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第二十四話 俺の舌がおかしいって味が分かっていないって意味だよな?

前世では食事に頓着しない方だった。コンビニ飯でも平気だったし、同じものを一週間食べ続けても気にならなかった。忙しいサラリーマンの宿命だ。でも今の俺は、毎朝運ばれてくる小さな器を、なんとなく楽しみにしていた。


——なぜかというと、毎日違うからだ。


ドロドロとした何か、という認識だった最初の頃から、だいぶ経つ。今は違いがわかるようになっていた。


鶏のブイヨンベースの日がある。あっさりしていて、にんじんの甘さが前に出る。バターで風味をつけた日は、口当たりがなめらかで、白インゲン豆のピュレがとろりと舌の上で溶ける。


全部おいしかった。


——エミリーの腕がいいのか、それとも素材がいいのか。


たぶん両方だろうと思っていた。この家のものは何でも品質が高い。富裕層というのはそういうものだ。

でも、ある日気づいた。


日によって、何かが違う。味の方向性だけじゃなく、もっと細かいところが。にんじんの切り方の角の立ち方。煮込みの長さ。ブイヨンの濃さの微妙な加減。それが、エミリーのリズムと合っていない日がある。


——今日は誰か違う人が作ったな。


そう思った瞬間、イサベル母さんが顔を出した。


「おいしい?」


にこにこしていた。エミリーとは違う種類のにこにこだった。少し、そわそわしているような。


——なるほど。


俺は器を見た。バターベースだった。白インゲン豆のピュレの崩し方が今日は少し粗い。ブイヨンの加減が、いつものエミリーより控えめだ。丁寧だが、慣れていない手の仕事だった。


——母さんが作ったのか。


この家には料理人がいる。エミリーもいる。頼めばいい話だ。でも母さんは、たまに自分で作る。にこにこしながら持ってきて、「おいしい?」と聞く。


俺はもう一口食べた。


——うまい。


エミリーのものとどちらが上かという話ではなかった。そういう比較をする気が起きなかった。


——そういうことか。


俺はしばらく、器の中を見ていた。


グルメ漫画の主人公なら、ここで走馬灯のように食材の産地と職人の顔が浮かぶ場面だ。俺には浮かばない。浮かぶのは、そわそわしながら「おいしい?」と聞いてくる母さんの顔だけだ。


特別なものは何もない。


俺はにんじんを飲み込んだ。


——うまかった。


それ以上の言葉は、今のところ持っていなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


数日後、いつもと違う人が離乳食を持ってきた。


家政婦だった。うちに何人かいる中の一人で、よく見る顔だった。にこりと笑って器を置いて、また出ていった。


俺はそれを口に入れた。


——あれ。


鶏のブイヨンベースだった。そこは同じだ。でも何かが違う。にんじんの切り方の角が立っている。煮込みが短い。ブイヨンの奥行きが薄い。エミリーのものより、素直な味だった。悪くはない。ただ——違う。


俺は器を見た。


見た目はいつもとほぼ同じだった。にんじんと白インゲン豆のピュレと、スープ。それだけのものだ。


——待って。


なんで俺、これがわかるんだ。


ブイヨンの奥行きが薄い、というのはわかる。味が単純だ。前世の知識で説明がつく。でも煮込み時間はどうだ。にんじんの角が立っているかどうかは、舌で感じる話だ。機器を使わず、食べただけで。


——おかしくないか。


俺はもう一口食べた。


やはりわかった。エミリーのものと、今日のものは、明らかに違う。違いがわかるというより、構造が見えるような感覚だった。素材、切り方、火の入れ方、ブイヨンの組み合わせ。食べながら全部が分解されて並ぶ。


——これ、普通じゃないな。


前世で料理番組を見すぎた、では説明がつかなくなってきた。料理番組を見ても煮込み時間は舌ではわからない。グルメ漫画の主人公でも、そこまではやらない。やったとしても漫画の話だ。


俺は天井を見た。


——なろうのチートって、普通、異空間収納とか鑑定眼とか剣技とかじゃないのか。


なんで俺の特技が「今日の料理人がわかる」なんだ。


サラリーマン時代の接待飯の食い過ぎか。二十七年間で舌が限界まで鍛えられたか。そういう問題なのか、これは。


——まあ。


俺はにんじんを飲み込んだ。


否定できなかった。わかってしまうものはわかってしまう。それだけの話だ。


——そうか。俺、これができるのか。


得したのか損したのかは、まだわからなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


翌朝、エミリーが離乳食を持ってきた。


口に入れた。


——エミリーだ。


鶏のブイヨンに、野菜の甘みが底に沈んでいる。にんじんの角が丸い。煮込みが長い。いつものリズムだった。


——当たった。


当たったというより、確認した、という感覚だった。最初からわかっていた。


その次の日はイサベル母さんだった。バターベースで、白インゲン豆のピュレの崩し方が少し粗い。「おいしい?」とそわそわしながら聞いてくる。


——当たった。


その次の日はまた家政婦だった。野菜スープベースで、ブーケガルニのハーブが前に出ていた。にんじんの角がまだ少し立っている。エミリーより煮込みが短い。


——当たった。


三日連続で当たった。


俺はしばらく、それについて考えた。


絶対味覚、と俺は名付けた。自分のチートに。なろう小説の主人公が持つべきチートとしては、どう考えても格が足りない。そして、明らかにジャンルが違う。

異空間収納でもない。鑑定眼でもない。剣技でもない。戦場で何の役にも立たない。

敵の前で「お前の料理の煮込み時間がわかる」と言っても、誰も怖くない。


——まあ、そうか。


受け入れた。


チートなし転生者が絶対味覚を手に入れた。それが現状だ。嘆いても仕方がない。有効活用できるかどうかは、これからの話だ。


——有効活用、できるか?


しばらく考えた。


——できない気がする。


正直に結論を出した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


その日の夕方、エミリーが部屋に入ってきた。


いつものにこにこだった。抱き上げられて、窓の外を見せてもらった。庭の木が風に揺れていた。


「坊っちゃん、今日のお食事はいかがでしたか」


エミリーが聞いた。


俺は少し間を置いた。


今日はブーケガルニベースだった。ハーブの香りの主張がいつもより控えめで、にんじんの甘さがきちんと前に出ていた。エミリーのリズムだった。


——エミリーだった、とは言えない。


なぜ言えないのかは自分でもよくわからなかった。言っても困らないはずだ。でも何か、言ってはいけない気がした。


「んー、エミリー、いつもおいしいよ」


エミリーが止まった。


一秒くらい、止まった。


それからまたにこにこした。今度は少し、違う種類のにこにこだった。


「……ありがとうございます、坊っちゃん」


声が、いつもより少し柔らかかった。


——俺のチートが人に言えるものじゃないのは確かだ。


絶対味覚は、今日も静かに稼働していた。

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