第3話 刻印儀式
薄暗い坑道の片隅。僕は鋭利な石で自らの掌を切り裂き、湧き出る血をインク代わりに指先へ滲ませた。
目の前には、上半身裸になったルカ、ザック、テオ、カルメン、ジェスター、そしてドワーフの老職人ガンツが背中を向けて座っている。彼らの背に、古代の暗黒儀式を魔改造した『星盾の互助陣』の要石となる術式を、次々と刻み込んでいく。
彼らがなぜ、正体も知れないこの狂った魔法陣を信じ、自らの無防備な背中を僕に差し出しているのか。それには理由があった。
数ヶ月前のことだ。
その日、僕たちは看守から到底不可能な採掘ノルマを課されていた。「夕刻までに達成できなければ全員処刑する」という、ただのストレス発散のための理不尽な宣告。
ルカとジェスターは必死に看守に取り入ろうと交渉したが無残に蹴り飛ばされ、血の気の多いザックは怒りで我を忘れ、看守の首をへし折ろうと身構えた。故郷からの友人であるテオは、ただ絶望に震えていた。
もしザックがここで暴れれば、連帯責任で僕たち全員が殺される。
「待て、ザック」
僕はザックの丸太のような腕を掴んで制止した。
その時の僕自身、過酷な労働と栄養失調で魔力は完全に枯渇しており、立っているのがやっとの状態だった。だが、彼らにここで死なれては困る。僕がいつか帝国に復讐するための、重要な手駒になるはずの人間たちだからだ。
「僕が、岩盤の脆い場所を探す。テオ、微弱でもいい、岩の脈を感知して僕に教えてくれ」
「ア、アレン……でもお前、もう魔力が枯渇しいるんじゃないか……?!」
「いいから、やれ」
僕はテオの感知を頼りに、自らの生命力を削って、強制的にマナを捻り出した。指先から血が滴り、視界が真っ赤に点滅する。心臓が嫌な音を立てて軋んだが、構わず岩盤のウィークポイントへ極小の魔力波を流し込み、目に見えない亀裂を入れた。
「ザック、あそこを全力で叩け……!」
僕が血を吐きながら指示した箇所を、ザックのツルハシが粉砕する。轟音と共に岩盤が崩落し、中からノルマを優に超える大量の鉱石が転がり出た。
すかさずルカが「看守様!自然崩落でこんなに大量の鉱石が!」と人懐っこい笑顔で誤魔化し、事なきを得た。
看守が去った直後、僕は限界を迎えてその場に崩れ落ちた。
「アレン! なんで命を削ってまで俺たちを……!」
ルカたちが血相を変えて駆け寄る。僕はひび割れた唇を歪めて、極めて冷静に笑った。
「僕は大丈夫です。君たちの力と才能は、こんな暗い穴底で無駄に消費されるべきものではない。……それに、僕の計算では、君たちがいなければこの帝国をひっくり返すのに少しばかり手数が足りないんですよ」
あくまで冷徹な打算だと言い放つ僕を見て、ザックたちは泣きそうな顔で笑った。この日を境に、彼らは僕の圧倒的な頭脳と、その裏にある狂気的な覚悟に絶対の信頼を寄せるようになったのだ。
そして、この坑道には彼ら以外にも僕が見出した貴重な人材がいる。
見せしめに帝国に両腕を砕かれ、複雑骨折と筋断裂で生きる屍となっていたドワーフの老職人ガンツ。
彼は食事も拒否し、ただ死を待っていた。周囲の奴隷たちが哀れみの目を向ける中、僕だけは彼に近づき、冷たく言い放った。
「両腕が砕かれた程度で、死ぬつもりですか? あなたの頭の中に蓄積された『職人としての高度な設計・加工技術』が消えたわけではない。生きましょう。生きていつか一緒に帝国へ復讐しましょう。必ず僕が導きますから!」
腕を失い、誰からも価値がないと思われていたガンツは、僕のその言葉にハッと目を見開いた。同情ではない。極めて冷徹な『価値の肯定』。それが彼の職人としての魂をどれほど救ったことか。彼は泣き崩れ、僕への絶対的な忠誠を誓った。
もう一人、元・没落貴族の愛妾であるカルメン。
彼女は泥水にまみれながらも美貌とプライドを保とうとしていたが、下劣な看守に目をつけられ、尊厳を奪われそうになっていた。自暴自棄になった彼女が、隠し持った鋭利な石で看守の首をかき切って道連れに死のうとした夜、僕は彼女の手首を掴んで止めた。
「その石を捨てなさい」
「離して! こんな泥水の中で嬲り者にされるくらいなら、死んだ方がマシよ!」
「死ぬのは勝手ですが、もったいないですね。あなたは奴隷や看守の力関係、誰が誰に媚びているかを正確に把握している。その『男たちの嘘と欲望を見抜く観察眼』は、いつか帝国を内側から食い潰すための最高の武器になる。泥にまみれても、その牙を研ぐのをやめないでください」
僕が底知れぬ深淵を覗かせる瞳で告げると、カルメンの目から絶望が消え、代わりに妖しい野心が灯った。彼女は僕の悪魔的な計画に誰よりも早く共鳴し、その計算高い頭脳を僕のために使うと決めたのだ。
――彼らは皆、僕が冷酷な打算で生かしたに過ぎない。
だが、僕が自らの命を削ってでも彼らの価値を証明したからこそ、彼らは僕を救世主だと信じて疑わないのだ。
