第14話 甘い誘惑
【カルメン視点】(特別勧誘担当/元・没落貴族の愛妾・鉱山奴隷仲間)
南国ファルサの裏路地。淀んだ空気と腐臭が漂う貧民街の片隅に、その薄汚れた孤児院はあった。
私は泥水でドレスの裾が汚れないように注意深く歩を進めながら、建物の陰から中庭を観察していた。アレン様が次に仕掛ける大規模な勧誘セミナーには、末端会員たちの心を一瞬で掌握するための「完璧な偶像」が必要不可欠だ。
中庭では、一人の少女が幼い孤児たちの世話を焼いていた。
擦り切れた粗末な服を着て、泥だらけの子供たちに笑顔でパンを分け与える健気な姿。名前はミリーといったか。一見すれば、自己犠牲の精神に溢れた純真無垢な少女に見えるだろう。だが、男たちの嘘と欲望を散々見てきた私の目は誤魔化せない。
彼女の瞳の奥には、経験値や富に対する執着とは違う、もっと厄介で扱いやすい欲望が渦巻いていた。
『良い人だと思われたい』
『社会的に評価されたい』
『無知な子供たちから感謝されたい』
強烈な名誉欲と承認欲求だ。
孤児たちの世話をしているのも、決して無償の愛などではない。自分が優位に立ち、彼らから「ありがとう」と崇められる快感に酔いしれているだけ。自分の美しさと優位性を無意識に計算している、生粋の女優気質。まさに、アレン様のシステムに組み込むには最高の逸材だった。
私は完璧な笑みを顔に貼り付け、中庭へと足を踏み入れた。
「……あなたが、ミリーちゃんね?」
上品で華やかなドレスに身を包んだ私を見て、ミリーはハッと息を呑んだ。自分よりも圧倒的に美しく、博識そうで社会的地位の高そうな大人の女性。彼女が最も憧れ、そして評価されたいと願う対象そのものだ。
「孤児たちの世話、ご苦労様。あなたのその無償の優しさと献身的な姿、ずっと見ていたわ」
私が優しく微笑みかけると、ミリーの顔に「認められた」という隠しきれない歓喜の色が浮かんだ。彼女はやはり「良い人だと思われたい」「評価されたい」という欲求の塊だ。私はあえて、そこからさらに一歩踏み込む。
「でもね……あなたのその類稀なる才能と慈愛を、こんな泥だらけの狭い庭で終わらせていいはずがないわ」
「え……?」
「今、この南国の冒険者たちは貧困と絶望で希望を失っているの。毎日命を張っているのに報われず、心が荒みきっているわ。……ねえ、ミリーちゃん」
私は彼女の泥のついた小さな両手をそっと包み込み、熱を込めて見つめた。
「彼らを導く『希望の象徴』として、私と一緒に大きな舞台に立ってくれないかしら?」
「私が、希望の……象徴……?」
「ええ。孤児院の数人の子供たちから得られる感謝だけじゃ、あなたの器には小さすぎるわ。あなたが大きな壇上で正しく美しい道を指し示せば、何万人もの大人たちが涙を流してあなたを称賛し、救済者として崇めるようになる。……無知で可哀想な大人たちを救う女神に、なってくれないかしら?」
孤児数人からの「ありがとう」ではなく、数万人の大人たちから一斉に崇拝され、感謝されるという圧倒的なスケールのビジョン。
その言葉は、ミリーの奥底にある強烈な名誉欲を、この上なく正確に、そして爆発的に満たした。
ミリーの瞳孔が開き、頬が熱に浮かされたように紅潮していく。大衆から「自分を救ってくれた女神」として扱われる快感。何より、自分よりも美しく上位の存在である私にその才能を見出され、懇願されるという至上の喜び。
「……やります。私、迷える大人たちを救う光になります!」
従順で、天才子役のような完璧な演技力を持つこの少女は、自らの巨大な承認欲求と名誉欲に満たされながら、私の最高の『偶像』になることを固く約束した。
+++
【トマ視点】(うだつの上がらない中堅冒険者/下部会員)
「ハァッ……ハァッ……! くらえっ!!」
薄暗いダンジョンの中、俺は泥と魔物の返り血にまみれながら、必死に剣を振り下ろしていた。
ギャァァッ!という断末魔と共に、目の前のゴブリンが光の粒子となって弾け飛ぶ。経験値が体内に流れ込んでくる感覚。……しかし、それはあまりにも微弱だった。
「……くそっ。いくら狩っても無駄に思えちまう……」
アイギスブローチを手に入れてから、勧誘がうまくいかない俺は毎日寝る間も惜しんで魔物を狩り続けている。ルカさんの言う通り、この互助組織に入れば不労所得で強くなれるはずだった。
だが現実は違う。どれだけ魔物を倒しても、稼いだ経験値の九十パーセントが上の階層に吸い取られているため、最末端にいる俺のレベルはいつまで経っても上がらないのだ。
システムに組み込まれた見えない搾取。その事実に気づき始めた俺の心に、どす黒い疑念と不満が渦巻き始めていた。
「クソッ、俺も早く子会員を作って、上に吸い上げる側に回らなきゃ……!」
焦燥感に駆られた俺は、ダンジョンを飛び出してギルドの酒場へと向かった。




