第41話 改心
【バッカス視点】
俺はバッカス。かつて南国の鉱山で牢名主として囚人たちを仕切っていた男だ。
旧帝国領の片隅、見渡す限りの泥濘が広がる農地。そこには、今まで俺たちを見下し、奴隷として酷使してきた帝国の元貴族たちが集められていた。彼らはアレンのシステムによって最末端の子会員に落とされ、過酷なノルマ地獄の中で毎日泥水をすすりながら這いつくばって生きてきた。
その日、空から黄金の光が降り注いだ直後だった。
「あ、ああ……! 終わった、終わったんだ……ッ!」
泥水にまみれたボロボロの衣服を着た元貴族、ヴォルグ伯爵が、砕け散ったアイギスブローチの破片を両手で握りしめ、地面に突っ伏して号泣していた。
アレンの解散宣言により、彼を縛り付けていた絶対的なノルマと、俺からの理詰めパワハラの恐怖は完全に消え去ったのだ。経験値の逆流によって失われていた体力もすっかり回復しているはずだが、彼はただ解放された喜びに幼児のように泣きじゃくっている。
俺はゆっくりと歩み寄り、ヴォルグの背後に立った。
「……おい、ヴォルグ」
「ひぃっ!?」
俺の底冷えする低い声を聞いた瞬間、ヴォルグの肩がビクッと大きく跳ね、顔面を蒼白にして振り返った。アレン様の魔法陣が消えたとはいえ、魂にまで染み付いた恐怖はそう簡単に拭えるものではないらしい。
俺は純粋な腕力だけで、ヴォルグの首根っこを掴んで強引に立ち上がらせ、ガッチリと肩を組んだ。
「き、今日から、アレン様のルールは無くなったはずだぞ……ッ! まさか、私を殺す気か……!?」
ガタガタと震えるヴォルグの耳元で、俺は凄みのある声で囁いた。
「ああ、今日からアレン様のルールは無え。だがな、お前が俺たちを奴隷として虫ケラのように扱ってた事実は変わらねえよな?」
「あ、ああ……っ」
ヴォルグは絶望に目を閉じ、完全に死を覚悟したように身をすくませた。
だが、俺は組んでいた肩からスッと腕を離し、豪快に笑い飛ばした。
「安心しろ、殺しはしねえよ。アレン様のご意志だ。……今日をもって、奴隷制度は完全に終焉を迎える。てめえらも、これからは一人の自由な人間として生きていくんだな」
「え……?」
ヴォルグは間の抜けた声を出し、俺の顔と、泥だらけの自分の両手を交互に見つめた。
システムによる強制的な支配ではなく、真の解放。復讐の対象であった者たちすらも、最後には等しく許し、光を与えてくれたアレン様の途方もない器の大きさに、彼はついに気付いたのだ。
「私のような愚か者を……許してくださったのか……」
ヴォルグの目から、今度は恐怖ではなく、深い後悔と圧倒的な感謝の涙が溢れ出した。
「私は、心を入れ替える……! かつての傲慢だった自分を捨て、一から、いやゼロからまっとうに生きていくと誓うぞ!」
ヴォルグは泥だらけの顔を天に向け、かつての帝国貴族や幹部たちと共に、空の彼方にいるはずの我らが主に向かって、腹の底から絶叫した。
「アレン様ぁぁぁッ! 本当に、本当にありがとうございましたぁぁぁッ!!」
その情けなくも清々しい姿を見て、俺は満足げに鼻を鳴らし、踵を返した。
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【セリア視点】
私はセリア。西国エルディスで『本物の聖女』と呼ばれ、アレン様の無償の愛を世界に広める特級エージェント。
西国の大聖堂で、私は自らの胸元で鈍い光を放っていたアイギスブローチが、乾いた音を立てて砕け散るのを呆然と見つめていた。
『――星盾の互助陣は、本日をもって解散する』
脳内に響いた、愛しきアレン様のお声。
同時に、私の体内を満たしていた、世界中の信徒たちから吸い上げた莫大で至高の魔力が、一気に天空へと逆流していくのを感じた。脳内麻薬のように私を心地よく酔わせていた全能感が、潮が引くようにスッと消え去っていく。
「ああ……!アレン様……っ!」
普通であれば、力を失う喪失感にパニックに陥るだろう。しかし、私の思考は全く別の、より高次元の真理へと到達していた。
アレン様は、ご自身の『神としての圧倒的な地位と力』を自ら手放されたのだ。
今まで世界中の人々の労働と苦痛をその身一つで背負い、完璧なシステムで平和をもたらした。そして今度は、溜め込んだすべての恩恵を人々に分け与え、ご自身はただの無力な人間に戻られた。
「なんて……なんて尊い究極の自己犠牲……ッ!」
私は両手で顔を覆い、大粒の涙をボロボロとこぼした。
全人類を救うために、ご自身のすべてを捨てたアレン様。その崇高すぎる決断に、私の狂信的な解釈はさらに一段階、ドロドロとした熱を帯びて歪んでいった。
「これからは……力を失ったアレン様を、この私が一生お守りしなくては……! いいえ、私だけがアレン様を独占して差し上げるべきなのだわ!」
激しい感動と異常な執着が、私の胸を焦がす。
私はすぐさま立ち上がり、身にまとっていた漆黒のタイトドレスを勢いよく脱ぎ捨てた。そして、クローゼットの奥にしまい込んでいた、かつての純白の法衣を再び身に纏う。
鏡の前に立つと、自らの顔に西国が誇る『完璧で清純な聖女』の笑顔を張り付けた。
ただ、その瞳だけは全く笑っていない。焦点の合わない真っ暗な瞳孔の奥には、アレン様への異常な執着と独占欲だけが、煮えたぎるように渦巻いている。
「ふふっ……ふふふふっ……♪」
私は鼻歌交じりに、しかし目は完全に据わったまま、巨大なトランクに荷物を詰め込み始めた。着替え、聖書、それにアレン様のお世話をするためのありとあらゆる拘束具や日用品。
「セ、セリア様! 一体どこへ行かれるのですか!?」
血相を変えて部屋に飛び込んできたのは、私の狂信的な付き人である神官長マテウスだった。
「決まっていますわ。愛しきアレン様の元へ向かうのです」
「なっ……! お、お待ちください! セリア様が行かれるのでしたら、このマテウスも当然お供いたします! セリア様のお世話は私が——」
すがりつこうとするマテウスを、私は振り返りざまに、冷え切った視線で射抜いた。
「マテウス」
「ひっ……!?」
かつてないほどの絶対的な圧力。マテウスは息を呑み、その場に縫い止められたように硬直した。
「あなたは、この西国に残りなさい。そして、希望を失った市民たちに『アレン教』の素晴らしい布教を続けるのです。……アレン様のお世話は、私一人で十分ですから」
有無を言わさぬ冷酷な命令。
私はへたり込むマテウスを冷たく置き去りにし、巨大な荷物を引きずりながら、アレン様の待つ帝都へと向けて軽やかな足取りで出発した。




