第32話 反転する魔力
【アレン視点】
「フハハハッ! アハハハハハッ!!」
玉座の間の大理石の床に響き渡る、アルキメデスの狂気的な高笑い。
白髪と深いシワに覆われていた老体は急速に若返り、隆起する筋肉と、かつての賢人時代すらも遥かに凌駕する圧倒的な魔力が彼の全身から立ち昇っていた。
彼は完全に勝利を確信していた。僕を嘲笑い、かつて僕の故郷メトリアを売り飛ばした時のように、完璧な論理で勝ったのだと声高に叫んでいる。
僕の側近であるザックやルカたちは、見えない重圧に押さえつけられ、床に這いつくばって血を吐いていた。セリアも壁に叩きつけられ、絶望の涙を流している。
状況だけ見れば、僕の『星盾の互助陣』は完全にハッキングされ、乗っ取られたように見えるだろう。末端から最上親へ向かっていた経験値のパイプは、濁流となってアルキメデスへと逆流しているのだから。
僕は玉座の前でガタガタと震え、顔を青ざめさせて立ち尽くす……という『演技』を、すっと止めた。
「……くっ、ふふっ。あははははっ!」
我慢しきれず、僕の口から笑い声が漏れた。
顔を覆っていた両手をどけ、僕はいつもの、氷のように冷たく、すべてを見透かすような『冷徹な笑顔』を浮かべてアルキメデスを見下ろした。
「な、何がおかしい……!」
アルキメデスの笑い声がピタリと止まり、その顔に怪訝な色が浮かぶ。
「いや、あまりにも見事なハッキングだったものでね。君の執念と魔法幾何学の知識には、素直に感心していたんですよ」
僕は玉座にゆったりと腰を下ろし直し、足を組んだ。先ほどまでの怯えた様子など微塵もない。絶対的な支配者の余裕だけをみせて。
「アルキメデス。僕の祖国の防衛陣を売り飛ばした男が、同じ『パスワード解除』の手口を使ってこないなんて、どうして僕が思わないと錯覚したんですか?」
僕の言葉に、アルキメデスの顔が引きつる。
その時、床に這いつくばっていたはずのザックが、「へっ……」と悪びれた笑みを浮かべて、ゆっくりと立ち上がった。
「……おいおいアレン、お前の『演技』が真に迫りすぎてて、本当に焦っちまったじゃねえか。俺の忠誠心を試すような真似は勘弁してくれよ」
口元の血を拭いながら、ザックが首をボキボキと鳴らす。彼に続いて、ルカもスーツの埃を払いながら立ち上がり、いつもの人懐っこい笑顔を取り戻した。
「全く。僕たちまで騙すなんて悪趣味だよ、アレン。でも……やっぱり君の悪魔的頭脳には誰も勝てないね。その余裕っぷりをみると……裏をかいたんだね」
テオも神経質そうに眼鏡を押し上げながら、手元の魔石演算機を叩き始める。彼らの目には、アルキメデスに対する恐怖など一切ない。あるのは、僕に対する絶対的な信頼と、これからアルキメデスに降りかかるであろう地獄への、ほんの少しの同情だけだ。
「な、なぜだ……!? なぜ動ける! 私が最上親になったのだぞ! システムの階層至上主義により、お前たちが私に逆らうことは不可能なはずだ!」
アルキメデスが混乱し、怒鳴り声を上げる。
「ええ、その通りです。君は見事にシステムのベクトルを逆転させ、『リバース・テイクオーバー』を成功させた。君が今、このネットワークの頂点に立っているのは紛れもない事実だ」
僕はパチン、と指を鳴らした。
その瞬間、玉座の間の空間に、アルキメデスが展開した赤黒いハッキング数式を覆い尽くすように、僕が最初から仕込んでいた『真の隠し魔法陣』が黄金の光を放って浮き上がった。
複雑怪奇な幾何学模様が、玉座の間全体を包み込む。
「しかし、この陣は僕が設計したものです。システムにおいて、最上親の権限を強制的に奪う行為……それはすなわち、『ネットワークの全負債をも引き受ける』ということを意味します」
「ふ、負債だと……? 何を言っている!」
「考えてもみてください、アルキメデス」
僕は玉座から立ち上がり、アルキメデスに向かってゆっくりと歩み寄った。
「君はまさか、数千万人が毎日魔物を狩り、ツルハシを振るうことで生じる『筋肉痛』『疲労感』『死の恐怖』といった【マイナスの経験値】が、どこに消えているとでも思っていたんですか?」
僕の問いに、アルキメデスは目を見開いた。
魔力というものは、光があれば必ず影がある。プラスの経験値が生み出される裏には、必ずそれと同等のマイナスの側面が存在する。
僕は吸い上げた経験値をピュアな魔力に変換する際、その莫大な「労働の苦痛」を別の裏アカウントに隔離し、高度に圧縮して溜め込んでいたのだ。それをすべて無防備に受け入れれば、いかに強靭な肉体を持とうと一瞬で精神が崩壊する。
「なるほど……そういうことか!」
背後で、魔石演算機のデータを解析していたテオが歓喜に震える声を上げた。
「アレンは最初から『不正な権限奪取』をトリガーにして、隔離していた負債の隠しフォルダが強制解凍されるように仕組んでいたのか……! ハッキングすらも設計段階からの『誘い水』だった。ふっふっ、なんて美しすぎる数式だ!」
テオの解説が玉座の間に響き渡る。
僕のシステムの真の恐ろしさを理解し、学者のように目を輝かせるテオの言葉に、アルキメデスの顔色はついに蒼白へと変わった。
「君の言う通り、論理は完璧で美しい。だからこそ、君が強欲に目を眩ませてシステムを乗っ取りに来ることも、僕には手に取るように計算できたんですよ。僕はただ、君がハッキングを完了するまで、この玉座で待っていただけだ」
アルキメデスは、自分から仕掛けたはずのハッキングが、僕の掌の上で踊らされていたに過ぎなかったことを完全に理解した。彼が乗っ取ったのは、神に至る莫大な魔力だけではない。数千万人が日々味わってきた、地獄のような苦痛のすべてだったのだ。
「さあ、アルキメデス。世界中から集められた極上の『負債』を、たっぷりと堪能してください」
僕が冷酷に宣言した瞬間、アルキメデスの身体を包んでいた魔力の光が、どす黒い闇へと反転した。




