第67話 兄弟
夜。評議の喧騒はすでに消えていた。王宮の中庭は静まり返り、噴水の音だけが響く。
レオンハルトは一人、石畳の上に立っていた。
「……勝ったな」
背後から声がした。振り返ると、第一王子。衣装はすでに簡素なものへと替わっている。
「兄上」
「王になるのはお前だ」
淡々とした口調だった。だが目は静かだ。
「悔いはありませんか」
レオンハルトが問う。数秒の沈黙が落ちた。
「ある」
正直な答えだった。無い、と言えば嘘になると分かっている人だ。
「私は安定を守れると思っていた」
「戦争を遠ざける王になれると」
噴水の水面に月が映る。水音のほかは、遠くの見回りの足音だけだった。
「だが」
ゆっくりと視線を向ける。だが、の先を言うまでに、少し時間がかかった。
「お前は恐怖の先を見た」
「私は恐怖を止めようとした」
「どちらも間違いではない」
静かな声だった。どちらも間違いではない、と言えるのは負けた側だけだ。
「だが国は未来を選んだ」
レオンハルトは小さく息を吐く。合理的だ、という評価は本心だった。
「兄上の案は合理的でした」
「理屈は正しいことが多い」
第一王子はわずかに笑う。負けた側が言うと、その一行は重い。
「だが正しさだけでは、人は動かない」
沈黙。
「恐怖は強い」
「だが覚悟も強い」
レオンハルトの声は低い。覚悟という語を、自分から誇る気はない。
「私は覚悟を示しただけです」
「炎の中へ飛び込んだな」
第一王子の目がわずかに柔らぐ。あの日の煙を、彼も遠くから見ていた。
「あれは演出ではない」
「わかっている」
短い返答だった。わかっている、の一語で、疑いを終わらせた。
「だから評議は動いた」
間。
「弟よ」
「王は孤独だ」
低く。
「決断は常に一人だ」
「だが孤独に酔うな」
視線が強い。孤独に酔うな、というのは忠告というより戒めだった。
「周囲を信じろ」
「エリシアを信じろ」
一瞬、レオンハルトの目が揺れる。この人の口から、その名を聞くとは思わなかった。
「兄上は」
「彼女を評価している」
「有能だ」
淡々と言う。有能だ、で止めるのが、この人の限界の褒め方だった。
「だが」
「王の隣に立つ者は、さらに強くなる必要がある」
厳しい言葉だった。だが悪意はない。
「お前が王になるなら」
「私は支える」
はっきりと言う。支える、と自分から言ったことに、周囲の誰も気づかない。
「宰相補佐として」
「安定を守る」
レオンハルトは静かに頭を下げる。兄に頭を下げたのは、久しぶりだった。
「兄上の力が必要です」
「当然だ」
第一王子は背を向ける。数歩進み、止まる。
「弟」
「はい」
「恐怖を選ばなかったこと」
小さく息を吐く。
「誇れ」
そのまま去っていく。レオンハルトは夜空を見上げる。
王位は決まった。だが国境にはまだ軍がいる。戦いは終わっていない。それでも、国は前へ進む。
兄が安定を守り、弟が未来を守る。それが、この国の形になる。遠く、鐘が鳴る。新しい時代の始まりを告げるように。
兄弟の回です。
負けた側に「悔いはあるか」と訊かせて、「ある」と答えさせました。ここを潔く流してしまうと、第一王子がただの当て馬になってしまう。彼は最後まで、安定を守る側の正しさを持ったまま残ります。




