第64話 最後通告
評議前夜。王宮に隣国の急使が到着した。封蝋は深緑。宰相セルヴァンの私印だった。
重い沈黙の中、文官が読み上げる。紙を持つ手が、行の途中で一度止まった。
「王国が港湾改革を凍結し、優遇措置の一部を復活させること」
「また今後の制度変更に際し、事前協議を義務付けること」
「以上を受諾しない場合」
一瞬、間が空く。読む側が、言葉を選ぶ間ではなかった。書かれた通りに読むのを、躊躇っただけだ。
「制裁強化および国境防衛のための軍事行動を辞さない」
室内の空気が凍る。“軍事行動”。開戦とは明言していない。だが十分な威圧だった。
「期限は」
国王が問う。中身より先に、期限を訊いた。
「明日、正午」
評議の最中だった。意図は明白だ。王位決定と外交方針を同時に縛る。
第一王子が口を開く。望んでいない、という読みだけは譲らない。
「隣国は戦争を望んでいない」
「望んでいないが、引くとも限らない」
軍務官が低く言う。望むか望まないかと、起きるか起きないかは別だ。
「偶発衝突の確率は上昇」
レオンハルトは書状を受け取る。条文を一つ一つ確認する。エリシアが隣で目を走らせる。
「……妙です」
小さく呟く。三度読み返して、同じ箇所で目が止まった。
「何が」
「“軍事行動を辞さない”」
「曖昧です」
「宣戦布告ではない」
第一王子が言う。曖昧さの意味を、彼も同じように読んでいた。
「脅しだ」
「だが効果はある」
貴族席から声が上がる。効果はある、という一語で、部屋が先に折れた。
「凍結すれば終わる話だ!」
「民は戦争を望んでいない!」
空気が揺れる。レオンハルトは顔を上げる。
「受諾すれば、軍は撤退する保証はあるか」
第一王子が即答する。可能性、という語を、彼はここでも正確に使う。
「可能性は高い」
「保証ではない」
「外交に保証はない」
正論だった。だが痛い。国王が静かに言う。
「明日の評議で決める」
木槌が鳴る。解散。
夜。王宮の回廊は静まり返っている。エリシアは一人、書状の写しを見つめていた。
「軍事行動」
言葉の重さがある。兵が死ぬ可能性。民が巻き込まれる可能性。
「殿下」
振り返ると、レオンハルトが立っていた。灯りを持たずに来たらしい。
「……距離を取る約束だったな」
苦笑した。だが今は公の場ではない。
「最後通告です」
エリシアが言う。約束を破ったのは、どちらもだった。
「圧力の完成形」
「ええ」
「明日の評議で、王位と外交方針が同時に決まる」
彼は窓の外を見る。夜空は静かだ。だが国境には軍がいる。
「兄上は凍結を主張する」
「はい」
「民は揺れている」
「はい」
沈黙。
「……怖いか」
低い問いだった。エリシアは正直に答える。
「怖いです」
「戦争も」
「決断も」
だが視線は逸らさない。怖い、と言えるようになったのは最近のことだ。
「ですが」
「恐怖で選びたくはありません」
静かな言葉だった。レオンハルトはゆっくり頷く。
「私もだ」
低い声だった。私もだ、と言える王は多くない。
「明日」
「どちらが王になるか」
「国が決める」
風が吹き込む。回廊の灯りが一つ、音を立てて揺れた。
「もし」
エリシアが言いかける。もし、の先を、口の中で二度組み直していた。
「私が敗れれば」
「あなたは王宮を離れろ」
即答だった。息が止まる。
「巻き込まれる」
「それは」
「命令だ」
王子の声だった。理性の顔をしている。エリシアは小さく笑う。
「拒否します」
即答した。
「……頑固だな」
「殿下もです」
わずかな静寂。距離はある。だが覚悟は共有している。
「明日、すべてが決まる」
レオンハルトが言う。
自室に戻ってから、エリシアは通告文をもう一度読み返した。軍事行動を辞さない、の一語だけが、他の条項と文体が違う。あとから足された文だ。
足したのが誰かは分からない。分からないまま、猶予はあと半日になった。
王子が命令の形で遠ざけようとして、断られる回です。
このやり取りは、恋愛の場面としては書いていません。命令に対する拒否として書いています。この人たちの距離は、いつもそういう形でしか動きません。




