第74話 戴冠
王都中央広場。石造りの戴冠台の周囲を、兵が幾重にも囲む。
観衆は沈黙していた。暗殺未遂の噂はすでに広がっている。それでも人々は集まった。逃げなかった。
空は高く、冷たい。鐘が鳴る。
レオンハルトがゆっくりと歩み出る。肩の包帯は見えない位置に隠されている。第一王子が一歩後ろに立つ。エリシアはさらにその後方。だが視線は並んでいる。
国王が王冠を掲げる。掲げた腕は、思ったより長く止まっていた。
「恐怖の夜を越え」
「王国は新たな時代を迎える」
静かな声が広場に響く。恐怖の夜、という語を、王は隠さずに使った。
「レオンハルトを王と認める者は」
民衆が膝をつく。その音が波のように広がる。王冠が頭に置かれる。重い。だが逃げない。
立ち上がり、民を見る。そして各国使節へ視線を向ける。深緑の旗――隣国。銀の紋章――西方商業連合。赤金の鷲――東方帝国。すべてが見ている。
王は口を開く。最初の一行を、彼は昨夜のうちに書き換えていた。
「昨夜、我は狙われた」
ざわめき。隠すと思っていた者が、ほとんどだった。
「恐怖は王を試す」
「だが恐怖は王を決めない」
静まり返る広場。決めない、と言い切ったところで、誰も咳一つしなかった。
「王国は主権を守る」
「だが孤立はしない」
使節たちの目が細まる。孤立はしない、の一語が誰に向けられたかを測っている。
「我らは開かれた貿易を望む」
「透明な制度を築く」
「だが」
声が強くなる。だが、で切ったあとの間が長かった。
「主権は売らない」
風が吹き抜ける。旗が三つとも、同じ向きに鳴った。
「金融の鎖も」
「軍の脅しも」
「思想の煽動も」
「我らは屈しない」
その言葉は明確に、誰かへ向けられている。広場にどよめき。第一王子がわずかに頷く。エリシアの胸が強く打つ。
「王国は選ぶ」
「恐怖ではなく、未来を」
沈黙。そして、歓声。最初は小さい。やがて波になる。王都を包む。
遠く、使節席。紺色の手袋をはめた男が静かに立ち上がる。顔は見えない。だがその視線は冷静だ。
「……予想以上だ」
小さく呟く。感嘆でも落胆でもない、記録するための声だった。
戴冠は成功した。暗殺は失敗した。思想は止まらなかったが、王は揺れなかった。
王宮へ戻る道。ルークは一人、広場を見ていた。民は歓声を上げている。破綻確率三十二%。だが、今この瞬間、民は王を信じている。
「……数字は」
小さく呟く。歓声の中で、その声は誰にも届かない。
「希望を測れない」
拳が震える。彼の計算は揺らぎ始めていた。だが、王国の外では、別の計算が始まっている。
戴冠は終わった。
式のあいだ、エリシアは使節席の顔を数えていた。深緑、赤金、銀紋。そして、紺色の手袋をした男が一人。招待名簿に、その席は無かった。
名簿を持ち帰って、あとで確かめようと思う。思ってから、確かめたところでどうにもならないことにも気づいた。
戴冠です。
この回でいちばん書きたかったのは、歓声のほうではなく、それを見ているルークの側でした。前の回で揺れた計算が、ここで完全に合わなくなります。間違っている人ですが、間違い方が誠実です。
区切りの回なので、今日はお願いごとを置きません。