「痛っ……」
「我慢しろルカ。これがお前を自由にする鍵だ」
「わ、分かってるよ。でも、本当に寝てても強くなれるんだよな?」
「ああ。君たちが下部会員を増やせば増やすほどね」
僕は子守唄でも歌うかのように甘い声で囁きながら、最後の術式をカルメンの背中に描き終えた。
「よし、これで君たちとの契約は完了だ」
最後の術式を描き終え、僕がそう宣言した直後だった。
周囲で様子を窺っていた他の奴隷たちが、血塗られた背中で妖しく輝く魔法陣の光を見て、ざわめきと共に近づいてきた。
「おい、アレン。本当にそれで強くなって脱獄できるのか?」
「俺も入れてくれよ。ただし、俺を『親会員』にして、上の立場にしてくれるなら、契約してやってもいいぜ」
薄汚れた顔に浅ましい打算を浮かべ、男たちが口々に条件を提示してくる。自分は何のリスクも負わず、一番おいしい所だけを吸い上げたいという、腐りきった強欲。
僕は彼らを見回し、氷のように冷ややかな視線を浴びせた。
「……何か勘違いしていませんか?」
「あ?」
「僕は君たちにお願いをして回っているわけじゃない。この地獄から抜け出す『唯一のチャンス』を与えてあげただけです」
僕はあえて彼らの恩師のような振る舞いで、圧倒的な余裕と高慢さを態度に滲ませた。
「自分が『親会員』になれるなら? 馬鹿馬鹿しい。目の前にある最上の価値に気づけず、みみっちい条件交渉をしてくるような君らとは、話し合っても無駄だ。一生、ここで泥水をすすって石を掘り続けていればいいさ」
ピシャリと撥ね退け、完全に相手にしない。
人間という生き物は、すがりつかれると自分が優位に立ったと錯覚するが、「お前には売らない」と突き放されると、途端にそれが惜しくてたまらなくなる。限定感と焦燥感を煽る、心理掌握の基本だ。
奴隷たちは僕の冷酷な拒絶に言葉を失い、ギリッと奥歯を噛み締めて立ち尽くしていた。
+++
最初の契約から、半年が経過した。
相変わらず、帝国の監視兵による暴力と、過酷な鉱山労働が続く日常。
しかし、僕たちの置かれた状況は、水面下で劇的な変化を遂げていた。
カァンッ!カァンッ!
ルカやザックたちが死に物狂いでツルハシを振るう。彼らの筋肉は悲鳴を上げ、関節は軋み、極度の疲労が全身を苛む。
本来なら、その疲労と苦痛は彼らの経験値として自らに取り込まれ、肉体を強化させていく。しかし、彼らの背中に刻まれた『星盾の互助陣』は、それらを許さない。
システムが認識する「経験値」とは、魔物を倒した時のエネルギーだけではない。
ツルハシを振るう労働、筋肉の断裂と再生、汗、疲労、すべてが己のステータスを上げる経験値としてカウントされる。
そして、その稼ぎ出された莫大な労働経験値の『九割』は、マージンとして親である僕のもとへ、見えないパイプを通じて自動的に流れ込んでくるのだ。
僕は今、坑道の奥の岩肌に寄りかかり、ただ目を閉じている。
一切の肉体労働をしていない。指一本動かしていない。
それなのに、ルカたちが汗を流すたびに、僕の身体の奥底で熱い力が脈打つ。吸い上げた莫大な経験値が、ピュアな魔力と肉体的な成長へと還元されていくのだ。
痩せこけていた僕の体は、今や服の上からでも分かるほど異常に発達した完璧な筋肉の鎧へと変貌していた。技術も、魔力量も、日々限界を突破していく。
まさに、一歩も動かずに強くなり続ける「奴隷の集合体」。
彼らが苦しめば苦しむほど、僕は美しく、強大になっていく。これぞ究極の搾取。最高に合理的で、ヘドが出るほど美しい数式だ。
「おい、新入りの優男。最近、随分といいツラ構えになってきたじゃねえか」
心地よい魔力の流入を味わっていた僕の前に、巨大な影が落ちた。
顔や腕に無数の傷跡を持つ巨漢――この鉱山で囚人たちを暴力で仕切る牢名主、バッカスだ。
彼は取り巻きのゴロツキ奴隷たちを引き連れ、僕を見下ろしてニタニタといやらしい笑みを浮かべていた。
「ルカの野郎どもが、最近妙に張り切って石を掘ってるな。お前、あいつらに何か怪しい『裏の仕事』でもさせて稼いでるんじゃないのか?」
バッカスは太い指で僕の胸ぐらを掴もうと手を伸ばしてきた。
「この坑道の利益は、すべて俺様が管理してんだ。上前をはねる権利は俺にある。お前が隠し持ってるモン、全部吐き出してもらおうか」
彼はおそらく、僕が看守の目を盗んで希少な魔石でも溜め込んでいると勘違いしているのだろう。
自分が頂点に立ち、暴力で他者から搾取していると思い込んでいる井の中の蛙。
僕は胸ぐらを掴もうとするバッカスの手を躱すこともせず、ただ静かに、そしてひどく冷酷な笑みを浮かべた。
「利益の搾取ですか。ええ、着眼点はいい。しかし……」
僕はゆっくりと目を開き、底知れぬ魔力を宿した瞳でバッカスを見据えた。
「君の搾取は、ひどく『美しくない』。構造の芸術性が全く理解できていないようだ」




