第40話 歓喜と解放
【トマ視点】(自由商業連盟国のファルサ中堅冒険者)
南国特有の湿気を帯びた風が吹き抜ける歓楽街の裏通りを、俺は重い足取りで歩いていた。
目元には濃いクマが張り付き、胃の奥がキリキリと痛み続けている。
胸元には、鈍い光を放つ鉄のアイギスブローチが食い込むように張り付いていた。
「寝ているだけでレベルが上がる」
「不労所得で強くなれる」
そんな甘い言葉にそそのかされ、幼馴染のカイルの子会員になったあの日。俺は自分が勝ち組になったと錯覚し、歓喜に酔いしれた。
だが、現実は違った。
この『星盾の互助陣』に組み込まれてからというもの、俺がダンジョンでゴブリンを狩り、泥水にまみれて稼いだ経験値の九割は、マージンとして親会員へと自動的に吸い上げられてしまう。どれだけ命を張っても、俺のレベルは一向に上がらないのだ。
「早く……俺も子会員を見つけて、吸い上げる側に回らなきゃ……」
その強迫観念に駆られ、俺は心をすり減らしながら街中を歩き回った。だが、時すでに遅しだった。南国の冒険者も市民も、今や大半がすでに誰かの子会員としてシステムに組み込まれていたのだ。すれ違う者たちの胸元には、皆一様にブローチが輝いている。
「おい、ちょっとお茶でも飲まないか?」と必死に笑顔を作って声をかけても、「もうやってるから」と冷たくあしらわれる。パイの奪い合いはすでに限界を迎え、最末端である俺は、どこへ行っても新たなターゲットを見つけることができなかった。
このままじゃ、一生搾取されるだけの底辺だ。
絶望と焦燥感に押し潰されそうになっていた、その時だった。
『――聞こえますか、星盾の互助陣の全会員の皆さん。最上親である、アレン・クロウです』
脳内に直接、澄み切った鐘のような声が響き渡った。
足が止まる。周囲の冒険者たちも一斉に動きを止め、虚空を見上げていた。
『星盾の互助陣は、本日をもって目標を達成し解散する。これは君たちが稼いだ経験値への、私からのささやかな「退職金」だ』
その宣言と同時だった。
パキンッ!という甲高い音を立てて、俺の胸元に張り付いていたアイギスブローチが粉々に砕け散ったのだ。
「え……?」
呆然とする間もなく、頭上がまばゆい光に包まれた。天空から、黄金の光の雨が降り注いできたのだ。
その光のひとすじが俺の体に触れた瞬間、強烈な熱の奔流が全身の細胞を駆け巡った。
「ぐあっ……なんだ、これ……ッ!」
それは、俺が今まで理不尽に吸い上げられ、決して還元されることのなかった莫大な労働と戦闘の経験値だった。末端であればあるほど割り増しされるという究極の平等数式によって、想像を絶する量の経験値が、利子をつけて俺の体内に一気に逆流してきたのだ。
万年限界だった魔力回路が爆発的に拡張され、疲労しきっていた肉体が嘘のように軽くなる。うだつの上がらない冒険者だった俺のレベルが、一瞬にして跳ね上がっていくのがはっきりと理解できた。
「俺の……俺の努力は、無駄じゃなかった……!」
見えない鎖からの解放感と、全身に漲るかつてない力。俺は歓喜の涙をボロボロとこぼしながら、その場に崩れ落ちた。
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【ガルド視点】(南国ファルサのSランク冒険者)
高級酒場の広々としたVIP席で、俺は一人、極上の美酒を煽っていた。
かつては己の力だけでこの国の頂点に立ったというプライドがあった。しかし、オーガキングの討伐でアレン・クロウの底知れぬ力を見せつけられ、俺は不労所得という甘い汁に屈してしまった。
以来、俺はただブローチを見せびらかし、「あのSランクもやっている」という権威付けのために利用されるだけの飼い殺し状態だった。懐は莫大な富で潤ったが、冒険者としての闘争本能は鈍り、どこか虚無感が漂っていた。
そこに唐突に響いた、アレンの解散宣言。
