第36話 復讐の果て
【アレン視点】
僕が魔王を瞬殺し、魔族の脅威を世界から完全に消し去ってから、数日が経過していた。
覇軍帝国ガルディアの帝都にある豪奢な玉座に座りながら、僕はテオの魔石演算機が映し出す各地の映像を静かに眺めていた。
世界は今、かつてないほどの平和と熱狂に包まれている。
最も劇的な変化が訪れたのは、魔族領と接していた最前線だ。脅威が跡形もなく消え去ったことで、死に物狂いで剣を振るっていた旧帝国の兵士たちは、無事に故郷へと帰還を果たしていた。
映像の中では、泥と血にまみれた鎧を脱ぎ捨てた若き兵士が、涙を流しながら妻や幼い子供たちと固く抱き合っている。もう二度と、死の恐怖に怯えながら戦場へ赴く必要はないのだ。
城壁の外に広がる、長年魔物の脅威によって放置されていた肥沃な荒野にも、活気が戻っていた。
魔物に襲われる心配がなくなった農民たちは、笑顔で鍬を振り下ろし、広大な郊外の土地を次々と開拓し始めている。彼らの顔には、明日の糧を心配する暗い影など微塵もなく、未来への希望だけが満ち溢れていた。
当然、各都市を繋ぐ物流街道の安全性も完璧に確保された。南国の豪商たちの馬車や、西国から派遣された物資を積んだキャラバンが昼夜を問わず活発に行き交い、世界の流通網はかつてないほどの活性化を見せている。
『星盾の互助陣』による不労所得の恩恵に加えて、物理的な脅威が完全に排除されたことで、世界はまさに黄金時代を迎えていた。
数千万人の末端会員たちは、僕のシステムを「神の奇跡」と称賛し、誰もが満ち足りた表情で日々の生活を謳歌している。
しかし、彼らは知る由もない。
この夢のように甘く、狂った魔法陣が、まもなくその役目を終えようとしていることを。
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「いやぁ、すげえよな。帝国を乗っ取ったと思ったら、ついでに魔王まで片付けちまうなんてよ」
帝都の玉座の間。その広大な空間には、厳選された数名の人間だけが集められていた。
僕の呼びかけによって集結した、ルカ、ザック、テオ、ガンツ、バッカス、ジェスター、カルメン――かつて帝国の底辺で泥水をすすっていた、元鉱山奴隷の最古参幹部たちだ。
彼らはそれぞれに、帝国の蔵から引き出された最高級の美酒や香りの良い葉巻を手に、この世の春を謳歌するようにくつろいでいた。
「アレン様の圧倒的なお力があれば、魔族などただの羽虫と変わりませんよ。それにしても、この帝国のワインは絶品ですね」
バッカスが不自然なほどピシッとしたスーツ姿でグラスを揺らし、ジェスターは「これほどの熱狂、最高の舞台演出でも作り出せませんよ」と芝居がかった手つきで笑う。
「で、アレン。次はどうするんだい?」
仕立ての良いスーツをラフに着崩したルカが、人懐っこい笑顔で僕を見上げた。
「帝国を潰し、魔王も倒した。世界中が君の養分として完璧に機能している。これ以上、何を望む? 東の未開の大陸にでも船を出すかい? それとも、このまま世界を統治する永遠の神にでもなるのかな」
「俺はいつでも暴れる準備はできてるぜ。アレンが望むなら、世界の果てまでだって領土を広げてやるよ」
ザックが獰猛な笑みを浮かべて太い腕を鳴らし、カルメンが「あら、野蛮ね。でも、新しい市場の開拓なら私の出番かしら」と優雅に扇で口元を隠す。
彼らは皆、莫大な不労所得と、一国を滅ぼせるほどの強大な力を有している。このまま僕に従っていれば、永遠に世界を支配し、搾取する側の頂点に立ち続けることができる。次なる事業拡大の指示を待つ彼らの目には、微かな期待の光が宿っていた。
だが、僕は手元のグラスをテーブルに置き、ゆっくりと玉座から立ち上がった。
僕が動いたことで、広間に満ちていた和やかな空気がスッと引き締まる。全員の視線が、絶対的な支配者である僕の一挙手一投足に注がれた。
「皆さんに集まってもらったのは、他でもありません」
僕は玉座の間に響き渡るよう、静かに、しかしはっきりとした口調で告げた。
「本日をもって、『星盾の互助陣』のシステムを完全に停止し、解散します」
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玉座の間に、水を打ったような静寂が落ちた。
グラスを傾けていたバッカスの手が止まり、テオの魔石演算機を叩く指が硬直する。
誰もが自分の耳を疑っているようだった。今、まさに世界の頂点に君臨し、全人類から経験値を吸い上げ続ける究極のシステム。それを、何の未練もなく停止し、解散すると言うのだ。
「……ア、アレン様。それは、何か新しいシステムへの移行という意味でしょうか……?」
テオが神経質そうに眼鏡を押し上げながら、恐る恐る問いかけてくる。
「いいえ、言葉通りの意味です。すべての契約を解除し、魔法陣を消滅させます」
冗談でも比喩でもない僕の言葉に、幹部たちの間に微かな動揺が走った。
無理もない。このシステムが停止すれば、彼らは神にも等しい力と、湯水のように湧き出る不労所得のすべてを失うことになるのだ。
「忘れてしまったんですか? 一番最初の、あの日の約束を」
僕はゆっくりと階段を下り、彼らと同じ大理石の床へと足を踏み下ろした。
脳裏に蘇るのは、光の差さない薄暗い坑道の記憶。過労と毒素で肺を焼かれ、絶望の中でツルハシを振るっていた地獄の日々。そして、僕が自分の血で古代の魔法陣を書き換え、彼らの背中に最初の契約を刻み込んだ時のことだ。
『この狂った魔法陣は帝国を潰すためだけの使い捨てだ。終わったら全部ぶっ壊して、ただの一般人に戻るぞ』
僕はあの時、はっきりとそう告げた。
「僕たちは、この理不尽で傲慢な帝国に復讐するために、人間の『強欲』という最も醜い感情を動力源とした、最悪のシステムを生み出しました」
僕は幹部たちの顔を一人一人、静かに見渡した。
「ですが、その目的は果たされた。帝国は崩壊し、僕たちを見下した貴族どもは足元で這いつくばっている。ついでに、世界を脅かしていた魔王という第三者も排除した。……これ以上、この狂ったシステムを稼働させ、人々から搾取し続ける理由がどこにありますか?」
手段は、あくまで目的を達成するためのものだ。
復讐を終えた今、権力や富にしがみつき、世界を搾取し続けるだけのシステムを維持すれば、僕たちはあの『強欲』に屈した帝国の貴族どもや、メトリアを裏切った賢人と何一つ変わらなくなってしまう。
「このシステムは、目的を達するまでの『前借りした夢』に過ぎません」
僕は彼らに向かって、氷のような冷徹さではなく、どこか憑き物が落ちたような、穏やかな笑みを向けた。
「僕たちは十分に暴れ、十分に世界を蹂躙しました。……約束通り、すべてを終わらせて、元のただの人間に戻る時が来たんです」
玉座の間に響いた僕の宣言は、世界の終わりを告げるような重みを帯びて、彼らの胸に静かに染み込んでいった。




