第84話 凍結
それは、夜明け前に起きた。
「国際決済網、停止!」
王宮に怒号が響く。王国中央銀行の外貨口座が凍結された。名目は――
『国際信用調査中』
停止の一報は、取引開始の一時間前に届いた。
西方連合の金融中枢が、連盟側へ傾いた。同時に、東方帝国が国境で兵を一歩進める。越境ではない。だが射程圏内だった。金融と軍事。同時圧力。
王宮。灯りは夜のまま、誰も落としていない。
「決済停止で輸入が止まる」
ルークの声がかすれる。三日、という見積りは彼が昨夜出したものだ。
「三日以内に物資不足」
第一王子が机を叩く。宣戦布告、という語を、彼が先に口にした。
「これは宣戦布告に等しい」
エリシアは冷静に言う。感情を上げれば、判断の速度が落ちる。
「会議はまだ続いています」
「連盟は条約署名前に均衡を壊すつもりです」
レオンハルトは命じる。命令は二つ。どちらも即日で動く手だった。
「準備基金を即時放出」
「国内決済は独立網へ切替」
だがそれは時間稼ぎだった。その時。別の報告が入る。
「王宮内部、決済鍵情報が漏洩!」
空気が凍る。決済網凍結のタイミングは、内部情報なしでは不可能だ。
第一王子が低く言う。凍結の時刻は、鍵の更新の直後だった。
「裏切り者がいる」
調査は即座に開始される。そして、拘束されたのは、財務局副局長だった。だが。
「私は命令に従っただけだ!」
「誰の命令だ」
震える声だった。従っただけ、という言い方は、名を出す前置きになる。
「監察官……ヴァルデン様の」
沈黙。全員の視線がルークへ向く。彼は顔を失う。
「違う」
低い声だった。違う、の一語しか出てこない。
「私は決済鍵を共有していない」
だが、副局長の証言は具体的だ。会議直前、ルークの承認印が押された文書がある。
ルークは自分の印章を確認する。……本物だ。だが自分は押していない。
「偽造だ」
「証明できるか」
第一王子の問いは冷静だった。できない。信用凍結。内部裏切り。すべてがルークに収束する。
エリシアが一歩前に出る。証明できないほうを責めても、時間が減るだけだ。
「印章の保管は」
「王宮第二書庫」
第一王子が顔色を変える。書庫の警備は、彼の管轄に近い部署が回している。
「昨夜、警備が一部交代した」
連盟の“第三段階”。内部を疑わせ、王の中枢を崩す。レオンハルトは静かに言う。
「監察官ルーク・ヴァルデン」
空気が止まる。名を呼ばれた本人が、最初に姿勢を正した。
「職務停止」
沈黙。
「だが拘束はしない」
全員が驚く。停止と拘束を、王は明確に切り分けた。
「陛下!」
第一王子が声を上げる。
「裏切りは証明されていない」
「今、内部を割るのは連盟の思う壺だ」
ルークは震える。疑われることより、庇われることのほうが応えた。
「……陛下」
「私は」
「証明しろ」
低い声だった。証明しろ、というのは、機会を与えるという意味だ。
「自らの潔白を」
その瞬間。東方帝国から書簡が届く。
『信用凍結が解かれぬ場合、国境警備を強化する』
実質的な最後通告だった。均衡は崩れた。市場は閉鎖。軍は睨み合い。王宮は疑心暗鬼。そして王は、孤独の中心に立つ。
ルークは深く息を吐く。切られた、と気づくのに一晩かかった。
「……連盟は私を切った」
悟る。自分は駒だった。利用され、疑われ、排除される。だが、彼は顔を上げる。
「証明します」
「三日ください」
レオンハルトは頷く。
「三日だ」
時間はない。物資は三日。軍も三日。金融も三日。
全員が出ていったあと、エリシアだけが残って三日ぶんの配分表を引き直していた。レオンハルトはそれを止めない。止めない代わりに、灯りを一つ足して出ていった。
拘束はしない、と彼が言った理由を、彼女はまだ訊いていない。
決済網が止まります。
物資の残りが三日、というのは誇張ではありません。港が止まった国の在庫は、だいたいそのくらいで底が見えます。数字の戦争がいちばん生活に近づく回でした。
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