第4話 牢名主との対峙
「……なんだと?」
バッカスの顔が朱に染まった。彼にしてみれば、この鉱山の絶対的な支配者は自分であり、生意気な新入りを物理的にわからせるのは、いつもの「教育」のつもりだったのだろう。
丸太のように太い腕が唸りを上げ、僕の顔面へと容赦なく振り下ろされる。周囲の奴隷たちが悲鳴を上げて目を背けた。
だが、その拳が僕に届くことはなかった。
バキィッ!
鈍い骨の砕ける音が、坑道に響き渡る。
僕は一歩も動いていない。ただ視線だけで不可視の魔力障壁を展開し、バッカスの拳を弾き返したのだ。下部組織から吸い上げた莫大な労働経験値は、僕の魔力をすでにSランク冒険者すら凌駕する領域へと押し上げていた。
「がぁあっ!?」
自らの力で手首を粉砕されたバッカスが、悲鳴を上げて後ずさる。
僕はゆっくりと歩み寄り、崩れ落ちた巨体を見下ろした。
「暴力で他人を支配し、上前をはねる。発想としては悪くありませんが、やり方が原始的すぎて反吐が出ますね」
僕はバッカスの顔面を仕立ての良い靴で踏みつけ、氷のように冷たく言い放った。
「本当の搾取とは、相手に搾取されていると気づかせず、自ら進んで身を差し出させることです。システムそのものが暴力を内包し、一切の手間をかけずに利益だけが一か所に集まる。それが『構造的暴力』であり、究極の搾取というものです」
バッカスは激痛の中で、僕の背後にある底知れぬ深淵を垣間見たのだろう。単純な腕力ではなく、僕が構築した「狂った魔法陣」の全容と、その冷酷なまでに美しい階層社会の恐ろしさを。
「……す、すげえ」
バッカスの口から漏れたのは、恐怖ではなく、狂気的なまでの心酔だった。
「俺のやってたことなんて、本当にお遊びだった……。アンタ……いや、アレン様。俺を、アンタの組織に入れてくれ。どんな汚い仕事でもやる。アンタの作ったルールの番犬になる!」
こうして、かつての牢名主は、自ら進んで『星盾の互助陣』の一員となり、最も凶悪なコンプライアンス担当へと成り下がった。
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牢名主であるバッカスが赤子のように捻り潰され、あまつさえ忠誠を誓う異常な光景。それを遠巻きに見ていた非契約の奴隷たちは、恐怖と同時に、抑えきれない焦燥感に駆られていた。
「アレンは……本当に脱獄できる力を持ったのかもしれない」
「あいつらだけ助かるなんてズルいぞ!」
かつて僕を「狂っている」と嘲笑し、みみっちい条件交渉をしてきた連中が、手のひらを返して群がってきた。
「おい、アレン! この前は悪かった! 俺も契約してやるから、魔法陣を描いてくれ!」
「俺もだ! 一緒に帝国をぶっ潰そうぜ!」
浅ましい笑みを浮かべ、仲間面をしてすり寄ってくる奴隷たち。
僕は彼らを見据え、口角を吊り上げた。
「仲間? 勘違いしないでください。君たちは『僕の直接の子会員』になる権利を、すでに自ら手放したはずです」
「なっ……じゃあ、契約してくれないのかよ!?」
「いいえ。慈悲深い僕は、最後のチャンスを与えてあげます。君たちがルカやザック、ガンツたちの『子会員』――つまり、僕から見て『孫会員』という下の階層に組み込まれることなら、許可しましょう」
その言葉に、奴隷たちの顔が引きつった。
「ふざけんな! なんで俺たちが、同じ奴隷だったルカやザックの下につかなきゃならねえんだ!」
「対等に扱え! 俺だって同じくらい働いてるんだぞ!」
僕はわざとらしく肩をすくめ、搾取する支配者のマインドで徹底的に彼らを煽り立てた。
「対等? 笑わせないでください。リスクを背負って最初に決断した彼らと、安全圏から様子を見ていた君たちが対等なわけがないでしょう。魔法陣もビジネスも、先に陣取りをした者が圧倒的に勝つようにできているんです」
僕は彼らの目に宿る「焦り」を正確に見透かし、言葉の刃を突き立てる。
「嫌なら契約しなくて結構です。一生、ここで泥水にまみれて帝国のためにツルハシを振り続けて死んでください。……ただし、これを逃したら、本当に後はありませんよ?」
究極の二択。プライドを捨てて他人の下部組織になるか、永遠に奴隷のままで死ぬか。
己の保身と「自分だけ置いていかれる」という恐怖に完全に屈した奴隷たちは、次々とルカやザックたちの足元に跪き、契約を申し出た。
「頼む……ルカ! 俺をアンタの子会員にしてくれ!」
「俺もだ! 一生懸命働くから!」
ルカたちは困惑しながらも、僕の指示通りに彼らと契約を結んでいく。
この瞬間、ピラミッド構造の下部組織がネズミ算式に膨れ上がった。第一階層の幹部たちの下に、無数の第二階層、第三階層が連なり始めたのだ。
それに伴い、僕の身体に流れ込む経験値の流入速度は、それまでの比ではないほど爆発的に跳ね上がった。全身の細胞が歓喜に打ち震え、魔力回路が焼けるほどの熱を帯び続ける心地よさから、無意識に上がる口角を抑えることができなかった。
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その莫大な経験値の奔流は、下部会員たちにも「おこぼれ」としての奇跡をもたらした。
「……あ、ああ……! 俺の、俺の腕が……!!」
坑道の隅で、ドワーフの老職人ガンツが信じられないものを見るような目で自身の両腕を見つめていた。
帝国に見せしめで砕かれ、複雑骨折と筋断裂を起こして二度と使い物にならないはずだった彼の両腕。それが、下部組織から吸い上げられた莫大な「経験値」が流れ込んだことによって、みるみるうちに骨が繋がり、隆起する筋肉が再生していくではないか。
完全に元通りになった太い腕を震わせながら、ガンツは僕の前に泣き崩れた。
「アレン様……! あなたは、俺たちを見捨てた神に代わる、奇跡の救世主だ……!! この命、アンタのためにいくらでも使ってくれ!」
大粒の涙を流し、狂信的な崇拝の眼差しを向けるガンツ。
僕は彼の肩に優しく手を置き、悪魔のような笑みを隠して囁いた。
「神だなんて大げさな。これは、君たちが自ら選んだシステムの正当な対価ですよ。ガンツ、君のその職人の腕が戻ったのなら……外に出てから、君の技術で『とあるアイテム』を大量生産してもらいたいんです」
「あるアイテム、だと……?」
「ええ。これからの事業拡大に欠かせない、最高のある物をね」




