第34話 余興
【アレン視点】
覇軍帝国ガルディアの地下深く。
光の差さないその冷たい牢獄には、人間のものとは思えない、濁ったうめき声が絶え間なく響いていた。
「ぁ、あぁ……痛い、休ませて……ツルハシが、重い……っ」
泥と排泄物にまみれた石の床で、白目を剥きながら這いずり回っているのは、かつて理法国メトリアで『十三人の賢人』と呼ばれた男、アルキメデスだ。
僕が構築した『星盾の互助陣』をハッキングし、最上親の座を奪い取ろうとした彼は、システムに仕掛けていたトラップにより、全会員の【マイナスの経験値】――数千万人が毎日味わう労働の疲労、筋肉痛、死の恐怖――を一身に背負わされることになった。
その結果がこれだ。
致死量を遥かに超える肉体的・精神的苦痛を絶え間なく浴び続けた彼の脳は、とうの昔に完全に崩壊している。にもかかわらず、流れ込む魔力が彼の肉体を強制的に生かし続けるため、狂うことも死ぬことも許されない。永遠に他人の苦痛を味わい続ける、死よりも苦しい地獄。
「かつて僕に『命と金が一番大事だ』と嘯いた男の末路としては、最高に皮肉で似合いの場所ですね」
鉄格子越しにその廃人を見下ろし、僕は氷のように冷たい声で呟いた。
彼に対する復讐は完全に終わった。もはや、この惨めな肉塊に割く時間すらもったいない。
僕は踵を返し、地下牢を後にした。
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帝都の中心、豪奢な玉座の間に戻ると、ルカ、ザック、テオたち最古参の幹部たちが僕を待ち受けていた。
僕は玉座に腰を下ろすことはせず、テオが操作する魔石演算機によって空間に投影された大陸地図を見上げた。
「さて。帝国の首根っこは完全に押さえました。僕たちの当初の目的である『復讐』は、完璧な形で達成されたわけですが」
僕は地図の北側――帝国の領土のさらに外側、黒く塗りつぶされた広大な領域を指差した。
「残る懸念事項は、この『魔王領』ですね」
大陸の辺境に陣取る魔族の群れと、それを統べる魔王。
これまでは、南国や西国、そして帝国の下部会員たちに経験値を稼がせるための『放置しておくべき都合の良い狩り場』として、あえて手を出さずにいた。冒険者や兵士たちが魔族と戦って得た経験値の九割は、僕の元へと自動送値されてくるからだ。
だが、その必要性も今や失われつつあった。
僕の体内には、数千万人の労働と戦闘によって生み出された莫大な経験値が、今この瞬間も濁流のように流れ込み続けている。しかし、ここ数ヶ月で僕の能力値はとっくに限界に達しており、吸い上げた経験値は行き場を失い、システム内にプールされ続ける一方なのだ。
「もう、これ以上彼らに無理をして魔物を狩らせる理由がありません。この都合の良い狩り場も、そろそろ『清算』の時期でしょう」
「おいおいアレン、魔王軍を片付ける気か?」
ザックが一歩前に出て、獰猛な笑みを浮かべながら首をボキボキと鳴らした。
「だったら俺たちも行くぜ! 毎日流れ込んでくる経験値のせいで、力が有り余ってしょうがねえんだ。最前線で溜まりに溜まった力をぶっ放してやるよ」
「大軍を動かそうか、アレン? 帝国の兵士たちも、新しいブローチの力を使いたくてウズウズしている頃合いだ」
ルカも人懐っこい笑顔で提案してくる。彼らは僕のシステムに心底酔いしれ、さらなる戦いを求めているようだ。
だが、僕は優雅に手を挙げて彼らの言葉を制した。
「その必要はありません。帝国への復讐が終わった今、魔王軍との戦いは余興みたいなものです」
「えっ……? じゃあ、どうするんだい?」
「デザートとして楽しませてください。僕一人でサクッと片付けてきますよ」
事もなげに、しかしひどく甘く放たれた僕の言葉に、幹部たちは呆れたように顔を見合わせた。魔王軍の討伐を「デザート」と言い切る僕の底知れぬ余裕に、ザックは「相変わらず規格外な野郎だぜ……」と苦笑いして肩をすくめた。
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玉座の間を出た僕は、帝都の最も高い場所――皇帝のバルコニーへと足を踏み出した。
吹き抜ける風が、仕立ての良いスーツを揺らす。
魔石演算機の地図で確認した、旧帝国軍と魔族が激しく衝突している最前線の座標。距離にして数千キロ。軍隊を行軍させれば数ヶ月はかかる道のりだ。
「さて、服がもつでしょうか」
僕はバルコニーの大理石の縁に立ち、軽く膝を曲げた。
体内に蓄積され、限界を超えてプールされている規格外の経験値。それをほんの少しだけ、両足の筋肉と魔力回路へと回す。
ドンッ!!
凄まじい轟音と共に、足元の大理石が粉々に砕け散り、巨大なクレーターが穿たれた。
ただの跳躍ではない。極限まで強化された身体能力と魔力爆発による推進力は、僕の身体をまるで放たれた大砲の弾のように、遥か上空へと打ち上げた。
一瞬にして帝都の街並みが足元でミニチュアのように縮み、分厚い雲の層を突き抜ける。
氷点下の冷たい大気と、空気が薄くなる高空。物理法則すら無視した跳躍力に任せ、僕は空中で姿勢を制御した。
遥か北の空を見据え、僕は両手に莫大な魔力を集中させる。
そして、空中で鳥が羽ばたくように、両腕を大きく振るった。
バァァァァァンッ!!
手から放たれた強力な魔力の反発力と、大気を圧縮して生み出された尋常ではない風圧が、空中に見えない足場を作り出す。
それを推進力とし、僕の身体は音速を超えて虚空を蹴り飛ばした。
大気を引き裂く衝撃波を纏いながら、僕は北の最前線へと向かって一直線にカッ飛んでいく。
眼下には、帝国の広大な領土や山脈が、まるで早送りの映像のように次々と矢のごとく過ぎ去っていく。風の壁を魔力障壁で切り裂きながら、僕は空中でさらに腕を振るい、加速を続けた。
一歩も動かずに全人類から経験値を搾取し、神の領域へと至った僕。
その暴力的なまでの「結果」が、今、空を裂く天災となって魔王の首を狩りへと向かっていた。




