第85話 偽印
王都は沈黙していた。市場は閉鎖。商会は在庫を抱え込み、民は不安に囁く。
「三日」。
その猶予が、王国の寿命のように重くのしかかる。誰もが同じ数字を口の中で数えている。
王宮地下書庫。ルークは一人、印章保管庫を調べていた。警備記録。交代時間。封印痕。
「……封蝋が違う」
微細な差異だった。肉眼では気づかない。だが財務監察官の目は誤魔化せない。
「第二書庫の封印は一度剥がされている」
エリシアが静かに言う。剥がされた封蝋は、押し直すと縁の艶が変わる。
「交代記録は」
「改竄されています」
内部犯。だがルークは首を振る。
「違う」
「これは内側からの裏切りではない」
「外側から“誘導された”」
第一王子が眉をひそめる。内側でも外側でもない、という言い方が引っかかる。
「どういう意味だ」
「副局長は私を信頼していた」
「印章の保管も知っている」
「だが彼は臆病だ」
冷静な分析だった。長く同じ部署にいた者にしか言えない評でもある。
「自分から動く胆力はない」
ならば。
「恐怖を与えられた」
沈黙が落ちた。脅す相手を選ぶところまで、設計されている。
同時刻。東方国境。イリーナは王国の使者を迎えていた。
「信用凍結は我らの意志ではない」
王国側が言う。イリーナは淡々と答える。
「だが凍結が続けば、軍は動く」
圧力は維持されている。使者の言葉を、彼女は否定も肯定もしなかった。
王都。ルークは副局長を再尋問する。
「誰に会った」
「……覚えていない」
「嘘だ」
静かな声だった。声を荒げないほうが、この男には効く。
「妻はどうした」
副局長が震える。妻、という一語で、目の焦点が合わなくなった。
「……」
「家族の移動許可が突然通ったはずだ」
沈黙。
「連盟は家族を守る」
「代わりに印章を使わせた」
副局長が崩れる。守る、という言葉を、脅しとして使う相手だった。
「妻と娘が……」
王宮に静かな怒りが広がる。連盟は脅していた。ルークは立ち上がる。
「印章は複製されている」
「だが完全ではない」
「微細な欠けがある」
証拠を集める。欠けの位置は、押された紙の側にも残る。
「副局長は利用された」
「本丸は別にいる」
エリシアが言う。本丸、と言われて浮かぶ顔は一つしかない。
「カイウス」
その名が重く落ちる。会議の席に、その男は今日も座っている。
夜。均衡会議の控室。カイウスは静かに紅茶を飲む。
「王は揺れているか」
副官が問う。控室の卓には、条約案の写しが伏せて置かれていた。
「まだだ」
微笑を浮かべる。揺れていない、と認めることに、この男は躊躇しない。
「だが内部は揺れた」
彼は知らない。印章の微細な欠け。財務監察官の執念。
翌朝。王宮は緊急声明を準備する。
「印章偽造の証拠を公表」
「副局長は被害者」
第一王子が言う。被害者、と先に置くことで、内部の分断を止める。
「連盟の手口を暴く」
レオンハルトは頷く。手口を暴いても、口座は開かない。
「だがまだ足りない」
「決済網を動かせなければ三日で終わる」
ルークは静かに言う。三日のうち、使える手は一つしか残っていない。
「連盟内部に接触します」
全員が息を呑む。切られた側から会いに行く者は、普通いない。
「自分を切った相手にか」
「だからこそ」
目は決まっていた。
「私は連盟の構造を知っている」
彼はもう迷っていない。自分は駒だった。だが、駒は盤を知っている。
三日のうち、初日が終わる。王国はまだ立っている。だが時間は減っていく。
封蝋の欠けで気づく、という形にしました。
財務監察官は、数字を見る人ではなく、記録の辻褄を見る人です。彼が最初に見たのが金額ではなく封印痕だった、というところに彼の職能を出しています。




