11 最後の交渉材料
今日はルーカスお兄さまが戻られる。
そう知らされて、家路への足取りが軽くなる。
「魔力がなくてもリディアは可愛い妹だ」
そう言ってくれた家族が帰ってくるのは、とても嬉しかった。
「ああ、マーサ。ルーカスお兄さまは?」
屋敷に入るとすぐに家政婦長のマーサがやってくる。
大きな花瓶を抱えて、忙しそうだ。ダイニングに飾る花だろう。
「先ほど戻られて、旦那さまとお話をされています」
「じゃあ私、本を読んで待っているわ」
ちょうど先生から借りた本がバッグに入っていた。
それを持って、廊下の隅にある、椅子の置かれた陽だまりの場所へ足を向ける。
「ふふっ。ここで本を読むのは久し振り」
そこはお気に入りの場所だった。
コーナーになっていて、柔らかな日差しが降り注いでいる。
窓の向こう側の景色も美しい。
葉を落とした木々の先に見えるのは、もう頂に雪を被った山脈だ。
「もうすぐ冬がやって来るのね」
低く入り込む光が私を包む。
椅子に座り、本を広げた私の耳に届いたのは、ルーカスお兄さまの声だった。
「いったいどういうことです。可愛いリディアをライアー男爵家に嫁がせるなどと」
「もう決まったことだ。先方も歓迎している」
息が、止まった。私の話をしている。
もう一人、エーリヒお兄さまの声もするけれど、何を言っているのかまではわからない。
「私が騎士として頑張ります」
「いくら功績を立てても間に合わん。エーリヒも、お前も、良い縁談は全て流れた。後はもうリディアしか残っておらん」
「家を立て直すにはリディアが必要なんだ」
ドアが乱暴に開けられた。青ざめた顔のルーカスお兄さまがやってくる。
頭を掻きむしったのか、淡い茶色の髪が乱れていた。
「ああリディア。そこにいたのか。今の話が聞こえていたんだな。可哀想に」
そう言って私の頬に手を当てる。
「すまない。俺に才覚があれば――俺は、無力だ」
私を強く抱きしめた。
「お前も悪いのだぞリディア」
いつの間にか、エーリヒお兄さまが立っている。
「お前がジークの心を掴んでいれば。――魔力さえ持っていたならば」
氷の刃のような、容赦のない言葉が胸に突き刺さった。
私が悪いの? だから酷いことを言ってもいいと?
「お父さまもエーリヒお兄さまも、私が悪いとそればかり! どうして私だけ……」
そこで言葉をグッと飲み込んだ。
まだ背中に手を回していた、ルーカスお兄さまの目が見開かれる。
そして、そんな強さがあったのかと驚いたように、私を見つめる。
「なんで……どうして……」
エーリヒお兄さまが、上位貴族と婚約していれば。
もっと領地経営の手腕があったなら。
ルーカスお兄さまは優しいけれど、傾いた子爵家の次男と婚約する貴族の娘もいなかった。
「何を騒いでいる」
お父さまがやってきた。
しばらくお顔を見ない間に、随分と痩せた。
どす黒い空気を身にまとい、目だけが爛々と光っている。
「お前がリディアを焚き付けたのか、ルーカス」
そうして私に手を伸ばす。
「この家を守るために必要なことなのだリディア」
「我が領で働く鉱夫が今年だけで三十人も辞めたのだ。これ以上働き手がいなくなれば収入は無くなり、我が家はもう立ち行かん」
そう言ってこぶしをきつく握りしめる。
「お前以外に嫁に出せる娘がもういない。お前は最後に残った交渉材料だ」
「そんな、ひどい。それならお兄さまたちだって」
「私の縁談も全て流れた。婚約者だったカリーナが他国に嫁いだのは知っているだろう。今のエルツベルク家に価値はない」
エーリヒお兄さまが目を見開いて、苦渋の表情で声を絞り出す。
「お父さまは、嫁に出せる娘が必要なだけで、私なんてどうでもいいのね」
ワッと泣き出し、後ろも見ずに走り出す。
「リディア!」
ルーカスお兄さまの声が聞こえたけれど、そのまま屋敷を飛び出した。
せっかくルーカスお兄さまと、和やかな時間が過ごせると思ったのに。
温かなディナーを食べながら、ほんの一時でも安らぎたかった。
唯一の居場所のように、離れに駆け込みバタンとドアを閉める。
いつの間にか雲が重く垂れ込めている。まるで今のこの家を表しているようだった。
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