胸元のゴールドブローチが砕け散った瞬間、俺は思わず舌打ちをした。
「チッ、夢の不労所得生活もこれで終わりかよ。あの詐欺師め、最後は俺たちを放り出してとんずらしやがったな」
だが、その舌打ちは数秒後には驚愕へと変わっていた。
酒場の天井をすり抜けるようにして、まばゆい黄金の光が俺の体にも降り注いだのだ。
「なんだ、この経験値の量は……ッ!」
俺のような上位の階層にも全人類の経験値の総量から分配されたその「退職金」は、破格の代物だった。
Sランクとしてすでに限界を感じていたはずの肉体に、さらなる厚みと底知れぬ魔力が宿っていく感覚。鈍っていた闘争本能が、熱く燃え上がる。
「ハッ……ハハハッ!!」
システムを失った喪失感など、一瞬で吹き飛んだ。俺は砕けたゴールドブローチの破片を酒杯に放り込み、残った酒を一気に飲み干した。
「ネットワークが終わったのは悲しいが、最後にこんなもらえるなら最高じゃねえか!」
俺が豪快に笑い声を上げると、周囲の席にいた冒険者たちも、信じられない力に酔いしれて歓喜の宴を始めていた。誰一人として、アレンを恨む者などいない。俺たちは大満足の笑顔を浮かべ、新たな活気に満ちた日常へと戻っていく。
「久しぶりに、自前の剣で未踏破ダンジョンの最深部でも潜ってみるか!」
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【ハンス視点】(旧帝国軍の末端兵士)
旧帝国領の広大な開拓地で、俺は泥にまみれながら黙々と鍬を振るっていた。
帝国は崩壊し、辺境を脅かしていた魔王も消え去った。世界にはかつてない平和が訪れ、俺たちのような使い捨ての兵士も、戦場で無駄死にする恐怖からは解放された。
だが、俺の心には重い鉛が沈んだままだった。
胸元で鈍く光るアイギスブローチ。アレン様から提示された二択で、俺は「帝国のために死ぬ」のではなく、「組織に寝返る」ことを選んだ。命は拾った。だが、その代償は大きかった。
俺がこうして汗水流して荒れ地を開拓し、懸命に鍬を振るって得た労働の経験値すらも、見えないパイプを通じて上の階層へと吸い上げられていく。
結局、低賃金で使い捨てにされていた兵士時代と何が変わったというのか。暴力で支配されるか、システムで搾取されるかの違いでしかない。俺は一生、見えない鎖に繋がれたまま、養分として生きていくしかないのだ。
そんな絶望に苛まれながら、血の滲む手で鍬を握りしめていた時だった。
『――星盾の互助陣は、本日をもって解散する』
脳内に響いたアレン様の声。それに呼応するように、俺の胸元のブローチがパキンと音を立てて砕け散った。
「あ……」
呆然と立ち尽くす俺の頭上に、空を覆い尽くすほどの黄金の光の雨が降り注いできた。
光が体に染み込んだ瞬間、手足の潰れた豆が瞬時に癒え、全身を苛んでいた激しい筋肉痛が嘘のように消し飛んだ。
「な……なんだこれ……ッ!」
それだけではない。腹の底から、膨大な活力と純粋な魔力が底なしに湧き上がってくる。
それは、俺が今まで上に吸い上げられていた労働の経験値が、すべて俺自身のものとして還元された証だった。むしろ、末端であったからこそ、これまでの苦労を遥かに上回る莫大な力が与えられたのだ。
自分の身を守るのにも、この荒れ地を開拓するのにも、十分すぎるほどの力。
見えない鎖は、今度こそ完全に断ち切られた。
「俺は……自由だ……!」
周囲の畑で一緒に鍬を振るっていた元兵士の仲間たちも、信じられない力に歓声を上げ、涙を流して抱き合っている。
一生搾取され続けるという未来への悲観は、完全に消え去った。残ったのは、システム消滅の喪失感ではなく、命を救い、最後にこんな破格の力を与えてくれたアレン様への、深い感謝の念だけだった。
「故郷に……帰ろう」
俺は使い古した鍬をそっと土の上に置き、大きく伸びをした。
自由な一人の人間としての、新しく、そして満ち足りた日常が始まろうとしていた。




