第35話 魔王城
【アレン視点】
魔族領と旧帝国領の境界線――通称「人魔最前線」。
そこは、長年にわたり人類と魔族が血みどろの死闘を繰り広げてきた絶望の荒野だった。
「くそっ、右翼が突破されたぞ! 魔法部隊、何をしている!」
「駄目です、魔力が持ちません! これ以上の防衛は……!」
塹壕の中で絶叫しているのは、見慣れた覇軍帝国ガルディアの旧軍服を着た兵士たちだった。しかし、彼らの胸元には共通して、鈍い光を放つ鉄の『アイギスブローチ』が輝いている。
彼らは、不労所得の甘い言葉に釣られて僕の『星盾の互助陣』に寝返った者たちだ。互助会に入れば豊かな暮らしができると信じ、命懸けで群がり来る魔族の軍勢――醜悪なオークや、空を覆うガーゴイルの群れ――を必死に狩り続けている。
だが、彼ら末端会員がどれほど死に物狂いで魔物を倒そうと、稼いだ経験値の九割は最上親である僕の元へと吸い上げられてしまう。そのため、彼ら自身のレベルは一向に上がらず、物量で押し寄せる魔王軍の前に徐々に押し込まれ、戦線は今まさに崩壊の危機に瀕していた。
「もう終わりだ……っ! 誰か、助け……!」
巨大な棍棒を振り上げたオーガが、疲労困憊の兵士へ容赦なく一撃を振り下ろそうとした、その瞬間。
ズドォォォォォォンッ……!!!
空を真っ二つに裂き、極限まで圧縮された大気の塊を、隕石のような速度で最前線のど真ん中に叩きつけた。
凄まじい衝撃波と土煙が巻き起こり、襲いかかろうとしていたオーガはおろか、周囲数百メートルに群がっていた魔族たちが、一瞬にして紙くずのように空高く吹き飛ばされていく。
「な、なんだ……!? 何が起きた!?」
悲鳴を上げて目を丸くする兵士たちの前で、ゆっくりと土煙が晴れていく。
そこには、泥と血にまみれた戦場にはおよそ似つかわしくない、仕立ての良いスーツを埃ひとつ立てずに着こなした僕が、悠然と立ち現れた。
「あ、アレン様……!?」
「ご苦労様です、皆さん」
僕は完璧な営業スマイルを兵士たちに向けた。
「君たちの稼いでくれた経験値は、十分に僕の力となりました。これ以上の無駄な疲労は必要ありません。……あとは僕が片付けます」
僕は旧帝国兵たちに背を向け、地平線を黒く染め上げる魔族の大軍勢を見据えた。
そして、スーツのポケットから右手を出し、軽く指を鳴らした。
パチン、と乾いた音が荒野に響く。
次の瞬間、僕の体内から溢れ出した純度百パーセントの莫大な魔力が、無数の不可視の刃となって荒野を駆け抜けた。
「ギギャアァァァッ!?」
「グォォ……ッ!」
剣を交えることすらない。魔法の詠唱すらない。
僕が指を鳴らしただけで、数万という魔族の軍勢が、まるで透明な巨大ミキサーにかけられたかのように次々と空間ごと切り刻まれ、どす黒い血の雨となって大地に降り注いでいく。
ほんの数秒前まで人類を絶望させていた圧倒的な暴力の群れが、僕の一歩も動かない「作業」によって、ただの肉塊の山へと変貌したのだ。
「す、すげえ……」
「これが、俺たちのトップの力……!」
背後で兵士たちが狂信的な歓声を上げ、その場に膝をついて祈り始めるのが聞こえる。
だが、僕にとってはただの害虫駆除に過ぎない。僕は振り返ることもなく、そのままゆっくりと宙に浮き上がり、魔族の軍勢が湧き出してくる大元――魔王領の最奥へと向かって、再び音速の飛行を開始した。
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瘴気に包まれた魔族の領域。その中心にそびえ立つ、禍々しい黒曜石で造られた魔王城。
僕は城門の前で止まるような野暮な真似はしなかった。空を飛びながら、圧縮した魔力弾を一つ、指先から軽く弾き飛ばす。
ドゴォォォォォンッ!!
