第33話 致死量のエネルギー
【アレン視点】
「あ、がぁぁぁぁっ!? な、なんだこれは……っ!体が、骨が砕け……ッ!!」
アルキメデスの絶叫が、玉座の間にビリビリと反響した。
若返ったはずの彼の肉体が、内側から弾け飛ぶような異音を立てて激しく痙攣する。彼の脳と神経に直接叩き込まれたのは、単なる魔力の暴走ではない。
薄暗い坑道で血を吐きながらツルハシを振るった奴隷たちの疲労。
ゴブリンの牙に肉を食いちぎられた冒険者たちの死の恐怖。
不作に怯え、泥水をすすって生きた農民たちの絶望。
南国、西国、北国、帝国の数千万人が日々味わってきた『筋肉痛』『疲労感』『死の恐怖』といった【マイナスの経験値】。その致死量を遥かに超える肉体的・精神的苦痛が、圧縮された濁流となって彼の一身に雪崩れ込んだのだ。
「眠い、痛い、苦しい……ッ! 死にたくない……助け、て……ッ!!」
アルキメデスは白目を剥き、よだれを垂らしながら大理石の床をのたうち回る。
数百万人の過労とストレスをたった一人で背負わされた彼の精神は、もはや正常な思考を保つことすらできず、瞬く間に崩壊していった。
かつて「完璧な論理」を鼻にかけ、自分だけが甘い汁を吸おうとした利己的な男。他者を蹴落とし、故郷を売り飛ばし、ただ己の保身だけを追求し続けた彼が、皮肉にも今、見ず知らずの数千万人の他人の苦痛をすべて背負わされて床を這いずり回っている。
僕はゆっくりと歩み寄り、泥と涎にまみれて這いつくばるアルキメデスを冷たく見下ろした。
「ひぃっ……ア、アレン……やめ、とめてくれ……っ」
懇願する彼に向かって、僕はわざとらしく首を傾げてみせる。
「おや、どうしたんですか? 君が望んで奪い取った『最上親の座』ですよ。システムの頂点に立つということは、それだけ大きな責任と痛みを伴うということです。……ああ、そういえば」
僕はしゃがみ込み、彼の耳元でひどく甘く、残酷な声で囁いた。
「『命と金が一番大事だ。お前のくだらない論理で、腹は膨れるのか?』……かつて、燃え盛る故郷を背に、君は僕にそう言い放ちましたよね?」
ビクッ、とアルキメデスの体が大きく跳ねた。彼の霞む瞳に、決定的な絶望が浮かび上がる。
「ならば、せいぜいこの致死量の苦痛に耐えて、生き延びてみてください。命が一番大事なんでしょう?」
かつての因縁への、究極の意趣返し。
その言葉は、アルキメデスに残されていた最後のプライドを粉々に打ち砕いた。
「あ、あああ……」と意味のないうめき声を漏らし、彼は完全に心が折れ、ただピクピクと痙攣するだけの肉塊と化した。
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「……ああ。ああ……っ!」
その時、玉座の間の片隅から、場違いなほど熱を帯びた吐息が漏れた。
壁際に叩きつけられていた元聖女、セリアだ。
通常であれば、数千万人の呪いのような苦痛を浴びて廃人となった男の姿を見れば、恐怖に顔を引きつらせるか、あるいは同情して目を背けるだろう。
しかし、彼女は違った。
セリアは恐怖するどころか、両手で口を覆い、その瞳に異常なほどの恍惚の光を宿して、僕を見つめていた。
「セリア?」
僕が振り返ると、彼女はふらふらと立ち上がり、頬を真っ赤に染めて祈るように手を組んだ。
「アレン様……アレン様は、この致死量の苦痛を……数千万人の絶望と痛みを、ずっとお一人で背負っていらしたのですね……!」
「……は?」
僕は思わず素の声を漏らしそうになった。
誤解だ。僕は単に、システムの処理過程で発生するマイナスの経験値を「裏の隔離フォルダ(ゴミ箱)」に放り込んでいただけだ。背負ってなどいない。だからこそ涼しい顔をしていられたのだ。
だが、狂信的に僕を愛する病み気味聖女のフィルターを通すと、その真実は美しく、そして極端に歪められて解釈されてしまったらしい。
「ご自身の肉体を犠牲にしてまで、皆の痛みを引き受け、その上で完璧な笑顔を崩さずに私たちを導いてくださっていたなんて……! これほどの自己犠牲、これほどの無償の愛が他にあるでしょうか!」
セリアの瞳孔が開き、ドロドロとした情念と狂気が頂点に達する。
「やはり、私が愛した方は本物だった! アレン様こそが、真の神……真の救済者ですわ!」
彼女のねじ曲がった信仰心が、ここで限界を突破し、絶頂に達した瞬間だった。
もはや僕が何をしようと、彼女の目には「すべては深い愛と自己犠牲ゆえの行動」としか映らない。完全なる無敵の狂信者へと仕上がってしまった。
「おいおい……あの女、完全に脳髄までアレンに焼かれちまってるな」
立ち上がったザックが、ドン引きしたように頬を引きつらせている。ルカも「さすがのアレンも、あの重すぎる愛の管理には苦労しそうだね」と苦笑し、テオやカルメンたちも若干引いた目でセリアを見つめていた。
僕は小さくため息をつき、這いつくばるアルキメデスの顔面を仕立ての良い靴で容赦なく踏みつけた。
「まあいいでしょう。誤解だろうとなんだろうと、利用できるものはすべて利用するのが僕のやり方です」
玉座の間の空間に漂う赤黒いエラーコードを、僕は再び指を鳴らして黄金の光――正常な『星盾の互助陣』のシステム――へと書き直していく。
過去のトラウマを完全に克服し、帝国の完全掌握を成し遂げた僕の前に、もはや敵は存在しなかった。玉座の間には、完全なる勝利の静寂と、一人の聖女の熱狂的な祈りの声だけが心地よく響いていた。




