたルーカスお兄さまの視線が一瞬私に向けられ、そしてすぐに伏せられたのを見逃さなかった。
「あの、私も力になれないでしょうか」
居ても立っても居られない。私はエーリヒお兄さまに言葉を返す。
「か弱い女子供の出る幕ではない。お前は当分、本宅で過ごすように。離れで過ごすのは問題だ。いつ魔獣が現れるかわからんからな」
そう言って、客間に向けて踵を返す。
けれど足を止め、一度こちらを振り返った。
「母上と一緒にいなさい。安心させるように」
まだ打ち合わせが続いている客間へと戻って行った。
離れから、生活に必要な物を取ってきた。それにノートや筆記用具など。
以前使っていた私の部屋に客用のベッドを運び込ませて、服を並べる。
カーテンを閉めながら、暗い庭に視線を落とす。
敷地内に魔獣が入ってきたら……考えるだけで足が震える。
結界は張られているけれど、強い魔獣は突破してしまうかもしれない。
屋敷の中は不気味なほど静まり返り、物音ひとつ聞こえない。
窓の外で、何かがガサリと動いた。
「キャッ」
私は飛び上がり、握りしめたカーテンの向こう側へ身を隠す。
バサバサという飛び立つ鳥の羽ばたきを耳にして、大きく息を吐き出した。
魔獣が出た、それだけでこんな臆病になってしまっている。
私は食事を取るために、母の待つダイニングへと向かった。
不安はまだ胸に残ったままだった。
けれどこんな非常事態なのに、母と食卓を囲めることが、とても嬉しい。
刺繍などの話題に触れながら、心休まるひとときを過ごした。
夕食後は書庫へと向かった。
まだ確認していない資料はいくらでもある。
エルツベルク領の歴史と、領地を治めるために行われた施策、鉱山の工法に採れた魔石の量。
持ち込んだ魔石ランプが書物を照らし出している。
「おじいさまも、色々な事業を試されていたのね」
領地の収入を増やすのは大変だ。
まして鉱山ならば工法ひとつで人命にも関わってくる。
『使い切った空の魔石に魔力を戻す方法について。これは更なる研究が必要だ。私の代では完成しないかもしれない――』
その一文を指で追う。
おじいさまもまた、空になった魔石を再び使えるようにする方法を探していたのだ。
おじいさまは土魔法使いだった。
きっと、その力を使って研究していたのだろう。
皺だらけの笑顔が頭に浮かぶ。
方法は違うかもしれないけれど、目指していたものは同じだった。
私はその本をそっと撫でた。
「あら? 何かしら、これ」
坑道内の動物についての記述だった。
コウモリやネズミが棲み着いた。
ネズミがいれば蛇が来る。鳥にイモリなども発見された。
そして――ある日鉱夫が襲われた。
凶暴な獣が入り込んだため、冒険者を雇って掃討作戦が行われたと。
「どこなの、これ」
より詳しい資料を求め、古い地図を漁ってみる。
けれどどこにも書かれていない。
「そうだ、帳簿!」
冒険者を雇ったと書かれていた。ならばきっと給金を払っただろう。
「これ」
魔石が採れなくなったあの坑道だ。
そして新しく掘る坑道には、予め魔法陣を敷くための専門の魔法使いが呼ばれていた。
「泥棒よけに、入れないように」
そう鉱山長も言っていた。
「動物も、凶暴な獣も入れないように……」
私は言葉を繰り返す。
「空の魔石しか採れない坑道、そこで仕留められた魔獣の魔石」
点と点、現象だけを捕らえてみれば何の関係もないはずだ。
けれど疑惑は線となって結びつく。
「魔獣?」
私は自分の発した言葉にハッとした。
消えた魔石と魔獣を結びつける発想は、あまりにも突飛だ。
けれど。……けれど!
「まさか、魔獣が魔石の魔力を食べてしまったの?」
そんなことがあるのだろうか。けれどとても嫌な予感がする。
書庫の書物を片っ端から読み漁る。
ランプが一瞬、強烈な光を放った。
そこに書かれている文字が、頭に飛び込んでくる。
『魔食いの魔獣』
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
おじいさまの筆跡で、恐ろしい言葉が記されていた。
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