分厚い城壁も、強力な結界も、何百匹という近衛の悪魔たちも、そのたった一撃で城の前面ごと跡形もなく消し飛んだ。
もうもうと舞い上がる瓦礫の煙を抜け、僕はぽっかりと開いた城の断面から、魔王城の最も高い場所にある玉座の間へと優雅に足を踏み入れた。
玉座に座っていたのは、人間とはかけ離れた巨大で異形の体躯を持つ存在――この世界の邪悪の象徴とされる魔王だった。
自らの居城が突然半壊したにもかかわらず、魔王は玉座から立ち上がり、傲慢で底知れぬ威圧感を放ちながら僕を見下ろしてきた。
「ほう。このような手段で我の御前にたどり着くとは無礼な奴だ。久方の人間よ。我こそは、魔族を統べる王……」
仰々しい声音で、魔王が己の威厳を語り出そうとする。
だが、僕は相手の経歴や名乗りになど、少しも興味がなかった。僕にとって魔族とは、下部会員たちに経験値を稼がせるための『狩り場』というシステムのリソースに過ぎない。リソースが言葉を喋る必要はないのだ。
「おしゃべりは不要です。さようなら、名もなき魔王よ」
魔王が言葉を言い終わるよりも早く。
僕は右手をかざし、一切の手加減なしに、世界中から集めた数千万人の経験値の結晶とも言える『極大殲滅魔法』を無造作に放った。
「なっ……ガ、アァァァァァァッ!?」
魔王の顔が驚愕に歪んだのは一瞬だった。
抗う隙も、防御魔法を展開する時間すらも与えない。白く輝く純粋な魔力の濁流が玉座の間を完全に飲み込み、世界を脅かしていた絶対的な脅威は、文字通りチリひとつ残さずに蒸発した。
しんと静まり返る半壊の玉座の間。
人類が何百年も恐れ、無数の命を散らしてきた魔王討伐。それが、僕にとっては帝国への復讐という当初の目的の『ついで』の散歩道で、あっさりと達成されてしまった瞬間だった。
「さて……」
僕はスーツの埃を払いながら、深く息を吐き出した。
魔族の大軍と魔王という、この世界における最大級の『経験値の塊』を倒したのだ。本来であれば、途方もない量の経験値が滝のように体内へ流れ込んでくるはずだった。
しかし――。
僕の身体には、一切の変化が訪れなかった。
魔力回路が熱を帯びることも、筋肉がさらに強化される感覚もない。
「……チッ。やはり、もう能力値が限界に達しているな」
僕は舌打ちをし、自身の体内とつながるネットワークの流動を魔力視で確認した。
すでに何ヶ月も前から、一歩も動かずに経験値を吸い上げ続けた僕の肉体は、この世界で許容されるステータスの限界値に到達してしまっていた。僕自身がこれ以上経験値を消費してレベルアップすることは、物理的に不可能になっていたのだ。
だが、システム自体は稼働し続けている。
魔王を倒した莫大な経験値と、今この瞬間も世界中で数千万人の末端会員たちが稼ぎ出している経験値の九割は、僕の体に吸収されることなく、巨大なダムにせき止められた水のように『システム内の余剰プール』にただただ蓄積され、溢れ返っている状態だった。
「まあ、いいでしょう。この莫大な『余り』も、最終的には美しく精算してあげますよ」
僕は膨れ上がる経験値のプールを一瞥し、どうでもいいことのように思考から切り離した。
帝国という最大の敵を合法的に乗っ取り、ついでに魔王も瞬殺した。
世界はこれで、図らずも完全なる平和を迎えることになった。
僕が構築した、人間の『強欲』を動力源とする最悪のピラミッド型搾取システム。その当初の「目的」は、今ここで完全に達成されたのだ。
「帰ったら、幹部たちに召集をかけなければいけませんね。……そろそろ終焉の時です」
僕は冷たい風が吹き込む半壊した魔王城を背に、再び帝都へと向かって虚空へと飛び立った。
その口元には、来るべき時へ向けた、この上なく晴れやかで冷徹な笑みが浮かんでいた。




