第60話 来訪
三日後。王宮の正門前に、隣国の紋章を掲げた馬車が到着した。深緑の旗。金の双頭鷲。その意匠は、かつてこの国の港を通じて莫大な富を得た象徴でもある。
馬車の扉が開く。降り立ったのは、セルヴァン・グリード。隣国宰相。四十代前半。端正な顔立ちだが、その目は笑っていない。
「久しいな、王国」
小さく呟く。挨拶ではなく、値踏みの一言だった。
迎えるのは、第一王子と第二王子。形式上は両王子同席。だが王位争いの最中であることを、セルヴァンは当然知っている。
「歓迎しよう、宰相」
第一王子が先に言う。先に口を開くこと自体が、序列の主張だった。
「制裁という形ではあるが、対話の意思は評価する」
冷静。安定の象徴。セルヴァンはわずかに微笑む。
「我々は常に理性的だ」
次に第二王子を見る。見る順番まで、この男は計算している。
「改革の王子」
あえて名を呼ばない。呼ばないことで、格を一段下げている。
「理想は美しい」
低い声だった。美しい、という語が褒め言葉として使われていない。
「だが契約は美しさで動かない」
王宮会議室。重い空気。条約書が机に並ぶ。
「港湾優遇措置の停止は一方的な違反」
セルヴァンが言う。一方的、という語を最初に置いてきた。
「我が国商会は損失を被った」
「不正利権の是正だ」
レオンハルトが即答する。是正、と言い切ることで、争点を戻した。
「貴国商会は過剰な免税と独占権を享受していた」
「契約に基づく権利だ」
「腐敗の上に成り立つ契約は無効だ」
沈黙。第一王子が静かに割って入る。
「争点は二つ」
「契約の合法性」
「そして今後の関係性」
セルヴァンは頷く。整理されることを、この男は嫌わない。
「その通り」
「我々は制裁を解除する用意がある」
室内がわずかに動く。解除の用意がある、という一行は、条件の前置きだ。
「条件は」
第一王子が問う。訊く前から、答えの見当はついている顔だった。
「港湾改革の一時凍結」
「優遇措置の一部復活」
そして。
「今後の制度変更は事前協議」
事実上の主権制限だった。沈黙が重く落ちる。セルヴァンはレオンハルトを見る。
「理想を守るか」
「民の生活を守るか」
穏やかな声だった。二択に見せることが、この男の交渉の型だ。
「王は選ぶ者だ」
挑発だった。レオンハルトは目を逸らさない。
「第三の選択はある」
セルヴァンの眉がわずかに動く。第三、という語は想定に無かったらしい。
「条約第八項」
エリシアが静かに言う。写しの末尾に、昨夜つけた印がある。
「再協議は双方合意で可能」
「優遇措置の代替案を提示する」
「代替?」
セルヴァンの目が細まる。代替という語を、彼は口の中で一度転がした。
「透明な関税制度の下で、貴国商会に一定の物流優先枠を保証」
「だが独占は認めない」
第一王子が一瞬だけエリシアを見る。これは大胆だ。案の中身よりも、この場で出したことが。
「優遇の質を変えるということか」
セルヴァンが言う。質を変える、という言い方に、初めて興味の色が出た。
「腐敗を排し、利益は維持する」
エリシアが答える。室内に、わずかな静寂。セルヴァンは椅子にもたれる。
「興味深い」
だが笑みは薄い。興味深い、で止めるのは、持ち帰る意思があるということだ。
「だが圧力は継続する」
低く。
「我が軍は国境にいる」
露骨な威圧だった。交渉の卓に、軍の位置を置いてくる。
「演習だ」
第一王子が言う。演習、という語で受けたのは、彼のほうが早かった。
「貴国の内政に介入する意図はない」
「意図はなくとも結果は出る」
セルヴァンは淡々と返す。反論しにくい形だけを選んで置いてくる。
「市場は揺れ、民は怯える」
視線がレオンハルトへ移る。揺れているのは市場か、それとも王子か。
「恐怖は、理想を溶かす」
沈黙。レオンハルトは静かに言う。
「恐怖に従えば、未来を失う」
「未来?」
セルヴァンが小さく笑う。未来、という語を彼は繰り返して返した。
「未来は生き残った国だけが語れる」
重い言葉だった。生き残った国だけが、という条件の付け方が上手い。
「生き残るために、譲歩するのが王だ」
第一王子の目がわずかに揺れる。安定の論理。彼が長く積み上げてきた側の言葉だった。レオンハルトは動かない。
「生き残るだけの国に、価値はない」
静かだが強い声だった。
「未来を選ぶ」
室内が張り詰める。セルヴァンは数秒見つめる。
「三日」
低く言う。数字を置いて、それ以上は説明しない。
「三日以内に正式回答を」
立ち上がる。話し合うために来たのではないことが、動作で分かった。
「さもなくば、制裁強化」
踵を返す。扉が閉まる。重い沈黙。第一王子が口を開く。
「凍結すれば、制裁は解除される可能性が高い」
「可能性だ」
レオンハルトが返す。
「だが屈服の前例は残る」
視線が交錯する。王宮の空気は、冷たい。
外交は言葉の戦だ。だが国境には、軍がいる。三日。国の未来を決める猶予は、三日しかない。
セルヴァンは悪人として書いていません。彼の言う「生き残るために譲歩するのが王だ」は、実務としては正しい。
正しい相手のほうが厄介だ、というのはこの物語がずっと扱っている題です。




