第61話 安定の論理
隣国宰相の退室後、王宮の空気は重く沈んでいた。三日。それが猶予だった。王族会議はその日のうちに再招集された。
「制裁は現実だ」
第一王子が口を開く。感情は排されている。
「軍も動いている」
机に広げられた報告書。商会損失予測、地方税収減少、物価推移。
「凍結すれば、制裁は解除される可能性が高い」
淡々と言う。可能性、という語を、彼は正確に使った。
「戦争は回避できる」
貴族たちが頷く。戦争を避ける、という言葉に頷かない者はいない。
「改革は後でも可能だ」
続ける。後でも可能だ、という一語が、いちばん反論しにくい。
「国家が存続してこそ、未来がある」
正論だった。揺らぎのない理屈だ。レオンハルトは沈黙を保つ。
「弟よ」
第一王子が視線を向ける。弟よ、という呼び方が、今日は柔らかい。
「民は理想よりも安心を求める」
「安心は、誰かに握られるものではない」
レオンハルトが静かに返す。安心そのものは、彼も否定していない。
「恐怖に基づく安定は、依存だ」
「依存でも、命は守られる」
第一王子の声がわずかに強まる。今日、初めて声が動いた。
「戦争になれば、守れない命が出る」
沈黙。室内の空気が揺れる。
「国境の軍は威嚇だ」
「だが威嚇が事故を呼ぶこともある」
第一王子の視線は鋭い。事故、という語は、外交でいちばん重い部類だ。
「外交は力の均衡で成り立つ」
「力が劣るなら、理を通すべきではない」
厳しい言葉だった。だが冷酷ではない。
「凍結は屈服ではない」
「時間を買う選択だ」
理路整然としていた。貴族席から声が上がる。
「第一王子殿下の案に賛成」
「民は戦争を望んでいない」
「市場は安定を求める」
空気が傾く。エリシアは静かに状況を見ている。確かに第一王子は正しい。短期的には。
「凍結は一時的と明言すればよい」
第一王子が続ける。一時的、と明言する案まで用意してある。
「再協議で有利な条件を引き出す」
「焦る必要はない」
冷静で、合理的で、説得力がある。国王が問う。
「第二王子の意見は」
沈黙。数秒。レオンハルトはゆっくりと立ち上がる。
「兄上の案は合理的だ」
率直な言葉だった。ざわめき。
「だが」
視線を巡らせる。合理的だ、と認めてから否定するのが、この人の順序だった。
「圧力が成功すれば、次も圧力が来る」
「港湾の次は税制」
「税制の次は外交方針」
「主権は徐々に削られる」
室内が静まる。削られる、という語で、話が主権へ移った。
「時間を買う?」
低い声だった。買う、という言葉を、そのまま値の話に戻した。
「その時間で、隣国はさらに力を蓄える」
「我々は従属を選ぶ国になる」
第一王子の目が揺れない。従属という語だけは、受け入れられないらしい。
「従属ではない」
「対等な交渉だ」
「対等?」
レオンハルトが問い返す。対等、という語の値を、その場で確かめている。
「軍を国境に集められている状況でか」
重い沈黙。どちらも正しい。だからこそ難しい。
「私は凍結しない」
はっきりと言う。凍結しない、と先に言い切ってから、案の話へ移った。
「代替案で再協議する」
「リスクは高い」
第一王子が静かに言う。止めるためではなく、確認するための言い方だった。
「承知している」
「民が苦しむ可能性がある」
「だからこそ」
視線が強くなる。だからこそ、の先を、彼はこの場で初めて出した。
「新同盟を模索する」
ざわめきが走る。同盟という語が、二日前まで卓に無かった。
「小国との緊急貿易協定」
「制裁の影響を分散」
「同時に隣国へ示す」
「依存していない、と」
第一王子は数秒沈黙する。否定ではなく、日数を数えている沈黙だった。
「時間が足りない」
「足りなくても作る」
室内の緊張が高まる。国王が静かに言う。
「二日後、最終評議を開く」
「その場で王位を決める」
空気が凍る。王位争いが、国家危機と完全に重なった。
会議が解散する。廊下。第一王子がレオンハルトを呼び止める。
「弟よ」
低い声だった。廊下で呼び止めるのは、この人には珍しい。
「私は戦争を避けたい」
「私もだ」
「ならば凍結だ」
「未来を守る」
視線が交錯する。敵意ではない。本気の衝突だった。
「どちらが正しいか」
第一王子が言う。
「国が決める」
背を向ける。王宮の窓の外。遠く、国境方面の空がわずかに霞んでいる。
恐怖と未来。二つの道は、もうすぐ一つに選ばれる。
第一王子の言い分は、読み返すたびに正しく見えるように書きました。
国家が続いてこそ未来がある。これに反論するのは本来とても難しい。ここで簡単に言い負かしてしまうと、後で王位を争う意味が消えてしまうので、勝たせないように気をつけています。
どちらの側に立って読まれたか、少し気になっています。面白いと思っていただけたら、評価で教えていただけると嬉しいです。




