第31話 最上親の簒奪
【アルキメデス視点】
覇軍帝国ガルディアの中心、帝都にそびえる玉座の間。
かつて私が名誉貴族として極上のワインを傾けていたその絢爛豪華な場所は、今やあの忌々しい小僧、アレン・クロウの支配下にあった。
「さっさと歩け、このクズが」
背中を乱暴に蹴り飛ばされ、私は冷たい大理石の床に泥水まみれで這いつくばった。私を見下ろしているのは、元・鉱山の牢名主であったバッカスと、武闘派幹部のザックだ。
かつて虫ケラのように見下していた奴隷上がりの連中に、理法国メトリアの『十三人の賢人』であったこの私が踏みにじられている。これほどの屈辱があるだろうか。
玉座には、仕立ての良いスーツを着こなしたアレンが、足を組み、絶対的な支配者の余裕を漂わせて座っている。
「先月のノルマも未達成。その上、泥にまみれながらブローチを弄るような不審な動きを見せていたそうですね、アルキメデス」
アレンが氷のように冷たい声で見下ろしてくる。
私は泥水にまみれた顔を伏せ、恐怖に震える惨めな老人を演じながら、掌の中に隠し持っていた『改造アイギスブローチ』を強く握りしめた。
「無駄に高いプライドしかない、無能な老人。君にはもう、経験値を生み出す養分としての価値すらなさそうだ」
アレンが私を完全に見下し、処分の命令を下そうとしたその瞬間。
私は掌の中のブローチに、限界まで練り上げた魔力を一気に流し込み、起動させた。
「……私を無能と呼んだな、若造。見せてやろう、究極の論理を!」
私が叫んだ直後、空間に赤黒い幾何学模様――極小のハッキング数式とエラーコード――が爆発的に展開され、玉座の間にけたたましいシステム警告音が鳴り響いた。
『星盾の互助陣』の根幹に割り込ませたバイパス回路が、完全にシステムを掌握していく。
「な、何だこれは!?」
玉座に座るアレンの周囲を常に覆い、いかなる物理・魔法攻撃をも無効化していた圧倒的な魔力障壁。それが、まるでガラスにヒビが入るようにピキピキと音を立て、あっけなく砕け散った。
「ア、アレン! 大変だ!」
部屋の隅で、経験値の流動を監視していたアレンの取り巻きが、血相を変えて魔石演算機の画面を指差した。
「経験値の流動ベクトルが完全に書き換えられている! アレンを頂点としていたピラミッドの底辺が収縮し、下へ向かって伸びていく……ひ、ひし形に変形している!? アルキメデスが頂点に立ち、アレン、君が……一番下の最下層に落ちている!」
テオの悲痛な叫び声が響く。演算機の画面では、美しい青色のピラミッドが真っ赤なエラー色に染まり、頂点と底辺が完全に反転する『逆流簒奪』が引き起こされていた。末端から最上親へ向かっていた経験値のパイプが、濁流となって私へと逆流していく。
「い、一体何がどうなっている!?」
玉座のアレンが、先ほどまでの冷徹な余裕を完全に失い、顔面を蒼白にして立ち上がった。その目は大きく見開き、声は情けなく震えている。自身の完璧なシステムを乗っ取られ、完全に出し抜かれた小僧のおどおどとした姿がそこにあった。
「てめえ、アレンに何をしやがった!」
アレンの危機に、武力派の取り巻きの三人が激昂し、一斉に私へ向かって武器を構えて飛びかかってきた。
しかし、彼らの身体は私の数メートル手前で、まるで目に見えない巨大な鉛に押し潰されたように、大理石の床に激しく叩きつけられた。
「がっ……!? か、体が……動かねえ……っ!」
「くそっ、アレンに、指一本触れさせるかよ……!」
ザックたちは自らの筋繊維が引きちぎれるほどの力で重圧に抗い、口から血を流しながらも、必死にアレンを守ろうと這いずってくる。だが、無駄だ。
システムにおける『階層至上主義のアップライン絶対の法則』。私が新たな最上親となった今、ひし形の中間層に位置する彼らが、頂点である私に逆らうことなど物理的に不可能なのだ。
「アレン様から離れなさい、悪魔め!」
そこへ、漆黒のドレスに身を包んだ元聖女セリアが駆け込んできた。彼女は唯一システム外の力である『本物の聖女の魔力』を全開にし、私のハッキングを浄化しようと眩い光を放った。
だが、今の私の背後にあるのは、南国、西国、北国、帝国の数千万人が死に物狂いで稼ぎ出した経験値の濁流である。
パァァンッ!
聖女の浄化の光は、私の放つ圧倒的な赤黒い魔力に触れた瞬間にあっけなく弾け飛び、セリアは悲鳴を上げて壁に叩きつけられた。
「あぁっ……嘘、私の魔力が……! アレン様……っ!」
彼女は絶望に顔を歪め、力なく床に崩れ落ちて嗚咽を漏らした。
誰も私を止めることはできない。
「フハハハッ! アハハハハハッ!!」
私は、玉座の間を見下ろしながら腹の底から高笑いした。
アレンから奪い取った、神に至るほどの莫大な経験値が、私の全身の細胞を激しく脈打たせる。白髪とシワに覆われていた老体は急速に若返り、隆起する筋肉と、かつての賢人時代すらも遥かに凌駕する圧倒的な魔力が私の全身から溢れ出していた。
私は、玉座の前でガタガタと震え、おどおどと周囲を見回しているアレンを指差し、歓喜と共に叫んだ。
「お前の『強欲のシステム』は完璧だったよ、アレン! だがな、最後に勝つのはいつだって『完璧な論理』なのだ!」
若返った身体にみなぎる全能感。私からすべてを奪った生意気な若造が、今度は私の足元で無様に怯えている。これ以上の絶頂がこの世にあるだろうか。
「思い出すだろう、アレン! あの夜、私がお前の防衛魔法陣を解除して国を売り飛ばした時のようにな! お前の小賢しいシステムは、再びこの私の手で完全に破壊されたのだ!」
最大のトラウマをえぐる私の言葉に、アレンは顔を青ざめさせたまま、言葉も出ない様子で立ち尽くしていた。
もはや勝負は決した。私は、この世界を支配する新たな神となったのだ。




